シャロン=アン=シャンパーニュ(Châlons-en-Champagne)<Cathédrale>

2025年5月21日(水)、三番目に訪れたのはChâlons-en-Champagne、Cathédrale Saint-Étienneです。

ここは、北塔と地下聖堂にロマネスク建築が残っています。宝物室には素晴らしいステンドグラスがあるようです。

2025年、大聖堂は4月1日から10月31日は毎日10:00〜17:45、11月1日から3月31日は月曜から土曜10:00〜15:45に開いていました。

ただし、宝物室と地下聖堂は閉まっていました。いつ再開されるのか不明でした。

Châlons-en-Champagne では、3か所に行きました。以下のように3回に分けて書きます。
<1> Cathédrale Saint-Étienne
<2> Église Collégiale Notre-Dame-en-Vaux
<3> Musée du cloître de Notre-Dame-en-Vaux

目次

1. Châlons-en-Champagne .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(北塔) .
5. 内観(地下聖堂) .
6. 内観(宝物室) .

1. Châlons-en-Champagne

シャロン=アン=シャンパーニュ(Châlons-en-Champagne)は、グラン・テスト地域圏マルヌ県の県都で、グラン・テスト地域圏の首府ストラスブールの約250km北西、首都パリの約150km東にあります。

大聖堂は、町の中心にあります。

北側外観

2. 概要

大聖堂の中にリーフレットがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

歴史的概略

1680年3月7日、大公の息子の結婚式が司教邸の礼拝堂で行われた翌日、ルイ14世は大聖堂に入るとこう宣言したと言われる。「これは我が王国で最も美しい礼拝堂である」。実際、中世の建築家たちが夢見た「壁のない大聖堂、ガラスの大聖堂」を、この場所で実現したと言えるであろう。

現在の大聖堂は幾度もの改修を経ている。12世紀に建設され、1147年10月26日に教皇エウゲニウス3世(クレルヴォー修道院の元修道士で聖ベルナルドゥスの弟子)によって奉献された建物は、1230年に落雷と火災で焼失した。現存するのは北塔と地下聖堂のみで、いずれもロマネスク様式である。

数年後、ゴシック様式による再建が始まった。北扉内(左翼廊)と身廊の七つの柱間は13世紀に遡る。後陣の祭室は14世紀に建てられた。17世紀には、身廊に既に存在していた柱間に、ゴシック様式の柱間が二つ追加され、当時のルネサンス様式による主扉口が建設された。
1668年、1520年に北塔に建立された優美な尖塔が落雷によって崩壊した。倒壊時に屋根、ヴォールト、主祭壇を破壊し、クワイヤ下の地下聖堂にまで到達した。修復は直ちに開始された。これがヴォールトに刻まれた年号(1668年)と、主祭壇後方の四本の柱の様式を説明している。

19世紀には幾度かの大規模な再建が行われた。身廊のヴォールトは完全に再構築され、17世紀に身廊の支柱に組み込まれた側礼拝室は撤去された。これにより、1階部分の盲アーケードが再建され、窓とステンドグラスの大規模な修復が行われた。
20世紀に入ると、二度の世界大戦中に空襲で深刻な被害を受けた。1916年と1918年3月には周歩廊と後陣祭室が、1940年5月には屋根が、1944年7月には北側廊が破壊された。

北塔に宝物室があります。

大聖堂参事会室の旧宝物室が失われたことは惜しまれるが、1958年に美術学校が北塔のロマネスク様式の礼拝堂という壮麗な空間に新設した新宝物室には、感嘆の念を抱かざるを得ない。
この宝物の中で最も注目すべきものは、マルヌ県公文書館長ガンディヨン(Gandilhon)氏が、シャロン大聖堂のロマネスク宝物室の紹介パンフレットの中で「信じがたいほどのロマネスク様式のステンドグラスコレクション」と呼んだものである。これらの12世紀のステンドグラスは、大聖堂の13世紀のゴシック様式の窓に分散して設置されていたが、著名な専門家、特にグロデツキ(Grodecki)氏の尽力により修復され、人工照明を備えた三つの窓に展示されることとなった。
最大規模のものは贖罪の窓である。中央には青地に赤い円を配した緑の十字架に、見事に浮かび上がる磔刑のキリストが立つ。両側には聖母マリアと聖ヨハネが配置されている。このステンドグラスの意味を捉えた銘文はこう記す: 「古きアダムがもたらした罪を、新しきアダムすなわちキリストが打ち消し、十字架に釘付けにした」中央パネルを囲む各場面は次のように配置されている:まず四つの小窓に、聖杯を持つ教会、目を覆ったシナゴーグ、左にアブラハムの犠牲、右に青銅の蛇、そして十字架刑の図像。次に中央部の四隅には、エメラルドグリーンの背景に四つの人物像が浮かび上がる。死と罪への勝利の神秘を示す:ダビデ王(『詩編』5:13)、ガザの門を運び去るサムソン(『士師記』16:3)、ヨブとレビヤタン(『ヨブ記』40:20)、預言者ホセア(ホセア書13:14)。最後に、輝く赤の葉の枠には、カナンのぶどうのエピソードと、エゼキエルの幻視(『エゼキエル書』9:3)が描かれている。その下には、門の鴨居に塗られた過越の小羊の血と、サレプタのやもめのエピソード(列王記上17:12)が描かれている。

リーフレットより(「贖罪の窓」12世紀)

第二の窓には、おそらくキリスト誕生の窓だったものの残存部分がまとめられている。ヘロデ王の前に立つ東方三博士、エジプトへの逃避、神殿での奉献といった場面である。

第三の窓には、黄金伝説に基づく聖ステファノの遺骨発見に関連するいくつかの場面が描かれている。

この後は、現地にあった説明を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

リーフレットによる平面図です。東が上です。

リーフレットより

4. 外観(北塔)

北塔は、12世紀に遡ります。

北塔

5. 内観(地下聖堂)

大聖堂の中に入ります。

身廊にて東を向く

クワイヤの下に地下聖堂があります。

でも、中に入ることはできませんでした。

周歩廊にて西を向く

金属柵のあいだから覗くと、地下聖堂の床には様々な彫刻の断片が置かれていました。

長いこと、地下聖堂の中に訪問客を受け入れてないのかもしれません。

周歩廊にて地下聖堂を向く

クワイヤの下には、半地下のロマネスク様式の地下聖堂が広がっている。地下聖堂の西側部分だけが、ロマネスク様式の構造を保っている。この部分は、多角形の柱頭と独立した柱の上に架けられた、交差アーチで部分的に覆われている。

地下聖堂の前に掲示されていた説明には、地下聖堂の写真がありました。

柱頭には、様式化された植物が彫られているようです。

現地に掲示されていた写真より

6. 内観(宝物)

北塔に宝物室があります。

でも、宝物室は閉まっていました。

北翼廊にて南西を向く

シャロン大聖堂の宝物には、12世紀にさかのぼるこの建物で最も古いステンドグラスだけでなく、主にマルヌ県の教会やオーブ県のクレルヴォー修道院から集められたその他の品々も収められている。

宝物室の前に掲示されていた説明には、第二の窓の写真がありました。

現地に掲示されていた写真より(「エジプトへの逃避」詳細)

Cathédrale Saint-Étienne。北塔と地下聖堂にロマネスク建築が残っています。宝物室には素晴らしいステンドグラスがあるようです。

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