2025年7月22日(火)、三番目に訪れたのはEl Port de la Selva、Ermita de Santa Helena de Rodesです。
ここは、ロマネスク時代に繁栄を極めたサンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)集落の教区教会でした。プレ・ロマネスク様式が残ります。
Ermita は閉まっていました。私は Ermita に入りませんでした。
El Port de la Selva では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Monestir de Sant Pere de Rodes
<2> Ermita de Santa Helena de Rodes
目次
1. El Port de la Selva .
2. 概要 .
3. 教会の建築的変遷図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. El Port de la Selva
エル・ポルト・ダ・ラ・セルバ(El Port de la Selva)は、カタルーニャ州ジローナ県にあり、県都ジローナの約45km北東に位置します。
Ermitaは、サン・ペラ・ダ・ローダス修道院(Monestir de Sant Pere de Rodes)から北西に650メートルほど歩いたところにあります。

廃墟化した集落と、Ermita です。

到着しました。市壁の跡とErmita が見えます。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)の集落と教会は、標高540メートルの小さな棚地に築かれている。教会は10世紀に建てられ、鐘楼の役割を果たす古い見張り塔を最大限に活用した。12世紀以降、教区教会を取り囲んでいた墓地の上に、集落の家屋や門が徐々に建てられた。集落の門を通る全ての道はサン・ペラ修道院(Monestir de Sant Pere)へと続いていた。
サンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)は13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎え、家屋の拡張や改修が行われ、市壁の外にも地区が形成された。
15世紀には衰退が始まり、住民が徐々に離れていった。教会は16世紀に教区教会としての地位を失い、聖ヘレナ礼拝堂(Ermita de Santa Helena)となった。ここでの礼拝は19世紀末まで続けられた。
この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。
3. 教会の建築的変遷図
案内板による教会の建築的変遷図です。東が奥です。
10世紀
塔の開口部は、馬蹄のような形です。

12世紀

16〜17世紀

4. 外観
集落跡に入ります。
サンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)の都市構造は「閉じられた村(vila closa)」と呼ばれる形態である。これは家屋の裏壁が市壁として機能し、集落の中へは要塞化された門を通らなければアクセスできない形態である。

中心は教会広場であり、家々は広場を取り囲むように建てられ、広場へと続く通りで区切られていた。家々は広大(70~100m²)で、2階建てで瓦屋根を備え、多くの場合、中庭、庭園、あるいは農場を併設していた。
サンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)はサン・ペラ修道院(Monestir de Sant Pere)の庇護のもとで興隆し、繁栄を極めた。ここでは市場や縁日が催され、宿屋、仕立て屋、パン屋、靴屋、鍛冶屋、公証人などが、訪れる者すべて、特に修道院に集う巡礼者たちにサービスを提供していた。
集落はすっかり廃墟になりましたが、空と海の青さは、昔のままかもしれません。

塔の最上部(二連窓)を除く部分と中央の身廊は、10世紀に遡ります。

5. 内観
ファサードに開口部があり、Ermita の中を覗くことができました。
中央の身廊部分(左側)が、10世紀に遡ります。

Ermita de Santa Helena de Rodes。ロマネスク時代に繁栄を極めたサンタ・クレウ・ダ・ローダス(Santa Creu de Rodes)集落の教区教会でした。プレ・ロマネスク様式が残ります。
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