オルタ・サン・ジュリオ(Orta San Giulio)

2023年8月8日(火)の最後、二番目に訪れたのは Orta San Giulio、Basilica di San Giulio です。

ここは、Orta 湖に守られる島の宝石です。説教壇が素晴らしいです。また、内陣の下には厳かな地下聖堂があります。身廊の柱には美しい柱頭彫刻があります。

月曜は12:00〜18:45、火曜から土曜は9:45〜18:45に開いています。日曜は8:45〜18:45に開いていますが、11:00から聖ミサがあります。教会内は常時撮影禁止。(2023年8月現在の情報です。)

目次

1. Orta San Giulio へ .
2. 概要 .
3. 平面図
4. 説教壇 .
Airbnb. 

1. Orta San Giulio へ

私はカルピニャーノ・セージア(Carpignano Sesia)から北に約42km、44分ほど運転して車を有料公共駐車場(Parcheggio coperto DIANIA)に停めました。

その後、私は観光客であふれる道を650メートルほど歩いて、オルタ広場(Orta Piazza)のフェリー乗り場に着きました。13:30頃のことです。

オルタ広場(Orta Piazza)のフェリー乗り場

教会に行くには、Isola San Giulio へのフェリーに乗ります。乗り場は一番右の桟橋です。

オルタ広場(Orta Piazza)の一番右の桟橋

シャトルフェリーは約15分おきに運行しています。乗船券はオンライン購入できます。

出航すると、素晴らしい景観に息をのみます。

Isola San Giulio

乗船時間は5分くらい。

小さな桟橋にフェリーが着くと、そこから教会はわずか50メートル。徒歩1分で到着です。

2. 概要

教会の外に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

伝承や歴史的情報(最も古いものは6世紀の資料)によると、聖ユリウスは4世紀の司祭(prete)で、助祭(diacono)であった弟ユリアヌスとともにギリシャのEgina島を出発し、イタリア半島全域で異教の撲滅と伝道に乗り出したようである。二人の兄弟は、皇帝テオドシウス1世(347-395年)から、異教の神殿を破壊し、地域に教会を建て、住民に洗礼を授ける許可を得た。

現在のピエモンテ州に到着した彼らは、Gozzano 教会の建設に着手した。この教会は、二人の兄弟が建立した99番目の教会であるとの伝承がある。ユリアヌスがその村に留まり、後にその村の守護聖人となる一方、ユリウスはさらに祈りと孤独に捧げる生活を決意し、湖の真ん中に岩のように突き出た小さな島にたどり着いた。伝承によれば、聖人がマントを湖に広げていかだ代わりにし、杖をオールの代わりにして渡海したという。

島に到着した聖ユリウスは、十字架の印によって島にはびこっていた蛇を追い払い(これは象徴的には、異教と悪に対する勝利と理解できる)、さらに教会の建設を始め、隠者の生活に入った。

島は6世紀末から司教の居城となり、その後、要塞化された公爵の居城となり、962年には皇帝オットー1世による軍事包囲の舞台となった。

9世紀には、バシリカの参事会員(Canonici)たちの居住が始まり(島の現在の住居は、大部分が古い宿坊を改築した建物で、2階建てで互いにつながっている)。11世紀には司教の支配が確立され、19世紀初頭まで、浮き沈みを繰り返しながら続いた。
島の中心に建てられた古城の跡には、19世紀半ばに教区神学校が建てられ、1947年まで活動していた。現在(1973年以降)、ベネディクト会修道女の共同体があり、この「祝福された島」の貴重な精神的遺産を守り、豊かにし続けている。

湖遊びのついでに軽い気持ちで訪れる観光客が多い教会ですが、敬虔な祈りの場です。

3. 平面図

現地には平面図は見当たりませんでした。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』による平面図です。東が上です。

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Piémont-Ligurie roman』より

観光客は第4柱間にある南扉口から入ります。

入ると、正面に、ど迫力の説教壇があります。

4. 説教壇

説教壇の前に案内掲示がありました。

AMBONE(12世紀第1四半期)
Oira 採石場(Orta 湖西岸)から採れる灰緑色の蛇紋岩で彫られた福音宣教のための説教壇。
欄干には、左から反時計回りに、4人の福音書記者の象徴が描かれ、善と悪の闘いの場面(ケンタウロスに追われる鹿、ドラゴンに勝利したグリフォン)が交互に描かれている。
反対側に描かれたマントと杖を持った人物の中に、962年、皇帝オットー1世がベレンガリオ2世の妻 Willa 王妃の軍隊に対して行った包囲戦の際にこの島で生まれた、大修道院長 Guglielmo di Volpiano の姿を確認する人もいる。

撮影禁止なので、写真は公式サイトをご覧ください。

実物は、蛇紋岩の灰緑色と彫刻の特徴が調和して、圧倒的な迫力です。私は時間を忘れてひとつひとつの彫刻に見入ったり、遠くから全体を眺めたりしました。

Basilica di San Giulio。Orta 湖に守られる島の宝石です。説教壇が素晴らしいです。また、内陣の下には厳かな地下聖堂があります。身廊の柱には美しい柱頭彫刻があります。

〜Airbnb〜

この日の全ての見学を終えた私は、東に約70km、60分ほど車を運転して、Turate という町にある Airbnb にチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室二つという間取りの一軒家の一部です。車は敷地内の家の真ん前に駐車できました。

1泊の総額が€ 57.77 EURでした。

台所兼食堂兼居間

洗濯機も台所も使い易く、ホスト夫妻は気配り上手で、心温まる時間を過ごすことができました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です