モンシャロン(Montchâlons)

2025年5月22日(木)の最後、三番目に訪れたのはMontchâlons、Église Saint-Pierre de Montchâlonsです。

ここMontchâlonsは、2025年春🌸の旅行の最後の訪問地です。

ここは、外観の装飾が興味深いです。

教会は閉まっていました。私は教会の中に入りませんでした。

目次

1. Montchâlons .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
〜2025年春🌸の旅行の終わりに〜.

1. Montchâlons

モンシャロン(Montchâlons)は、オー=ド=フランス地域圏エーヌ県にあり、県都ラン(Laon)の約10km南東に位置します。

教会は、小さな村の中心にあります。

南西側外観

2. 概要

フランス芸術保護財団(La Sauvegarde de l’Art Français)のウェブサイトによる概要です。(同財団は、1921年以来、文化遺産の保護に取り組んでいるそうです。)私が一部を抜粋して太字で和訳します。

エーヌ県歴史考古学協会連盟会長であるブテ(Buttet)大佐によってフランス芸術保護協会に報告されたこの教会は、一部がプレ・ロマネスク様式の建築であり、歴史的、考古学的に非常に興味深いものである。

その非常に古い歴史は、謎に包まれた人物であるガヌロン伯爵(comte Ganelon)と関わっている。彼はこの教会に埋葬されたと言われている。ガヌロン(Ganelon)は、ローランの歌で永遠に汚名を着せられた裏切り者だったのであろうか?彼は、シャルルマーニュ皇帝の命令で、その背信行為の罰を受けたのだろうか?それとも、彼は同時代にラン(Laon)の司教だったのであろうか?

『ローランの歌』は11世紀後半の有名な叙事詩です 。

1976年の初め、モンシャロン教会は崩壊の危機に瀕していた。身廊の南側通路の床に陥没が生じていた。さらに、屋根、骨組み、屋根材の状態が非常に悪く、もはや雨漏り防止の役割を果たせていなかった。保護財団(La Sauvegarde)は10万フランの追加支援を行うべきだと考えた。

工事は迅速に完了した。教会の壁の下部構造は、全長5メートルにわたって完全に修復され、壁は再建され、床は修復された。この沈下の原因は、1914年から1918年の戦争にさかのぼる。ドイツ軍がこの建物の一部に防空壕を掘ったためである。その後行われた発掘調査で、二つの古代の石棺が発見されたが、ガヌロン(Ganelon)の謎は解明されなかった。

3. 平面図

フランス芸術保護財団(La Sauvegarde de l’Art Français)のウェブサイトによる平面図です。東が右です。

La Sauvegarde de l’Art Françaisより

4. 外観

東に行きます。

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps『Nord Roman』によると、この教会は主にその外観の装飾が興味深く、12世紀に建てられたと推定されます。

北東側外観

身廊の軒下は、よくみる盲アーチではなく、三角のような形です。

身廊の軒下

三角のような形の下には、人間や動物の頭部をあしらった持ち出しがあります。

身廊の軒下

内陣と後陣の三角のような形の中央には、丸い模様が彫られています。

クワイヤの軒下

三角のような形は、その大きさが不揃いで、変わっています。

後陣の軒下

Église Saint-Pierre de Montchâlons。外観の装飾が興味深いです。

〜2025年春🌸の旅行の終わりに〜

モンシャロン(Montchâlons)を最後に、フランス🇫🇷北部(イル=ド=フランス地域圏、ノルマンディー地域圏、ブルターニュ地域圏、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏、オー=ド=フランス地域圏、グラン・テスト地域圏)を巡る2025年春🌸の旅行は終了しました。

基本的に開かないところ(Saint-Wandrille-RançonÉglise Saint-Nicolas de Caenなど)や、改修工事のために閉まっていたところ(Église Saint-Germain de BarnevilleÉglise Saint-MélarChapelle Notre-Dame de KernitronRedonなど)もありました。でも、主な教会をたくさん訪問することができました。数多くの方々のご厚意のおかげです。

4月24日から29日間で88か所を巡りました。どれも、鮮やかに心に残っています。

読んでくださり、ありがとうございました。

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