2025年5月16日(金)、最初に訪れたのはLe Mans、Cathédrale Saint Julienです。
ここは、11世紀初頭の傑出したステンドグラスがあります。
2025年、大聖堂は毎日9:00〜18:00に開いていました。
Le Mans では、3か所に行きました。以下のように3回に分けて書きます。
<1> Cathédrale Saint Julien
<2> Église Notre-Dame-du-Pré
<3> Église Notre-Dame de la Couture
目次
1. Le Mans .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(ファサード) .
5. 外観(王家の扉口(PORCHE ROYAL)) .
6. 外観(南翼廊) .
7. 内観(柱頭) .
8. 内観(ステンドグラス) .
1. Le Mans
ル・マン(Le Mans)は、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏サルト県の県都で、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の首府ナントの約160km北東、首都パリの約180km南西にあります。
大聖堂は、サルト川の左岸にあります。

2. 概要
ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps『Maine Romane』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ル・マン(Le Mans)で最初の教会が建設された時期は特定できない。現在の大聖堂の敷地内、あるいはその近くで建設されたかどうかさえ定かではない。
6世紀、イノセント(Innocent)司教が完成または改築した教会を聖ゲルバシウスと聖プロタシウスに奉献したことは確かである。この名称は長く用いられ、現在もロマネスク様式やゴシック様式のステンドグラス窓にその名が残っている。
9世紀初頭にメス(Metz)からやってきたアルドリック(Aldric)司教の時代になって初めて、歴史的に検証可能な記憶を残す大規模な建設が行われた。
アルドリック(Aldric)司教は、サルト川の右岸にあるプレ教会(Église du Pré)に安置されていた聖ユリアヌス(Saint Julien)の遺体を移葬した。ノルマン人による被害にもかかわらず、アルドリックが建設した大聖堂は11世紀まで存続した。
11世紀頃、ヴーグラン(Vougrin)司教が再建を試みた。その再建は、塔に囲まれた聖域の建設にとどまったようである。
1070年頃にアルノー(Arnaud)司教が本格的な再建に着手し、後陣を建設し、翼廊の建設も始めた。
1081年にアルノー(Arnaud)司教が亡くなってから4年後にオエル(Hoël)が就任したため、工事は4、5年間中断したと思われる。オエル(Hoël)は工事を大幅に加速させなければならなかった。実際、彼は1096年に亡くなる前に、翼廊とその塔を完成させ、身廊の周囲とファサードの下部(あるいはその基礎部分のみ)を建設し、東側に向かって身廊の建設を開始することができた。彼の作品は、我々の研究対象となるが、その大部分が保存されている。
オエル(Hoël)の後継者であるイルデベルト・ド・ラヴァルダン(Hildebert de Lavardin)は、身廊と西ファサードを完成させ、ロマネスク様式の大聖堂を完成させた。彼の作品は、ファサード以外でも、いくつかの痕跡が今も残っている。
1134年、1137年、そして1140年に発生した3度の大きな火災により、大聖堂は深刻な被害を受けた。
修復はギヨーム・ド・パッサヴァン(Guillaume de Passavant)司教によって行われ、彼はクワイヤの修復を完了し、翼廊にアーチを架け、新しい支柱を設置して現在の身廊の主要部分を作り、私たちが知っているアーチで覆った。彼は、火災で無傷だった部分、つまりオエル(Hoël)によって建てられたファサードと外壁、そしてイルデベルト・ド・ラヴァルダン(Hildebert de Lavardin)によって建てられた大きなアーチを慎重に保存した。新しい作品は1158年4月28日に奉献された。
1220年頃にゴシック様式のクワイヤの工事が開始された。1254年4月20日に奉献式が行われた。
ロマネスク様式の建物の上に建てられた翼廊は、14世紀から15世紀にかけての長い年月をかけて建設された。
1562年、ユグノー派が大聖堂を占拠した。
1793年、革命派はこれを理性の礼拝堂として、倉庫に改造した。
19世紀、大聖堂は少々行き過ぎた修復が行われた。
この後は、大聖堂の中にあった案内掲示を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
案内掲示による平面図です。東が上です。

黄色:11世紀
水色:12世紀
赤色:13世紀
紫色:14世紀
緑色:15世紀
建物の全長:129メートル
身廊の幅:57メートル
翼廊の長さ:52メートル
ゴシック様式の聖歌隊席の高さ:34メートル
ロマネスク様式の身廊の高さ:24メートル
4. 外観(ファサード)
12世紀に建設されたファサードをみます。

