ラヴェンナ(Ravenna)<5>

2022年12月18日(日)、唯一の目的地はRavenna。Basilica di Sant’Apollinare Nuovo です。

ここは、モザイクが素晴らしいです。

「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」として1996年からユネスコの世界遺産に登録されている八つの建築物の一つです。

クリスマスと新年を除く毎日、朝から晩まで開いています。有料です。ウェブサイト(Opera di Religione della Diocesi di Ravenna)にて、以下の五つに入場できるチケット(€ 10.5)をオンライン購入できます。(2023年現在)

<1> Basilica di San Vitale
<2> Mausoleo di Galla Placidia*
<3> Battistero Neoniano*
<4> Museo Arcivescovile (Cappella di Sant’Andrea)
<5> Basilica di Sant’Apollinare Nuovo

* <2>と<3> には追加入場料(€ 2)がかかり、予約が必要です。

私は、12月12日に、<1>から<4>に行きましたが、<5>に行くのを忘れたんです。購入したチケットが7日間有効なこともあり、12月18日に<5>に行きました。

目次

Ravenna へ .
概要 .
身廊のモザイク  .
Three-Bedroom Apartment – Single Use  .

アルファベットは、イタリア語とラテン語です。

Ravenna へ

私はミラノ近郊の宿をチェックアウトし、南東に約320km、3時間半ほど運転して、世界遺産の町に着きました。14時頃のことです。

私は Via Renato Serra にある無料公共駐車場(Parcheggio Serra)に車を停めました。

歩くと、円形の鐘楼が見えて、その隣に印象的な建物がありました。

Palazzo di Teodorico

柵についていた案内によると:
ゴート王テオドリック(454年 – 526年)の宮殿跡に建つ。もともとは、7世紀から8世紀にかけての守衛所として機能していたようで、その後、chiesa di San Salvatore ad Calchi の前にあるポルティコ状のアトリウム(玄関間)に姿を変えたようである。内部には、テオドリック朝の宮殿から発見されたモザイクの床があり、興味深い。

テオドリックは、コンスタンチノープル育ちのゴート人で、イタリア王となり、東ゴート族の王国を建国した人物です。ラヴェンナは東ゴート王国の首都でした。

ここ、宮殿だったんですねえ。

Basilica di Sant’Apollinare Nuovo(西側外観)

隣にある Basilica di Sant’Apollinare Nuovo は当然、宮廷教会ですな。

概要

ウェブサイト(Opera di Religione della Diocesi di Ravenna)に概要がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

ゴート族の王テオドリックによって、宮廷教会として建設された。

561年頃、ゴート族が町から追い出された後、教会はカトリックの正統派に改宗し(ユスティニアヌスの勅令)、トゥールの司教に奉献され、San Martino “in Ciel d’oro”(黄金色の格天井に由来)となった。

そして、テオドリック朝時代の著名人たちの肖像画は撤去され、カーテンの図に取り替えられた。

Sant’Apollinare に捧げられたのは9世紀半ばである。海賊の襲撃が頻発し安全でなくなったクラッセ(Classe)の同名の聖堂から、聖遺物がここに移された。町の外にある聖堂と区別するために、こちらの聖堂は「ヌオーヴォ(新しい)」と呼ばれた。

この後も、ウェブサイトを引用するときは太字で書きます。

さっそく見学です。

身廊のモザイク

きらびやかなモザイクがすごいです。

身廊にて東を向く

窓の高さには、窓と交互に預言者たちが描かれています。それらの預言者たちの上には、キリストの生涯の場面が描かれています。

北(左)西側
北(左)東側
南(右)東側
南(右)西側

左側の壁には、13のたとえ話や奇跡が描かれ、反対側の壁には、受難に関するエピソードや御子の死後に起こった出来事が描かれている。

キリストは常に紫と金の皇帝のパリウムと十字架のニンブスで特徴付けられている。

左の壁面では、若く髭のないキリスト像が描かれているが、右の壁面では、人間の成熟と苦しみの象徴である髭を生やした姿で、劇的に表現されている。

北(左)側

若いキリストの図像が東洋的なものであるとすれば、受難の場面での髭の図像は西洋的なものであろう。ローマ人は悲しみの時に弔意の印として髭を伸ばしたのである。

南(右)側

しかし、最も印象的なのは下部の帯である。

「鳥瞰図」として知られる古代ローマの方式で表現された、civitas ClassisとPalatiumの二つの建物の豪華なイメージから始まる。

civitas Classis
Palatium

ゴート族の王テオドリックによって宮廷教会として建設された当初は、ここはアリウス派の聖堂で、Palatiumのアーチの下にはテオドリック朝の著名人たちの肖像が描かれていました。

561年以降に正統派の聖堂となり、それらの肖像は撤去され、カーテンの図に取り替えられました。

よく見ると、Palatiumの柱に、幽霊のように、手だけが残っています。

柱に残る手

殉教者と処女の二つの行列(561年以降制作)が、並列的な配置で互いに向き合う。二次元的でそぎ落とされた輪郭が、精神性を象徴している。

アリウス派は聖人を崇拝しませんでした。聖女たち、殉教聖人たちの像は、カトリック正統派の聖堂になった後で描かれました。

殉教者と処女の二つの行列は、リズミカルに、音楽のような足取りで進んでいく。
彼らは、一方では玉座のキリストに、もう一方では聖母テオトコス(神の母)に向かって進む。

キリスト

いずれも威厳のある姿である。

聖母

聖母の前では東方三博士が、ビザンチンの宮廷で典型的な、通常は皇帝に許されるプロスキネシスの儀式でひざまずいている。

東方三博士

Basilica di Sant’Apollinare Nuovo。モザイクが素晴らしいです。

Three-Bedroom Apartment – Single Use

私は、この日12月18日の朝にミラノ近郊のAirbnbをチェックアウトして、ラヴェンナに行き、12月12日に見忘れていた、<5> Basilica di Sant’Apollinare Nuovoを見学しました。

ラヴェンナでの見学を終えた私は、南西に約170km、2時間半くらい運転して、トスカーナ州アレッツォ近郊の Montagnano という町にある、Three-Bedroom Apartment にチェックインしました。ここはAirbnbではなく、booking.com で予約しました。

台所、食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室という間取りの一戸建てで、無料の駐車場付き。

apartmentの食堂兼居間
apartmentの台所

寝室が三つある物件ですが、寝室を一つだけ使うという予約で、1泊総額€ 52.47でした。

私ひとりには、十分すぎるくらい広くて、暖房もよくきいて、必要なものは全て揃っていて、居心地が良かったです。

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