バジェホ(Vallejo)

2023年5月11日(木)、二番目の訪問地は Vallejo。Iglesia de San Lorenzo です。

ここは、外観では内陣と後陣と西扉口、内観では身廊、内陣と後陣の彫刻が素晴らしいです。

シオネス(Siones)を事前に予約するとき、私はWhatsAppで「11時にSionesを、その後にVallejoを訪問したいです」と依頼しました。「問題ありません」と返信がありました。有料です(SionesとVallejo、それぞれ€2)。

目次

1. Vallejo へ .
2. 概要 .
3. 平面図 . .
4. 東側外観(後陣、内陣) . .
5. 北側外観(北扉口) .
6. 南側外観(南扉口) .
7. 西側外観(西扉口) . .
8. 内観 . .
 8-1. 身廊  . .
 8-2. 内観  .
 8-3. 後陣.
脚注 (1) ヨハネの黙示録13章 .
脚注 (2) 聖マルティヌス .

1. Vallejo へ

私は、ガイドや他のツアー参加者たちと車を連ね、シオネス(Siones)から北東に約3km、5分ほど運転して、 小さな村の丘の上にある、厳かな教会に着きました。12:00頃のことです。

北東側外観

美しい切り石が積み上げられた後陣には、持ち送り、柱頭、持ち出し、、、たくさん彫刻が施されています。

すごい迫力。

2. 概要

現地には案内板が見当たりませんでした。ガイドから私が聞きとった話やRománico Digital による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

この教会は、doña Enderquina de Menaという貴族の女性によって、エルサレムの聖ヨハネ騎士団のに寄贈された。それを示す碑文が教会内部の墓碑に残されている。

建物の建築は、二つの段階に分けられる。第一段階では12世紀末頃に内陣と後陣が建築され、第二段階では13世紀初め頃に身廊が建築された。

この後も、ガイドから聞きとった話や Románico Digital を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。

Románico Digital による平面図

さっそく、見学です。

4. 東側外観(後陣、内陣)

後陣と内陣には、軒下に持ち送りと柱頭があります。窓は五つ(後陣に三つ、内陣に二つ)あります。

持ち送りと窓の間には、特徴的な盲アーチがあり、アーチの下に持ち出し(アーチや丸天井を支える出っ張った石)があります。

東側外観

特に注目したいのは、内陣南の柱頭です。

向かって左には、四足獣の顎に手を突っ込む人物がいます。

中央には、ヴェールをかぶり、長い袖の衣服を着て、左腕に鳥を持っている女性がいます。

向かって右には、腰に剣を下げ髭を生やした騎士が、馬の脚で、倒れている長い髪の人物を踏みつけています。騎士は右手をあげ、中央の女性に声をかけているように見えます。

内陣南の柱頭
内陣南の柱頭(別角度)
内陣南の柱頭(別角度)

貴婦人と騎士の図はロマネスク教会でときどき見かけます。でも、その隣に四足獣の顎に手を突っ込む人物がいるのは、ちょっと謎です。

5. 北側外観(北扉口)

建物に扉口は三つあります。

一番豪華なのが西扉口、次に装飾が多いのが南扉口で、北扉口は比較的質素です。

北扉口には、左右に2本ずつ柱が並びます。

北側外観

この北扉口は、赦しの門(Portada del Perdón)として知られています。聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着くことができなかった巡礼者たちが、この扉口をくぐれば聖地に着いたとみなされることから、巡礼者たちの支えになってきました。

6. 南側外観(南扉口)

南扉口には、柱が左右に3本ずつ並びます。

南扉口

幾何学模様や植物模様が中心の装飾です。

南扉口
南扉口

でも、一部に人物が描かれています。

7. 西側外観(西扉口)