中央の扉口の上に、彫刻があります。
左(北)に幻想的な生き物。

中央に祝福する人物。

右(南)に幻想的な生き物。

幻想的な生き物や祝福する人物が彫られていることと、その彫られ方の特徴が、バイユー(Bayeux)大聖堂の身廊を思い出します。
5. 外観(王家の扉口(PORCHE ROYAL))
南に行きます。
平面図に(13)と示されている扉口があります。

13. 王家の扉口(PORCHE ROYAL)
中世のメインストリートに面したこの門は、シャルトルの王家の扉口(1145-50)と同時期に建てられたもので、その扉口によく似ている。ゴシック様式の記念碑的彫刻が誕生した運動に属している。イエスが栄光の玉座に座り、4人の大きな翼のある人物、すなわち4人の福音書記者、獅子(聖マルコ)、牛(聖ルカ)、鷲(聖ヨハネ)、人(聖マタイ)に囲まれている。その上部には、イエスの誕生に伴う出来事を描いた小さな場面が、30歳で彼の使命が始まったカナの婚礼のエピソードまで描かれている。まぐさ石には、教会の創設者である12人の使徒たちが、それぞれアーチの下に座っている。

初期ゴシック様式です。でも、柱像が直線的だったり、柱頭がもっさりしていたりと、ロマネスク様式の伝統を感じるような特徴があります。

6. 外観(南翼廊)
12世紀に建設された南翼廊にも、彫刻があります。

柱頭には、様式化された植物や、生き物たちが彫られています。

扉口の上には、「獅子を裂くサムソン」(『士師記』14章)。かっこいい。

7. 内観(柱頭)
教会の中に入ります。

平面図に(3)と示されている身廊です。
3. ロマネスク様式の身廊
教会は東、つまり昇る太陽、つまりキリストの方を向いている。側廊では、アーチが地元の石、ルサール(Roussard)の茶色の石とスーリトレ(Soulitré)の白い石で交互に並んでいる。南側、翼廊の近くには、11世紀の柱頭があり、北フランスにおけるロマネスク彫刻の初期の例となっている。白い石造りの身廊は、高さ24メートルのアーチ型の天井に覆われており、11世紀、この王朝の創始者であるジェフロワ・プランタジネットの時代に、より古い壁の上に建てられた。柱には、大聖堂で働いた石工たちの刻印が見られる。

柱頭彫刻を四つご紹介します。
柱頭1:様式化された植物と鳥たちだと思います。

柱頭2の左側には、4人の人物。

柱頭2の右側には、「イエスの洗礼」(『マタイによる福音書』3章、『マルコによる福音書』1章、『ルカによる福音書』3章)が彫られています。

柱頭3:ライオンたちに頭をかじられる人物たち。

柱頭4:幻想的な生き物たちだと思います。

8. 内観(ステンドグラス)
ステンドグラスをみます。
平面図に(1)と示されているステンドグラスです。
1. 昇天のステンドグラス
11世紀初頭の傑出したステンドグラスである。フランスで現存する最古のステンドグラスとして知られている。驚くほど現代的な趣を持つ。我々のステンドグラスの中でも傑出した宝石であり、有名なプランタジネット朝のエナメル細工に喩えられる。
聖母マリアと使徒たちは、昇天するイエス(失われた部分)を追い、頭を持ち上げている。上段と下段の非具象的な部分は、1956年にマックス・アングラン(Max Ingrand)によって制作された。彼は、ル・マンのノートルダム・デュ・プレ教会(Église Notre-Dame-du-Pré)のいくつかのステンドグラスも手掛けている。

11世紀初頭に作られた部分だけをみます。聖母マリアと使徒たち。美しい。

2. ル・マンの初代司教、聖ユリアヌスのステンドグラス
11世紀のこのステンドグラスは、中世のステンドグラスと同様に、下から上に向かって聖ジュリアンの生涯が描かれている。聖ユリアヌスはメーヌ地方で布教活動を行い、4世紀初頭にル・マンの司教となった。ほぼ半分は12世紀の作である。ステンドグラスは下から上に向かって読む。左下部分では、ジュリアンがル・マンで泉を湧き出させている。これは洗礼の水を象徴している。この場面の彫刻は聖具室で見ることができる。中央の人物は19世紀の作である。

大聖堂の中にあった案内掲示で紹介されていたステンドグラスは、前述の(1)と(2)だけでした。
他の美しいステンドグラスの中から、ひとつだけご紹介します。

使徒たち。

十字架。

Cathédrale Saint Julien。11世紀初頭の傑出したステンドグラスがあります。
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