リヴァ・サン・ヴィターレ(Riva San Vitale)

2023年8月9日(水)、二番目に訪れたのは Riva San Vitale、Battistero di San Giovanni です。

ここは、初期キリスト教時代の建物と、フレスコ画が良いです。

毎日10:00〜18:00に開いています(2023年8月現在の情報です)。

目次

1. Riva San Vitale へ .
2. 概要 .
3. 平面図. 
4. 東側外観 .
5. 内観 .

1. Riva San Vitale へ

私はカステルセプリオ(Castelseprio)から北東に約20km、30分ほど運転して国境を越えました。

カステルセプリオ(Castelseprio)はロンバルディア州イタリア🇮🇹でしたが、ここ Riva San Vitale はティチーノ州スイス🇨🇭です。

でも、ティチーノ州はスイスの中でイタリア語だけを公用語とする唯一の州ですから、言葉はイタリア語のまま。

国境を越えるときは特に入国検査もなく、車を停車することはありませんでした。

でも、私は国境を越えてすぐにガソリンスタンドに行きました。

高速道路通行ステッカー(vignette)を買うためです。スイスの高速道路には料金所がありません。事前に vignette を買って車のフロントガラスの所定の位置に貼り付けます。vignette は、その年の12月31日まで有効で、料金は均一の価格(CHF40)です。

ちなみに、オンライン(https://via.admin.ch/shop/dashboard)で購入できるようになったらしい。フロントガラスに貼ったり剥がしたりする手間が省けます。

私はガソリンスタンドから北に約8km、12分ほど運転して、町の洗礼堂に着きました。12:15頃のことです。

南東側外観

Riva(岸)という名前が示す通り、ここは Lugano 湖畔の美しい町です。

2. 概要

私は、こちらの短い論文を読みました:Egon Canevascini『Il battistero di Riva San Vitale』Accademia di architettura Mendrisio, Università della Svizzera italiana, 2021。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

洗礼堂の原型は、初期キリスト教時代のもので、西暦500年頃に建てられた(1)

昔は、建物を取り巻く列柱郭(peribolo)があったんですって。

Susanne Steinmann-Brodtbeck による原型復元図に明確に示されている。

列柱郭(peribolo)が取り壊されて現在の姿になっていたとは、びっくりです。

この後も、Egon Canevascini『Il battistero di Riva San Vitale』を引用するときに太字で書きます。

3. 平面図

Egon Canevascini『Il battistero di Riva San Vitale』にあった平面図(建築家 Ferdinando Reggiori が1956年に描いた修復後の図面)です。東が上です。

建物は、正方形と八角形を組み合わせたプランで、東側にU字形の後陣が一つあります。

黒で示された、正方形で四つの窪みがある構造が西暦500年頃のオリジナル。U字形の後陣は、半円形の後陣があった場所に、9世紀〜10世紀に建てられたようです。

4. 東側外観

U字形の後陣は、基礎部分は古い構造が残っているようですが、上部は修復されたことが分かります。

南東側外観

もし、建物を取り巻く列柱郭(peribolo)が残っていたら、さぞかし立派だったでしょう。

5. 内観

洗礼堂の中に入ります。

床には、白と黒の多角形による装飾が今も一部に残っています。

そして、中央に大きな洗礼盤があります。

洗礼堂内にて北を向く

四つの窪みのうち東側の二つ、勝利アーチ、そして後陣に、フレスコ画が残っています。

洗礼堂内にて東を向く

建物と内部の作品の現状については『Guida d’arte della Svizzera italiana』(2)に詳しい:「1000年頃、洗礼儀式の典礼の変更に伴い、下部の泉水盤は直径2.25mの一枚岩の泉水盤に覆われ、床が高くなった。北西のニッチ:Arzo 産大理石の洗礼盤、1613年。ロマネスクとゴシックのフレスコ画。祭壇背後の後陣にある;磔刑像の断片、1010-30年頃;左側:福者Manfredo Settalaの像の断片、15世紀後半;内陣:アーチに2対の聖人が描かれ頂点の部分に天使が描かれた後期ロマネスク様式の絵画、13世紀初頭、;これらのフレスコ画の下には、花のモチーフを用いた古い装飾の跡があり、後陣の磔刑像と同時代のものと思われる;アーチを受ける左の角柱:助祭の聖人、14世紀前半。後陣の左右にある二つの窪みには、1270年頃、聖母(右)とイエス(左)に捧げられたフレスコ画がある。右の窪みには、上に、マンドラの聖母被昇天が描かれている;下は、聖ヨセフと羊飼いたち(右)と新生児のための産湯の準備(左)を伴うビザンチン様式のイエスのご生誕(聖母が横たわっている)。左の窪みには、マンドルラのキリストと四福音書記者たちの象徴が描かれた最後の審判がある;祝福された者の復活(左)、地獄の苦しみ(右)(…)」

個人的に気になったフレスコ画を拡大してみます。

後陣:磔刑像の断片、1010-30年頃

イエスの細い体が痛々しいです。

磔刑像の断片、1010-30年頃

内陣:アーチに2対の聖人が描かれ頂点の部分に天使が描かれた後期ロマネスク様式の絵画、13世紀初頭

こちらは勝利アーチ。華やかな場面です。

2対の聖人と天使、13世紀初頭

Battistero di San Giovanni。初期キリスト教時代の建物と、フレスコ画が良いです。

Egon Canevascini『Il battistero di Riva San Vitale』における脚注(1) . ↩️

Martinoli, Simona, et al.. Guida d’arte della Svizzera italiana, 418-419. Bellinzona: Edizioni Casagrande, 2007

Egon Canevascini『Il battistero di Riva San Vitale』における脚注(2) . ↩️

Guida d’arte della Svizzera italiana, 419. Bellinzona: Edizioni Casagrande, 2007.

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