一番豪華な扉口、西扉口です。

左右に4本ずつ柱が並びます。

西扉口

植物や幻想的な生き物たち

西扉口
西扉口

蛇たちに苛まれる女性、ケンタウロス、巡礼者、だと思います。

西扉口
西扉口

ハルピュイアたち、女性たち、貴婦人、ケンタウロス、兵士たち、だと思います。

西扉口
西扉口

アダムとエバ、音楽家、天使、鎖につながれた女性、だと思います。

西扉口
西扉口

世俗の人々から、幻想的な生き物たちまで、盛りだくさんです。楽しい。

ガイドツアーは、西扉口から教会の中に入ります。

8. 内観

教会の中に入ります。

身廊にて東を向く
8-1. 身廊

身廊の西端にロフトがあり、行くことができます。

眺めが良いです。

ロフトにて東を向く

ロフトの上からは、一部の柱頭彫刻を間近で見られます。

戦う騎士たち

ふと気づくと、他の参加者たち(ガイドを含め、みなさん、とても柔和でした)が、私の名前を呼んでいました。私が行ってみると、彼らは「この彫刻を見ましたか?素敵でしょう?」と笑顔で教えてくれました。(私がこれを見逃すことの無いよう、気遣ってくれました。)

魚です。

戦う騎士たち(別角度)

柱身に、ひっそりと、彫ってあります。素敵です。

魚の彫刻がある柱の北向かいには、植物の柱頭彫刻があります。

植物の柱頭彫刻

ロフトから、下におります。

爬虫類のような尻尾と鳥のような翼と頭を持つ生き物が2匹います。その生き物たちは、一方がもう一方のクチバシを噛んでいます。

鳥のような翼と頭を持つ生き物たち

その横には、舟を漕ぐ人の姿が見えます。

別の角度から見ると、舟には、漕ぎ手を含めて9人もの人が乗っているようです。

舟に乗る9人

Paloma Rodríguez-Escuderoは、留保をつけつつも、海路でサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者の一団を描いていると見ているのだそうです。

なるほど、それ、ありそう。

舟に乗る9人の柱頭の北向かいには、植物の柱頭彫刻があります。

植物の柱頭彫刻

動物たちや人物たちの顔がところどころに描かれています。

8-2. 内陣

内陣をみます。

身廊にて東を向く

勝利アーチの南は、七つの頭を持つ生き物が2匹、向かい合っています。

ヨハネの黙示録13章(1)の、海の中から上って来る獣かもしれません。

七つの頭を持つ生き物たち

恐ろしい怪物のはずなのですが、どこか、愛嬌があります。

勝利アーチの北は、動物の頭部の柱頭の横に、2人の人物が描かれています。

向かって左の人物は、右手に持つ剣で布を切り、隣の人物に与えているようです。聖マルティヌス(2)だと思います。

聖マルティヌス

すました顔のハルピュイアも、なかなか、良い味を出しています。

8-3. 後陣

後陣には、謎めいた柱頭彫刻があります。

後陣南にあるのが、棺と人々。

後陣南

この場面については様々な解釈があるようです。使徒聖ヤコブの遺骸の発見と埋葬を指している可能性や、ラザロの復活を表現したものであるという可能性が考えられています。

後陣北にあるのが、動物たち。

中央に大きな角を持つヤギのような四足獣がいて、両側にネコ科の動物がいます。そのうちの1匹は、中央の四足獣の後ろ足を噛んでいます。

後陣北

羊の顔も描かれています。かわいい。

Iglesia de San Lorenzo。外観では内陣と後陣と西扉口の彫刻、内観では身廊、内陣と後陣の彫刻が素晴らしいです。

脚注 (1) ヨハネの黙示録13章 ↩️

1: わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒瀆するさまざまの名が記されていた。
2: わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。
3: この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
4: 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」
5: この獣にはまた、大言と冒瀆の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。
6: そこで、獣は口を開いて神を冒瀆し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒瀆した。
7: 獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。
8: 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。
9: 耳ある者は、聞け。
10: 捕らわれるべき者は、/捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、/剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

脚注 (2) 聖マルティヌス ↩️

西暦330年ごろ、ローマ軍の仕官だったマルティヌスは、ガリアのアミアンに派遣されていました。とても寒い晩、半裸で震えている物乞いを見て、気の毒に思ったマルティヌスは自分のマントを半分に切り裂き、物乞いにかけてやりました。イエスの言葉「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)を実行したのです。やがてキリスト教徒になったマルティヌスは除隊。その後、ガリア地方初の修道院をリグジェ(Ligugé)に設立し、トゥール(Tours)の司教になりました。田舎に福音を伝道し、小教区を設立するなど、ガリア地方の布教者として初期キリスト教時代の信仰に決定的な影響を与えました。

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