2023年9月20日(水)の最後、二番目に訪れたのは Ganagobie、ノートル=ダム=ド=ガナゴビー修道院(Abbaye Notre-Dame-de-Ganagobie)です。
ここは、西扉口と床モザイクが傑作です。美しい石棺もあります。
2023年は、1月中旬の修道士の静修期間を除いて、火曜から日曜の15:00から17:00に見学可能でした。
目次
1. Ganagobie へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西扉口) .
5. 内観(石棺) .
6. 内観(回廊) .
7. 内観(床モザイク) .
1. Ganagobie へ
ガナゴビー(Ganagobie)は、フランス南東部のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=ド=オート=プロヴァンス県にある、人口約100人の村です。
見学者は、高原の入口にある駐車場に車を停めて、教会まで500メートルほど歩きます。
教会に着きました。
2. 概要
教会の中にリーフレットがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
ガナゴビー修道院は、デュランス(Durance)川を見下ろす平均標高650メートルの台地にある。その戦略的重要性から、青銅器時代(紀元前2000年)から人が住んでいた。
千年にわたる修道院の存在
9世紀:墓地に囲まれた修道院教会があった。約30の石の墓が発見されており、その中にはタウ型の牧杖を持った修道院長の墓も含まれる。
10世紀:システロン(Sisteron)の司教がここに修道院を設立。ノートルダムに捧げられた教会を建設。
939年:教皇ステファヌス8世が、ガナゴビーを含むクリュニー修道院の領地と属領を確認。
12~14世紀:繁栄期。しかし、13人以上の修道士を迎えることはなかった。
14~15世紀:1562年の宗教戦争でユグノーに略奪されるまで、衰退と再生を繰り返す。
16世紀:修復が試みられる。
1791年:革命により、建物は国有財産として売却される。
1891年:完全に放置されたあと、修道院とその敷地は、1865年に設立されたサント=マリー=マドレーヌ・ド・マルセイユ(Sainte-Marie-Madeleine de Marseille)のベネディクト会共同体に売却された。
1898~1900年:修道士たちにより、回廊と食堂が修復される。
1955年:歴史的建造物の同意を得て、モザイクの舞台となる教会の再建が計画される。
1957~1975年:教会の屋根を高くし、翼廊を再建する。
1976~1986年:ロマネスク様式のモザイク72㎡を修復。
1987年:修道院の所有者であるサント=マリー=マドレーヌ共同体は、ほぼ1世紀にわたって進められた修復作業の完了を決定。1992年に、共同体(18人の修道士)は修道院を復活させた。
この後も、リーフレットを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
リーフレットによる平面図です。
ロマネスク期の構造(11世紀:網掛け部分、12世紀第一段階:黒色部分、12世紀第二段階:太斜線部分)が残っています。
4. 外観(西扉口)
教会は12世紀第一段階に建築されました。
西扉口をみます。
円柱が左右に合計6本ありますが、軸が装飾されている柱が2本あります。
また、柱頭は主に植物の装飾なのですが、人の顔が描かれている柱頭が二つあります。
語る目を持つ人。
剣闘士たち(gladiateurs)が描かれている。
剣闘士?そのイメージは、なかったなあ。
まぐさには、使徒たちが描かれています。
使徒たちの足が、まぐさの形に合わせて描かれているところ、大好きです。
ティンパヌムでは、福音書記者たちの象徴が、主を取り囲み、称賛している。聖ヒエロニムスは、それらをキリストの四大秘義と結びつけている。まず、獅子(聖マルコ)は復活を、雄牛(聖ルカ)は受難を、有翼の人(聖マタイ)は受肉、鷲(聖ヨハネ)は昇天を想起させる。左右には、2人の天使が威厳をもってキリストを護衛している。この彫刻のアンサンブルは12世紀末のものである。
