マルセヴォル(Marcevol)

2025年8月1日(金)、最初に訪れたのはMarcevol、Prieuré de Marcevolです。

ここは、南小後陣の壁画が素晴らしいです。

2025年、小修道院(Prieuré)は以下の日程で開いていました。
4月と10月は週末と祝日11:00〜12:30と14:00〜18:00
5月、6月と9月は月曜を除く毎日11:00〜12:30と14:00〜18:00
7月と8月は月曜を除く毎日11:00〜12:30と14:00〜18:30

有料(€4)でしたが、Pass↓を使うと割引(€3.5)になりました。

Pass

目次

1. Marcevol .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 外観(西側) .
6. 内観 .

1. Marcevol

マルセヴォル(Marcevol)は、オクシタニー地域圏ピレネー=オリアンタル県にあり、県都であるペルピニャンの約30km西に位置します。

小修道院(Prieuré)は、マルセヴォル(Marcevol)の集落から南に外れた田園地帯にあります。

北西側外観

2. 概要

見学料を払うと案内シートが貸し出されました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

歴史

この小修道院(prieuré)は12世紀、聖墳墓会の修道士たち(chanoines)によって建設された。1129年、エルヌ(Elne)の司教は彼らに、階段の聖母(Nostra Senyora de les Grades)教会および周辺の付属地を寄進した。彼らは聖アウグスティヌスの規則に従う修道士であった。

聖墳墓修道会は、十字軍によるエルサレム征服後、キリストの墓を守るために1099年に設立された。同会はヨーロッパで急速に拡大し、各地から資産や寄進を受けた。マルセヴォル(Marcevol)は1129年から1484年までその拠点のひとつであったが、1484年に教皇によって同会は解散させられた。

1484年、この建物はヴァンサ(Vinça)の教区を担当する、共同体として結集した司祭たちの管轄下に入った。当時、聖母に捧げられた祭壇画が後陣に設置された。この共同体は次第に、聖母への赦しの行事を主催することに力を注ぐようになった。古い伝承によれば、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう途中の教皇の母が、この教会の聖堂に埋葬された。

こうしてマルセヴォル(Marcevol)は、恩寵や免罪を願う何百人もの巡礼者を惹きつける場所となった。この巡礼祭はコンフラン(Conflent)地方で最も有名であり、毎年5月3日には今もなおミサが執り行われている

フランス革命の際、修道院は国有財産として売却された。その後、大規模な農場の中心地となった。建物は手入れが行き届かなくなり、荒廃していった。1970年代、修道院を廃墟から救うため、ボランティアによる修復活動が「マルセヴォル修道院協会(Association du Monastir de Marcevol)」として組織され、修道院は社会の主要な精神的、芸術的、治療的潮流を受け入れる場となった。2001年、同協会は公益法人として認定された「マルセヴァル修道院財団(Fondation du prieuré de Marceval)」となり、一般公開、団体宿泊、学校宿泊、文化イベントの開催という公共的使命を継続している。

この後も、案内シートを引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内パネルによる平面図です。東が上です。

案内パネルより

4. 外観(東側)

東に行きます。

北小後陣は、失われています。

東側外観

南小後陣は、半円形が残っています。

東側外観

5. 外観(西側)

西に行きます。

ファサードは西向きである。12世紀のロマネスク建築の典型であり、切削された花崗岩を用いて精密に築かれている。石材特有の滑らかな質感が、構成における異なる素材を引き立てるために活用されている。

扉口はヴィルフランシュ・ド・コンフラン(Villefranche-de-Conflent)産のピンク色の大理石で造られている。まぐさティンパヌムには、2種類の異なる色合いの大理石が使用されている。いくつかのアーキヴォルトで構成され、鋸歯状の帯装飾によって強調されている。

扉口

扉は、カタルーニャ地方特有の鉄細工で精巧に装飾されている。木材に打ち込まれた対称的な螺旋は、補強と装飾の両方の役割を果たしている。

窓も、ピンク色の大理石で作られ、扉口と似た構成です。

ファサードの美しさの多くは、石壁に施されたこれら美しい大理石の開口部によるものである。また、壁には12世紀の修道院長2人の墓所を示す、碑文が刻まれた2枚のピンク色の大理石の銘板がある。

6. 内観

教会の中に入ります。

ロマネスク様式の教会は1129年から1160年の間に建設された。11世紀初頭までは、教会は通常、木造の屋根で建てられていた。1000年以降、教会の身廊は体系的に石造のヴォールトで覆われるようになり、これがロマネスク建築の特徴のひとつとなった。

身廊にて東を向く

南側廊に行きます。

南側廊のヴォールトは低めで、四分円形をなしている。北側廊は、異なる構造をしており、おそらく1428年の地震後に再建されたものであろう。

南側廊にて北東を向く

南小後陣に絵画があります。

かつては、絵画で構成された大規模な壁画装飾が、建築物全体を覆っていた。

南小後陣にはその痕跡が残っており、全能のキリスト(ギリシャ語の「pantos」=「すべて」、「crator」=「創造主」に由来)が描かれている。

南小後陣

この場面には、天使たちに囲まれ、マンドルラの中に威厳をもって座するキリストが描かれている。彼は右手で祝福のしぐさをし、左手には聖書を持っている。その両側には、ギリシャ文字のアルファとオメガが記されており、これは『ヨハネの黙示録』の一節を引用している。

『ヨハネの黙示録』の1章8節、21章6節、22章13節をふまえて、全能者であることを示しています。

『ヨハネの黙示録』22章13節
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

この言葉は、旧約聖書に基づいています。

『イザヤ書』44章6節
イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。

線描はちからづよく、色の濃淡の対比が鮮やかで、ひきつけられます。

南小後陣

天使の表現も斬新です。手は折れ曲がり、体は三角です。

南小後陣

Prieuré de Marcevol。南小後陣の壁画が素晴らしいです。

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