クレルモン=フェラン(Clermont-Ferrand)<2>

Clermont-Ferrand、続きです。前回にBasilique Notre-Dame du Port をみたので、今回はCathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption と、その近くのグラ広場(Place des Gras)の角の建物の壁にあるまぐさをみます。

このまぐさの浮き彫りが、愛を説きます。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption へ

私はBasilique Notre-Dame du Portから、南西に450メートルほど歩いて、Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomptionに着きました。14時半頃のことです。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption(北側外観)

中に入ります。

Basilique Notre-Dame du Port の内観

教会の中の、全体の様子。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption(内観、身廊にて東を向く)

実は、地下聖堂を見たくて大聖堂に来ましたが、

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption(内観、北翼廊にて東を向く)

残念ながら閉鎖されていました。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption(内観、周歩廊にて南を向く)

「4世紀の石棺や6世紀の石棺が残り、大聖堂のかつての姿をとどめている」とゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』に書いてあったんです。

フロアプラン

大聖堂の中に非常用避難経路図がありました。北が上です。

大聖堂の中にあった非常用避難経路図

現在、地下聖堂はこんな姿のようです。その部分を拡大します。

大聖堂の中にあった非常用避難経路図、地下聖堂部分

これに対して、ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』による10世紀の地下聖堂の再現図が、こちら。

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』のフロアプラン

一部が残っていることがわかります。いつか、行くことができますように。

外に出ます。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption の外観:西扉口

19世紀に改築されたファサード。

Cathédrale Notre-Dame-de-l’Assomption(西側外観)

ヴォルヴィック石が重厚で、ファンタジー映画に登場しそうな姿です。

でも、私の目当てはこれを撮影した位置から、くるりと180度振り返った場所にあります。

建物に埋め込まれたロマネスク様式のまぐさ

上↑の写真を撮った場所で振り返ると、にぎわう街角が目に入ります。

Rue des Grasにて西を向く

上↑の写真で「Place des Gras」という青い表示の上に、小さいまぐさが埋め込まれています。

まぐさの概要

上↑の写真にうつっている案内板に記載がありました。一部を抜粋して太字で和訳します。

12世紀のまぐさ
グラ広場(Place des Gras)の角の建物の壁には、一枚岩のまぐさが埋め込まれている。ロマネスク様式で、フランス革命時に破壊された聖ペトロ教会にあったものである。

聖木曜日にイエスが使徒たちの足を洗った場面を表している。

Place des Grasにあるまぐさ

イエスとペトロは構図の中央に配置され、登場人物たちは空いたスペースをすべて使っている。

Place des Grasにあるまぐさ、部分

お調子者ペトロ

最後の晩餐のとき、有名な「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」という言葉の前に、イエスは弟子たちの足を洗います。

ヨハネによる福音書13章
1節: さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
2節: 夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
3節: イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
4節: 食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
5節: それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
6節: シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
7節: イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
8節: ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
9節: そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」

10節: イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」

このペトロって、たいそうお調子者です。「足だけでなく、手も頭も。」なんて、なかなか言えるもんじゃありません。

話がそれましたが、大事なポイントは、ペトロがお調子者かどうかではありません。

大事なポイントは、神は愛であると伝えること。足を洗うのは、謙遜と、愛の行為です。イエスは弟子たちに愛を示し、わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したんです。

この大事なポイントは、ラテン語で書かれている言葉でさらに強調されています。

Diligamus nos invicem

向かって左端の3人は、バナーを持っています。

Place des Grasにあるまぐさ、部分

”Diligamus nos invicem” と書いてあるようです。

これは、どうやら聖書のこの部分。

ヨハネの手紙一の4章
7節: 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

Epistula Ioannis I – Chapter 4
7 carissimi diligamus invicem quoniam caritas ex Deo est et omnis qui diligit ex Deo natus est et cognoscit Deum

互いに愛し合いましょう

Place des Grasにあるまぐさ、愛を説きます。

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