ティンパヌムの中央には「パントクラトル(全能者)」としてのイエスが描かれています。右手で祝福し、左手に聖典を持っています。
十字ニンブスと、ちょっと内股な足が好きです。
5. 内観(全体、石棺)
教会の中に入ります。
教会は修道院の北側を占めている。長さは37メートルで、三つの身廊からなり、三つの後陣を持つクワイヤへと続いている。
建設当時は非常に豊かな装飾(床モザイク、ステンドグラス、フレスコ画など)が施されていた。この教会が、セナンク(Sénanque)、ル・トロネ(le Thoronet)、シルヴァカーヌ(Silvacane)など、プロヴァンス地方の他のロマネスク様式の修道院と対照的であるとすれば、それがシトー派ではなくクリュニー派の影響を受けたものであることを忘れてはならない。
リュル(Lurs)の石棺
この美しく不思議な石棺は18世紀に発見され、リュル(Lurs)近郊の農場に運ばれ、1930年まで桶として使われていたようだ。その後、アヴィニョンの古美術商が手に入れ、ルネ・グットマン博士に売却され、彼の所有地の庭を飾るために使われた。1982年、所有者からの遺贈により、この教会に戻った。
この石棺の三面は、古風で素朴な浮き彫りで装飾されている。抽象的な組み合わせと、両腕を交差させてあげた(オラントか?)2人の裸体像が描かれ、一人は弓を持っている(狩りの場面か?)。
当初、この石棺は7世紀から8世紀のものと考えられていたが、次に12世紀のものとされた。
その後、最近の発掘調査に照らし合わせ、この石棺は修道院の初期、つまり9世紀のものではないかと考えられるようになった。
6. 内観(回廊)
回廊は12世紀第二段階につくられました。
見学者は、回廊に立ち入ることはできません。
でも、扉口や窓を通して、その姿を見ることができます。
様式化された葉で覆われたシンプルな柱頭で装飾されています。
現在の教会と同様、回廊もとても厳かです。
7. 内観(床モザイク)
床モザイクをみます。
リーフレットに全体図がありました。
1124年頃に制作され、最近修復されたこのモザイク画の面積は72平方メートルである。もともとはもっと広かった(82平方メートル)が、15世紀にドームが崩壊したときか、1794年に教会が取り壊されたときに中央部分が破壊された。その大きさと芸術性の高さは、フランスで唯一無二のものである。
中世のプロヴァンスは、文化・芸術運動の交差点であった。いくつかの装飾はロンゴバルドを彷彿とさせる。ライオンはペルシャの模倣で、ビザンチンの影響も感じられる。全体は東洋の絨毯を思わせる。
赤(砂岩)、白(大理石)、黒(石灰岩)の3色と無限の形が、素晴らしい動植物に命を吹き込む。想像と現実と神話が交錯する。
キリストの象徴である祭壇は、創造のイメージである動物たちに囲まれている。
北側の鳥のように、特定できない動物もいる。
一方、よく知られている動物もいる:木製の塔を持つ2頭の戦象、鷲、ライオンなどである。
象の隣に描かれている生き物は、サン=タンドレ=ド=ロザン(Saint-André-de-Rosans)のモザイクによく似ています。
モザイクの全体的なテーマは、善と悪の闘争です。
これらのイメージは、12世紀の修道士たちの経験を反映している。悪魔の力に対抗できたのは、厳しい禁欲主義によってのみであった。この戦いは、モザイクの北から南まで、三つの連続したエピソードで描かれている。北では、サテュロスに守られた騎士がキマイラを攻撃する。ここは悪の領域である。中央では、悪が善と肩を組み、両者が交錯する。射手(善)はライオン(悪)を殺そうとしている。南では、善が悪に勝利し、ドラゴンは貫かれて死ぬ。
伝統的に、典礼はベネディクト会の生活において不可欠な役割を果たしてきた。今日も昔と同様、修道士たちは1日に7回、クワイヤに集まる。彼らは聖歌を唱えながら、全人類の祈りを神に捧げる。
モザイクは、修道士たちのために描かれたのかもしれません。
ノートル=ダム=ド=ガナゴビー修道院(Abbaye Notre-Dame-de-Ganagobie)。西扉口と床モザイクが傑作です。美しい石棺もあります。
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