サン=ティムティエール=シュル=ヴァルーズ(Saint-Hymetière-sur-Valouse)

2022年9月18日(日)、二番目に訪れたのは Saint-Hymetière-sur-Valouse。Église de Saint-Hymetière です。

ここは、11世紀に建てられた主後陣と南小後陣が素晴らしいです。

目次

Saint-Hymetière-sur-Valouse へ
概要
フロアプラン
内観:全体
内観:南側廊
内観:主後陣と南小後陣
外観:南側と東側

Saint-Hymetière-sur-Valouse へ

Saint-Hymetière-sur-Valouse も、ジニー(Gigny)と同じくブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏にあります。

夫と私はジニー(Gigny)から南東に約22km、車を24分ほど運転して、村はずれにぽつんと佇む教会に着きました。13時頃のことです。

Église de Saint-Hymetière(北西側外観)

北西側は、後代の改築があらわです。

概要

教会の中にたくさんの案内がありました。一部を抜粋して太字で和訳します。

村の名前の由来となった聖人については、ほとんどわかっていない。17世紀に歴史家ジャン・ジャック・シフレ(Jean-Jacques Chifflet)が収集した伝承によると、ヴァルーズ渓谷に移住してきたサンクロード(Saint- Claude)のコンダ(Condat)大修道院の修道士であった。

彼の墓は後の修道院の核となり、最近の聖遺物の調査で5世紀後半の人物と判明した。

建物は11世紀に建てられたもので、サン・ヴァンサン・ド・マコン(Saint-Vincent de Mâcon)大聖堂参事会に属していた小修道院の教会であった。残されている部分の建築様式は、マコン地方のロマネスク教会に近く、ブルゴーニュの棟梁が介入した可能性が高い。

教会の近くにあった小修道院は、15世紀にルイ11世によって村が焼き払われたとき、おそらく廃墟と化した。村は少し離れた場所に再建されたため、教会はやや孤立してしまった。17世紀には、北小後陣の聖具室化、西側ファサード、ポーチ、ヴォールトといった大工事が行われた。

私が撮った写真を見ながら現地の案内を引用するときも、太字で書きます。

フロアプラン

現地にフロアプランがありました。東が上です。

濃い色の部分がロマネスク期、薄い色の部分が後代です。

内観:全体

石肌が美しいです。

身廊にて北東を向く
身廊にて東を向く
身廊にて南東を向く

特に美しいのが、南側廊。

内観:南側廊

わお。

太い柱と、不揃いな石が丁寧に積まれている様子に、うっとりします。

南側廊にて南東を向く

さらにすごいのが、主後陣と南小後陣。

内観:主後陣と南小後陣

南小後陣、なんとも言えないこの美しさ。

南小後陣

主後陣。。。

南翼廊にて北東を向く

主後陣は、息をのみました。

主後陣

ただの、簡素な盲アーチなんですが。

北翼廊にて南東を向く

感動のあまり、しばらくボーっと眺めていましたが、ふと、我にかえって「あ、外からみなきゃ」と思いました。

外観:南側と東側

教会の周りは墓地です。

Église de Saint-Hymetière(南側外観)

付け柱と盲アーチが美しい。

東側外観

見学の終わりに

Église de Saint-Hymetière。11世紀に建てられた主後陣と南小後陣が素晴らしいです。

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