2025年7月27日(日)、最初に訪れたのはBarberà del Vallès、Església de Santa Mariaです。
ここは、二つの異なる色調の石材を優雅に組み合わせた、後陣や鐘楼の外観が美しいです。また、内部では三後陣の壁画が素晴らしいです。
2025年、教会は、毎週日曜の聖ミサが始まる前に訪問できました。私は事前に教区に問い合わせて日曜の聖ミサが12:00に始まること、11:30に訪問できることを確認しました。
目次
1. Barberà del Vallès .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観(主後陣) .
6. 内観(北小後陣) .
7. 内観(南小後陣) .
1. Barberà del Vallès
バルバラ・ダル・バリェス(Barberà del Vallès)は、カタルーニャ州バルセロナ県にあり、州都であり県都であるバルセロナの約50km北西に位置します。
教会は、町の北東端、リポイ(Ripoll)川の西岸にあります。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サンタ・マリア・ダ・バルバラ教区教会(església parroquial de Santa Maria de Barberà)は11世紀初頭から記録に残っている。
ただし現存する建物は11~12世紀のロマネスク様式の建築で、単身廊、三つの後陣、鐘楼を備え、初期ロマネスク様式あるいはロンゴバルド様式の建築の特徴を示している。
内部には12~13世紀の重要なロマネスク様式の壁画群が保存されており、三つの後陣を飾っている。
考古学的発掘調査により、この場所にロマネスク様式の教会が建立される以前に墓地が存在したことが明らかになった。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が右です。

この後は、教会の中でもらったリーフレットを引用する時に太字で書きます。
4. 外観
南東に行きます。
西暦1000年頃、レコンキスタの過程におけるキリスト教徒とアラブ人の境界線はリュブラガート(Llobregat)川に設定されていた。バジェス(Vallés)地方は社会的な刷新期を迎え、信徒たち自身による資金提供と一部建設による教会建築が行われた。
後陣は1050年から1090年の間に建設された(最初の記録は1123年)。一方、身廊は12世紀の建造である。1116年頃、聖オレガリウス(Sant Oleguer)司教によって奉献された。

北に行きます。
二つの異なる色調の石材を優雅に組み合わせ、細部にまで注意を払って建造された。

盲アーチと鐘楼を囲む鋸歯状のフリーズが、その質素な装飾の中で際立っている。

南西に行きます。
スペイン内戦中、1936年7月21日の火災と略奪により、絵画、文書、礼拝用具の一部が失われた。1946年には戦争による破壊が修復され、1966年には湿気と換気不足による損傷が修復された。

5. 内観(主後陣)
教会の中に入ります。

壁画のコレクションは1200年頃に制作された。後に、他の芸術様式で切石を模倣するため、漆喰で覆われた。
バロック様式やルネサンス様式の祭壇画の背後に隠されたままだったが、1919年に再発見された。それらは、自然な感情表現を示す物語全体の場面で相互に関連した人物像で構成されている。

主後陣には栄光のキリストやイエスの生涯が描かれ、北小後陣には聖十字架の発見物語が描かれ、南小後陣にはイエスが聖ペトロと聖パウロに律法を授与する「トラディティオ・レギス(Traditio Legis)」が描かれています。
まず、主後陣の壁画をみます。
3段にわたって、具象的な壁画があります。
上段(四分球部分)では、栄光のキリストが四福音書記者の象徴に囲まれています。

中段と下段(半円筒形部分)には、イエスの生涯が描かれています。
中段は左(北)から順に「受胎告知」、「ご訪問」、「ご生誕」、「イエスの洗礼」、「羊飼いたちへの告知」、「アダムとエバ」が描かれていると思います。

「アダムとエバ」は、不思議なことに、2人の人物がどちらも女性っぽく描かれています。

下段は左(北)から順に「ソロモンの裁き」、「ヘロデ王」、「東方三博士の礼拝」、「聖母子」、「エルサレム入城」、「エルサレム」が描かれていると思います。
「ヘロデ王」と「東方三博士の礼拝」は、東方三博士がヘロデ王に会う場面と、東方三博士が礼拝する場面が、ひとつながりで描かれています。

幼年伝である「東方三博士の礼拝」から急に、場面は、受難伝である「エルサレム入城」に展開します。

6. 内観(北小後陣)
次に、北小後陣の壁画をみます。
「聖十字架の発見」が描かれていると思います。
上段(四分球部分)には、立派な聖十字架の両側には、豪華な衣装をまとったコンスタンティヌス帝と聖ヘレナがいます。
コンスタンティヌス帝は、まるで聖人のように、ニンブスをつけています。

中段(半円筒形部分)には、ユダが描かれています。こちらのユダは、聖ヘレナに聖十字架の場所を教えた人物です。
聖十字架については、さまざまな伝説があります。大雑把に言うとこんな感じです。
始祖アダムの子であるセトが原罪の木の種を得て、亡くなった父アダムの口元に置いた。アダムの墓の上に生えた木は、後にソロモン王によって伐採されて橋にされた。ソロモン王に謁見しに来たシバの女王がその橋を渡ろうとした時、啓示によって、将来救世主が磔にされる木であることを知る。シバの女王からその話をきいたソロモン王は橋を取り除かせ木を埋めさせた。しかし木は再び発見されて受難の具となった。その後、コンスタンティヌス帝は夢で十字架の印の下に身を置くようにというお告げを受ける。コンスタンティヌス帝の母ヘレナは奇跡の木を取りにエルサレムへ赴く。そこでは、ユダという男が木のありかを知っていたが場所を教えないため拷問にかける。その後ユダは十字架の場所を告白しヘレナは神殿を打ち壊させて十字架を発見した。
「IVDA」という文字が読めます。

7. 内観(南小後陣)
最後に、南小後陣の壁画をみます。
上段(四分球部分)には、イエスが聖ペトロと聖パウロに律法を授与する「トラディティオ・レギス(Traditio Legis)」が描かれていると思います。
二人はそれぞれ鍵と書物を携えています。

中段と下段(半円筒形部分)には、聖ペトロと聖パウロの生涯と殉教の場面が描かれていると思います。
中段の左(北)側では、聖ペトロと聖パウロが建物の中にいる人たちに説教をしているようです。

中段と下段(半円筒形部分)の右(南)側には、聖ペトロと聖パウロの殉教が描かれています。聖ペトロは逆さ十字架で磔刑に処され、聖パウロは斬首されています。
下段の左(北)側では、聖人たちが使徒たちの殉教を見守っているようです。

Románico Digital によると、三後陣の壁画は、二つの異なる工房が手がけたと考えられています。ひとつの工房は南北小後陣と交差部(失われましたが交差部には天井画がありました)、もうひとつの工房は主後陣とその周辺を担当しました。(なお、主後陣を担当した工房は、Sant Vicenç de Cardona のポルティコも担当したと考えられています。)南北小後陣は主後陣よりも前に描かれたと考えられていて、南北小後陣は12世紀前半から1200年頃までに、主後陣は13世紀初頭に描かれたと特定されています。
とはいえ、キリストの犠牲による救済を伝える図像プログラムには一貫性がありますから、ひとつの構想のもとに制作されたと考えて良いと思います。
Església de Santa Maria。二つの異なる色調の石材を優雅に組み合わせた、後陣や鐘楼の外観が美しいです。また、内部では三後陣の壁画が素晴らしいです。
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