2025年5月9日(金)の最後、三番目に訪れたのはQuimperlé、サント=クロワ旧修道院教会(Ancienne abbatiale Sainte-Croix)です。
ここは、エルサレムの聖墳墓に着想を得た十字形の建物で、ロマネスク建築の傑作です。地下聖堂が素晴らしいです。
目次
1. Quimperlé .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .
1. Quimperlé
カンペルレ(Quimperlé)は、ブルターニュ地域圏フィニステール県にある町で、県都カンペールの約40km東にあります。
教会は、町の中心にあります。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サント=クロワの旧ベネディクト会修道院(Ancienne abbaye bénédictine de Sainte-Croix)は、ブルターニュ地方で最も有力な修道院のひとつであり、1029年から1050年頃に設立された。
ポワトゥー地方の影響を受けた教会は、ロマネスク建築の傑作である。エルサレムの聖墳墓に着想を得た円形の平面図、地下聖堂、後陣、修道士たちのクワイヤ、柱頭装飾が注目すべき点である。
1862年に17世紀の鐘楼が崩壊し、教会の半分が破壊された。1840年に歴史的建造物に指定されたことで、1864年から1868年にかけて、元の姿に再建された。
修道院の建物は憲兵隊が使用しているため、17世紀末に建てられた回廊の見学は制限されている。
回廊を含む旧修道院の建物は、教会の南側にあります。
この後は、教会の中にあったリーフレットを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
リーフレットによる平面図です。東が上です。
十字形の四本の腕のうち三本は丸みを帯び、巨大な円形堂から伸びている。この構造は早くも11世紀末に建設され、十字軍とは無関係である。
その構成要素はベツレヘムとエルサレム、すなわち聖なる誕生と聖墳墓から借用され、十字架を記念するものであった。

リーフレットによる地下聖堂の平面図です。
「Crypt du 11ème siècle」と書かれている部分が11世紀にさかのぼる地下聖堂です。

4. 外観
東に行きます。
主後陣の下部には、地下聖堂の採光窓があります。

西に行きます。
西扉口(切妻屋根と大きな窓の下)は、壁で塞がれています。
北小後陣の隣にある小さな扉口が、通常、出入りに使われています。

5. 内観(上部教会)
教会の中に入ります。
西扉口に行き、主後陣の方を向きます。階段の上に修道士たちのクワイヤがあり、階段の下に地下聖堂があります。

階段の上にある、修道士たちのクワイヤに行きます。
貴重な聖遺物箱の上に建てられた、中世の修道院の中心部に立つこの傑作は、その精巧な作りと保存状態の良さで人々を驚かせる。外壁下部を構成する22の盲アーチは、後陣に向かって幅が狭くなっており、奥行きがさらに深い印象を与える。49の柱頭はオリジナルであり、わずかな人物像を除いて、そのほとんどが植物や装飾的な模様で構成されている。

身廊に戻り、南を向きます。

南小後陣には、盲アーケードがあります。(北小後陣も同様です。)

6. 内観(地下聖堂)
地下聖堂に行きます。
11世紀の素晴らしい建造物である地下聖堂は、間違いなくブルターニュ地方で最も美しいものである。とはいえ、この地方に多くの地下聖堂があるわけではない。
三つの身廊と三つのアーチは、4本の円柱と2本の角柱で区切られている。
聖グルロエス(Saint-Gurloës)の墓はロマネスク様式と15世紀の損壊した横臥像を併せ持つ。この初代修道院長は痛風と狂気を癒した。
奥(東側)にある墓が聖グルロエス(Saint-Gurloës)の墓です。平面図に「I」と示されています。
ちなみに、平面図に「J」と示されている南東端の柱は「狂人の柱」と呼ばれています。19世紀初頭まで、狂人はこの柱に縛り付けられていた😱そうです。
もうひとつの墓は、彼の遥か後の後継者で1453年に没したアンリ・ド・レスペルヴェ(Henri de Lespervez)の墓である。

柱の基盤が、かっこいいです。
柱頭は、さらに、かっこいいです。
サント=クロワ旧修道院教会(Ancienne abbatiale Sainte-Croix)。エルサレムの聖墳墓に着想を得た十字形の建物で、ロマネスク建築の傑作です。地下聖堂が素晴らしいです。
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