モザ(Mozac)<1>

2022年8月11日(木)の最後、五番目に訪れたのは Mozac。Abbatiale Saint-Pierreです。

ここは、もし12世紀の周歩廊や後陣が保存されていたら、オーヴェルニュの主要な五つの教会(イソワール、クレルモン、オルシヴァル、サン=ネクテール、サン=サテュルナン)に並び称されていたはずです。少し残念。

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps の『Auvergne Romane』より

でも、いかにも腕のある親方の工房でつくられた美しい12世紀の彫刻がいっぱい残っていて、昔の繁栄を教えてくれます。さらに、12世紀の豪華な聖遺物箱もあります。ロマネスク盛りだくさん。なので、2回に分けます。

<1>で概要と「貢納のまぐさ」と聖遺物箱について、<2>で柱頭彫刻について書きます。

Mozac へ

私はリオム(Riom)から西に6分ほど車を運転して、大きな修道院につきました。

17時半頃のことです。

Abbatiale Saint-Pierre(北側外観、エントランスポーチ)

中に入ろうとしたら「もうじき閉めますよ?」と言われて、びっくり。「急いで見学します」と言って中に入れてもらいました。

残念ながら、地下聖堂は、見学できませんでした。

Abbatiale Saint-Pierre(北側外観)

上↑の写真は「もう閉めます」と言われて外に出たあとで、18時過ぎに撮ったもの。

事前に調べたときには、閉まるのは18:30とか18:45とかきいていましたが、18時過ぎには閉め出されました。

私は小走りになりながら、地下聖堂以外の場所について、大急ぎで見学しました。

Abbatiale Saint-Pierre の概要

教会の中で小冊子を買いました。5ユーロでした。一部を抜粋して太字で和訳します。

年表
7世紀: 聖カルミニウスにより修道院が設立される。
9世紀: 聖アウストレモニウス(オーヴェルニュの初代司教)の聖遺物がヴォルヴィックからモザに厳かに移される。
12世紀:クリュニーに加盟(1095年)後、ロマネスク様式の大教会が建設される。
15世紀: 地震、ゴシック様式による一部再建。
18世紀:革命により修道士が退去。1791年、修道院付属教会が教区教会となる。
19世紀〜20世紀:12世紀にさかのぼる多数の遺構が発見される。

小冊子には、上記の年表に加えて文章で詳しい説明が書いてあります。一部を要約します。

7世紀に修道院が設立されたときの教会(Mozat I)の遺構が西側の鐘楼の一階に残る。ガロ・ローマ時代の建物から再利用した大きい石があり、一部は装飾されている。

Abbatiale Saint-Pierre(内観、鐘楼の一階)

アーチの下の巻物のような装飾の石が、古いやつ。

9世紀に聖遺物がもたらされたあとで今と同じくらいの規模に再建され(Mozat II)、その遺構は西側の鐘楼の二階と地下聖堂の一部に残る。
12世紀の再建(Mozat III)では、その大きさだけでなく美しさにおいても、地域で最も偉大な教会のひとつになった

12世紀にMozat IIIが完成した頃が、いちばん華やかだったようです。

小冊子には(ここはゾディアックを引用して)名前についても書いてありました。

MozacかMozatか?
綴りは何世紀にもわたって変化してきた。ラテン語で「水の中に置かれた」という意味のMauziacumが、Mozatに変わった。南オーヴェルニュでは、接尾辞の-acumが-atに変化するためである。現在では「Mozac」という綴りが主流となった。一方、発音は「モザック」ではなく「モザ」のままとなっている。(修道士 Craplet, Zodiaque, 1961による)

Mozacって書いてあるのや、Mozatって書いてあるのや、あちこちでいろいろ見かけて、どういうこと?と思ってたんですが、丁寧に説明してあってスッキリしました。

フロアプラン

教会の中で買った小冊子にフロアプランがありました。

教会の中で買った小冊子のフロアプラン

後陣がなくなったのが、惜しまれます。でも、数多くのロマネスク彫刻の傑作が残っています。

ロマネスク彫刻の代表作のひとつが、上↑のフロアプランで南翼廊の外側、50番の位置にあるまぐさです。

Abbatiale Saint-Pierre の外観:貢納のまぐさ」

必見の作品らしく、案内シートがおいてありました。南扉口から外に出ると東側にあります。

貢納のまぐさ」(仏:Linteau de l’hommage)と呼ばれているそう。

Abbatiale Saint-Pierre(南側外観、南翼廊)

南扉口の向かって右に、真新しいひさしで保護されているのが「貢納のまぐさ」。

前出のフロアプランで50の位置にあります。

Abbatiale Saint-Pierre(南側外観、「貢納のまぐさ」)

12世紀のロマネスク彫刻で、修道士が毎日7回の礼拝のために教会に入る扉の上に置かれていました。

中央にひときわ大きく描かれている聖母子がいて、向かって右隣には使徒ヨハネ、その隣に司教か修道院長が続いています。向かって左隣には使徒ペトロ、その隣に聖アウストレモニウス、そして、伏してへりくだる姿勢で貢納の儀式をする修道士が描かれています。

Abbatiale Saint-Pierre(南側外観、「敬意のまぐさ」、部分)

聖アウストレモニウスが、衣装も豪華で、すごくかっこ良く描かれています。

貢納の儀式とは、未来の家臣が膝をついて主君の手に自分の手を合わせ、自分を推薦し、主君への忠誠を誓う儀式である。その見返りとして、彼は主君の保護を受けることができた。

伝承によれば、12世紀の教会建設のきっかけとなったモザの修道院長ユスターシュ・ド・モンボワジエ(クリュニーの有名な修道院長である兄、尊者ピエールによって任命された)は、オーヴェルニュの初代司教である聖アウストレモニウスの執り成しによって自分の修道院を聖母に守ってもらうよう頼んだという。

クリュニーの影響力、恐るべし。

さらに、必見の作品が続きます。豪華な聖遺物箱です。

Abbatiale Saint-Pierre の内観:聖遺物箱

教会の中に戻って、南翼廊に行くと、かたく守られているものがあります。

前出のフロアプランで、49の位置。

Abbatiale Saint-Pierre(内観、南翼廊にて南を向く)

こちらも必見の作品らしく、案内シートがおいてありました。

聖カルミニウスの聖遺物箱(12世紀末、リモージュのシャンルベ・エナメル製)

Abbatiale Saint-Pierre(内観、南翼廊、聖カルミニウスの聖遺物箱)

金属の格子とガラスに守られていて、撮影しにくいったらありゃしません。

非常に大きいもので、長さは長さ82センチメートルあります。

モザ修道院長ピエール3世の依頼により、修道院の創設者である聖カルミニウスとナマディアの聖遺物を納めることを意図して制作されました。

ナマディア(仏:Namadie)って誰?と思って調べたら、どうやら、聖カルミニウスの妻のようです。

Abbatiale Saint-Pierre(内観、南翼廊、聖カルミニウスの聖遺物箱)

中央には、栄光のキリストと磔刑図が描かれていて、周りには12使徒がいます。

Abbatiale Saint-Pierre(内観、南翼廊、聖カルミニウスの聖遺物箱)

反対側には、聖カルミニウスが生前に三つの修道院を建設したこと、聖カルミニウスと聖ナマディアの死後の埋葬とモザ修道院長によるミサの様子が描かれている。妻飾りは、一方に聖アウストレモニウス、もう一方に聖母子が描かれている。んだそうです。私は写真を撮ることができませんでしたが。

次回、楽しい柱頭彫刻です。

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