ピュイペルー(Puypéroux)

2024年5月2日(木)の最後、四番目に訪れたのはPuypéroux、Ancienne abbaye de Puypéroux à Montmoreauです。

ここは、七つの美しい放射状祭室を持つ後陣、特徴的な周歩廊を持つクワイヤ、クワイヤの柱頭彫刻が素晴らしいです。

私は事前に役場(mairie)に問い合わせて訪問を予約しました。

目次

1. Puypéroux へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .

1. Puypéroux へ

ピュイペルー(Puypéroux)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏シャラント県の村です。同県のあたりは県庁所在地であるアングレーム(Angoulême)を歴史的な中心地とし、アングモワ(Angoumois)地方と呼ばれます。ピュイペルー(Puypéroux)は、アングレーム(Angoulême)の約21km南にあります。

豊かな緑の田園の中に、たくさんの放射状祭室を持つ大きな教会が現れました。

北側外観

きっと、かつては盛えた修道院だったのでしょう。

2. 概要

教会の中に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

伝説

聖アエギディウス(Saint-Gilles)は、ラ・クーロンヌ(La Couronne)にサン・ジャン・ド・ラ・パルッド教会(église Saint-Jean de La Palud)を建設していた。建築が終わると、彼はハンマーを手に取り、空中に投げた。そしてハンマーはピュイペルー(Puypéroux)に落ちた。聖人は、ハンマーが落ちた方向に急いだ。しかし、ムーティエ(Mouthiers)を通り過ぎると、聖コスマと聖ダミアノが教会を建て始めていた。「私たちの仕事を手伝ってください」と聖コスマは言った。聖アエギディウスは同意したが、すぐに病気になった。医師であった聖コスマに治してもらった後、彼は戻りたいと願った。聖コスマが「私はあなたの病気を治しました。あなたは私に何をしてくださいますか?」と尋ねた。聖アエギディウスは答えた。「干ばつの時には、私のところに来て水を求めてください。水を差し上げます。」聖アエギディウスの石工の伝説に、泉の伝説が加わった。聖アエギディウス(Saint-Gilles)の泉はピュイペルー(Puypéroux)の丘のふもとにある。

ハンマーと泉の伝説には、キリスト教以前の信仰の影響を感じます。私は、ビオレ(Biollet)コロンビエ(Colombier)といった村で知りました。ゲルマン人は、ハンマーを投げて敷地を象徴的に示すという儀式を執り行いました。また、古代ケルトの神スケルス(sucellus)は、ハンマーで地面を叩いて土地を肥やしたり、泉を出現させたりしました。こうした伝説とからめると、聖人の特別さが伝わりやすかったのかもしれません。

歴史

考古学者たちは、修道院教会は10世紀以前に着工され、11世紀と12世紀に改築し、最初の着想を拡張したのではないかと考えている。しかし、聖アエギディウス(仏:Saint-Gilles)教会は本当に完成したのだろうか?

1170年、教皇アレクサンデル3世が発布したブランザック(Blanzac)支部の特権と権利を確認した勅書には、この修道院教会について「この支部の起源である由緒あるベネディクト会修道士たちによって、ガリアの広大な砂漠に設立された最古のもの」のひとつと記されている。

1226年、修道士たちはブランザック(Blanzac)に引き揚げ、自分たちで建てたサン・アルテミー教会(collégiale Saint-Arthémy)の律修司祭(chanoines)となった。ブランザック(chapitre de Blanzac)は、ピュイペルー(Puypéroux)の精神的領主であり続け、修道院(abbaye)、町、土地、教区全体を所有した。サン・ブノワのかつての弟子たちは、未完成の美しい旧教会から教区教会を建設し、やがてフランス革命まで Saint-Eutrope の付属教会となった。

コンポステーラに向かう巡礼者たちは、モンモロー(Montmoreau,)、シャレ(Chalais)、オーブテール(Aubeterre)に向かう前に、聖アエギディウス(Saint-Gilles)の墓の近くに立ち寄ったと思われる。

この後も、案内掲示を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内掲示による平面図です。東が上です。

案内掲示より

五つの柱間を持つ単身廊が、クワイヤ、後陣に続きます。

クワイヤに周歩廊があるのが興味深い。

また、後陣に七つの放射状祭室があるのが特徴的です。

4. 外観

西に行きます。

後陣を外側からみるためには、学校の敷地内に入らねばなりません。

幸い、学校の守衛さんに事情を話すと快く校内への立ち入りを許してくれました。

南東側外観

後陣は美しいし、学校の生徒さんたちがみんな明るく爽やかに挨拶してくれて、私はうれしい気持ちになりました。

西に行きます。

南西側外観

案内掲示に修復前の写真がありました。

案内掲示より

修復前、身廊の屋根は崩落していたようです。

5. 内観

教会の中に入ります。

身廊にて東を向く

ドームの真下に祭壇があり、クワイヤの端を抜けて後陣に行くための周歩廊が設けられています。

周歩廊は、西側が曲線で、東側が直線です。

身廊にて北東を向く
クワイヤにて北東を向く
北周歩廊にて東を向く

後陣には、七つの小さな祭室が放射状に並びます。

クワイヤにて東を向く

クワイヤの柱頭彫刻が素晴らしい。

クワイヤはドームの下にありますが、ドームを支える柱頭が秀逸です。

クワイヤの柱頭

幻想的な生き物たち、奇妙な姿の人物たち。

クワイヤの柱頭

ドームの外側で、外壁のアーチを支える柱頭のひとつ。

音楽家と舞踊家のようです。

クワイヤの柱頭

Ancienne abbaye de Puypéroux à Montmoreau。七つの美しい放射状祭室を持つ後陣、特徴的な周歩廊を持つクワイヤ、クワイヤの柱頭彫刻が素晴らしいです。

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