モリヤンヴァル(Morienval)

2025年5月19日(月)、最初に訪れたのはMorienval、Abbaye de Morienvalです。

ここは、

2025年、修道院教会の鍵は、近所のマダムが管理していました。その鍵は、身分証明書と交換に借りることができました。訪問可能時間は、月曜から土曜の9:00〜18:00と日曜の9:00から13:00でした。

目次

1. Morienval .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 内観(西壁) .
6. 内観(北壁) .
7. 内観(イコノスタシス) .
8. 内観(後陣) .

1. Morienval

モリヤンヴァル(Morienval)は、オー=ド=フランス地域圏オワーズ県にあり、県都ボーヴェの約60km南東に位置します。

教会は、クーラン(Coulant)川が蛇行する谷の斜面にあります。

私は丘にのぼり、教会の北東側を眺めました。

冬であれば、葉を落とした木々の間から、二つの鐘楼と後陣がよく見えるかもしれません。

北東側遠景

2. 概要

教会の中に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

名前の由来

モリヤンヴァル(Morienval)の名前は、ガロ・ローマ時代のVillaの所有者、マウリニウス(Maurinius vallis)に由来すると考えられている。この村の名前は、9世紀の文書に初めて登場する。

モリヤンヴァル修道院教会(Abbatiale de Morienval)

初期の教会については、9世紀末にノルマン人によって破壊されたこと以外、ほとんど知られていない。1865年の発掘調査で、基礎部分に火災の痕跡が発見された。9世紀末あるいは10世紀初頭に、ロマネスク様式の教会の建設が始まった。その後、11世紀から12世紀にかけて、新しい教会が建てられた。鐘楼、二つの側廊を持つ身廊、翼廊、そして二つの鐘楼に挟まれた半円形のクワイヤが、この谷間の修道院教会を威厳ある存在にしている。この教会は聖母マリアに捧げられていた。三つの鐘楼を持つ建築様式は、パリのサン・ジェルマン・デ・プレ修道院教会に触発されたものかもしれない。この修道院の鐘楼は、ボンヌイユ=アン=ヴァロワ(Bonneuil en Valois)、オルイ(Orrouy)、ポンポワン(Pontpoint)、リュイ(Rhuis)など、この地域の他の鐘楼のモデルとなった。

この修道院は、少なくとも二つの理由から、非常に古い時代にさかのぼる。

1. 伝承によれば、その創設はダゴベルト王(7世紀)にさかのぼる。彼の騎馬像が教会の門に置かれていたこと、1580年にクワイヤに移され、1716年に埋葬されたことは、文献によって証明されている。しかし、最も古い文書記録は、920年に単純王シャルル3世が作成した文書で、彼の祖父である禿頭王シャルル(840-877)が、エルマントルド王妃の要請により、869年(王妃の死の年)以前に寄贈したことを確認している。(895年にノルマン人による修道院の火災で、その権利書は失われた。)したがって、この修道院は9世紀に既に存在した。

2. 二つ目の理由は、この文書に「修道院の兄弟姉妹」と記載されていることだ。しかし、男女共修道院は9世紀から10世紀にかけてすでに消滅しつつあった。したがって、この修道院はおそらく2世紀前に設立されたと考えられ、修道院の創設者であるダゴベルト王の伝統と合致する。

修道女たちは聖ベネディクトの規則(1161年、アレクサンドル3世が「聖ベネディクトの規則の下で暮らす最愛の娘たち」に宛てた教皇勅書)に従って生活していたが、どの修道会にも属しておらず、ローマに直接属していた。30人の修道院長が歴代で就任した。

文書から修道院長の名前がわかるのは12世紀以降で、最初に知られているのはマチルドである。11世紀以降、ノルマンディーのセー(Sées)司教であった聖アノベールの遺骨がモリヤンヴァル(Morienval)に運ばれたことで、この修道院は重要な巡礼地となった。

修道院の評判は、ソンム県やマルヌ県にも広がり、巡礼者や寄付が殺到して修道院の繁栄をもたらし、ノルマン人による放火で焼失した修道院の再建を可能にした。

1743年、ルイ15世によって修道院の廃止が宣言された。修道女たちはロワイヤル=リュー修道院(monastère du Royal-Lieu)に編入された。修道院の財産はロワイヤル・リュー修道院とソワソン(Soissons)司教区に分配された。修道院の宝物群は散逸したが、ノヨン(Noyon)大聖堂に保存されているモリヤンヴァル(Morienval)の福音書(9世紀)だけが知られている。

1750年以降、この教会は教区教会となっている。

1840年に歴史的建造物に指定され、1878年から1912年にかけて修復された。修復は、後世の改変のうち不適切と判断された部分を撤去し、後陣を12世紀の状態に戻すことを主な方針とするものであった。修道院は教会と同時に建設され、3棟の建物が残っている。

この後も、案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示による平面図です。東が上です。

<ロマネスク時代>

案内掲示より

1075年〜1085年:鐘楼ポーチ
1085年〜1105年:側廊
1126年:新しい後陣

その後、ゴシック様式で、北翼廊の北に礼拝室が増築され、交差部が改築された。

<現在>

案内掲示より

4. 外観

西側にポーチを持つ鐘楼がひとつ、東側に細長い鐘楼が二つ、合計三つの鐘楼があります。

西側外観

5. 内観(西壁)

教会の中に入ります。

身廊は現在、17世紀に建築されたアーチ型の丸天井になっている。以前は教会全体に梁が見える構造であった。

身廊にて東を向く

北側廊にて東を向く

柱頭彫刻が素晴らしいです。三つご紹介します。

様式化された植物と男性の顔。

柱頭1

幾何学模様。

柱頭2

向かい合うライオンたち。

柱頭3

6. 内観(擬似周歩廊)

クワイヤへ降りてみよう。この教会は、鐘楼ポーチよりも低い位置にクワイヤがある、珍しい教会のひとつである。

この特徴は、おそらく、傾斜が急で安定性に問題があった土地の性質によるものであろう。粘土質の地層には泉が流れているのである。この安定性の問題により、12世紀(1125年頃)に、クワイヤを囲む二つの鐘楼が谷に向かって滑り始めたため、擬似周歩廊を備えた後陣が再建された。

クワイヤ

これらは周歩廊のように見えるが、祭壇の周囲を回るという機能はない。

確かに、この狭さでは、歩くことは難しいです。

でも、円柱とアーチが重なり合って、うっとりするほど美しい。

擬似周歩廊にて北東を向く

これらのアーチを支える柱頭は、見事な彫刻で飾られており、当時の職人の技量の高さを示している。

Abbaye de Morienval。外観では三つの鐘楼が特徴的で、内観では擬似周歩廊が美しいです。また、身廊に素晴らしい柱頭があります。

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