トロイア(Troia)

2024年8月2日(金)、最初に訪れたのはTroia、Basilica Cattedrale di Santa Maria Assuntaです。

ここは、ピサ様式の美しい外観で、優美なファサード、二つの青銅の扉、後陣が素晴らしいです。教会の中には、説教壇があります。

2024年、大聖堂は毎日9:00〜12:00と16:00〜20:00に開いていました。

目次

1. Troia へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 外観(ファサード) .
6. 外観(西側) .
7. 内観 .
8. 外観(後陣) .

1. Troia へ

トロイア(Troia)は、プーリア州フォッジャ県にある町です。県都フォッジャ(Foggia)の約23km南西にあります。

大聖堂は、丘の上の町の中心にあります。

町を東西に貫く大通り(Via Regina Margherita)を歩くと、ファサードが見えてきました。

北東側外観

大聖堂の北ファサードが、大通り(Via Regina Margherita)に面しています。

2. 概要

教会の中に案内シートがありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

大聖堂の歴史は1093年に遡る。

それ以前にあった「聖マリア教会」を取り込んだもので、その建築的要素は、翼廊と後陣の部分に確認できる。カピタナータ(Capitanata)におけるロマネスク建築の傑作とされ、南イタリアで最も興味深い神聖な建造物のひとつである。

カピタナータ(Capitanata)は、プーリア州北部のあたりです。この呼び名はビザンチン帝国時代にこの領土を管理していた役人の名前に由来すると言われています。

ベネヴェントからブリンディジまで続いていた古代のトライアナ通り(Via Traiana)に面している。

ラテン十字型のプランで、三つの身廊が12本の柱で仕切られている。13番目の柱は礎石であるキリストを象徴している。

説教壇鷲型の本立てを持つ説教壇は1169年のものである。15世紀から16世紀にかけて、柱間の空間が貴族の礼拝室に使用されたため、サン・バジリオ・マーニョ教会(Chiesa di S. Basilio Magno)に移され、1860年にそこから大聖堂に戻された。側面には、子羊を食べようとするライオンを描いた浮き彫りがあるが、犬に後頭部を噛まれて阻止されている。これは鷲のように崇高であると同時に、犬のように用心深く忠実な神の言葉を表しており、誤りや異端である咆哮する獅子が、神秘的な折り目である教会の羊を食い尽くそうとするときに、飛びかかろうとする。

青銅の扉:主扉(1119年)と西扉(1127年)は、オデリシオ・ダ・ベネヴェント(Oderisio da Benevento)によるものである。

この後は、ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『PUGLIA ROMANICA』を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『PUGLIA ROMANICA』による平面図です。

通常の向きとは異なり、南に祭壇があります。

『PUGLIA ROMANICA』より

トロイアの大聖堂は南北の軸線に沿っているが、これは道路の軸線と土地の傾斜、そして以前の建物との関係によって構成された条件によるものである。

4. 外観(東側)

東に行きます。

北東側外観

繊細かつ独特な植物形の装飾が施されたアーチの上部は、実際には、18世紀に熟練した石工が古い緑色の石材を「アンティーク風」に加工したものに置き換えた結果である。

東側外観

ルネッタには、獅子とバシリスク(『詩篇』90/91:11-13)の上を歩くキリストが天使たちに守られている姿が描かれている。

『詩編』91編
11: 主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
12: 彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る。
13: あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり/獅子の子と大蛇を踏んで行く。

獅子、目がかわいい。

東扉口

窓の上には、鳥の翼と魚の尾の女性が、蛇を頭上に、魚を手にしている姿が彫られています。

東側外観

5. 外観(ファサード)

北に行きます。

優美なファサード。

北側外観

薔薇窓も素敵です。

薔薇窓

まぐさでは、キリストがマリア(ギリシャ語ではMHPΘY)と聖ペトロの間に鎮座している。その両側には福音書記者たちのシンボルが描かれたメダイヨンが続き、両端には伝説的司教、聖エレウテリウス(S. Eleuterio)と聖セキニヌス(S. Secondino)の2体の彫像がある。人物の配置は、ビザンチンのイコンを思い起こさせる。しかし同時に、扉口の構造とそれを豊かにする彫刻は、11世紀のカンパニア様式を思い起こさせ、古典的な記憶とビザンチンやイスラムの小彫刻の間で揺れ動いている。この大聖堂はギリシャの聖人に捧げられ、また、ビザンチンの政治的依存関係にある都市であったにもかかわらず、最初の開花期には、ビザンチン様式というよりもロンゴバルド様式の道をたどったに違いない。

北扉口

この初期の方向性は、司教区の選択において、ベネヴェントのオデリシウス(Oderisio da Benevento)に青銅の扉の製作を依頼したことによっても裏付けられている。

主扉では、オデリシウス(Oderisio)が繊細な彫刻家であったことが、マンドルラのキリスト像、聖ペトロとパウロに聖堂を捧げるグリエルモ司教の像、オデリシオとベラルドゥスの像に現れている。

1119年という年代は、下部のパネルに刻まれた碑文によって確認できる。

WILLELMUS SECUNDUS HUIUS TROIANE SEDIS EPISCOPUS / HAS PORTAS FIERI FECIT DE PROPRIO ECCLESIAE ERARIO. / IPSAM QUOQUE FABRICAM A FUNDAMENTIS FERE EREXIT.

北扉(主扉)

6. 外観(西側)

西に行きます。

盲アーチの下に菱形模様が並ぶ装飾は、トスカーナ地方などで多く見られ、ピサ様式とされています。

盲アーチ装飾は、トロイア大聖堂がピサのモデルに依存しているという推測の根拠であり、何度も再確認されている。実際には、この問題は完全に解決されたわけではないが、ピサ建築との疑いの余地のない類似性は、ティレニア海沿岸にも広く普及していた地中海モデルの共通の系譜に由来する可能性が高い。

北西側外観

大聖堂への出入りは、通常この西扉口を使います。私が訪問した時も、開け放たれていました。

西扉には、中央扉の作者であるオデリシオ自身が1127年に署名した枠がはめ込まれている。主扉と西扉とは8年の歳月を隔てているのだが、そのトーンと品質の水準には明らかな違いがある。

主扉は、完成間近の建物にふさわしいものとして考案され、施主の仕事を誇示し、カリストゥス2世による公会議のために集まったノルマン人の諸侯や聖職者らに感銘を与えることを意図していた。一方、西扉は、城を取り壊し防御を固めた都市がルッジェーロ2世の襲撃に抵抗する準備をしていた劇的な緊張の時期に構想されたもので、勝利の見込みは厳しいものであった。

西扉

最初の12枚は、城壁に囲まれたCIVITAS TROIANA、聖ペトロと聖パウロ、トロイアの司教たちの像が描かれている。

西扉

下部の2列のタイルは、青銅扉に託されたメッセージを含む詩による長い碑文で占められている。主要な箇所を引用しておこう:

AEQUITATIS MODERATOR / LIBERATOR PATRIAE DOMINUS GUILIELMUS SECUNDUS DEI GRATIA VENERABILIS HUIUS SE-DIS TROJANAE EPISCOPUS NONUS / HAS ETIAM PORTAS AE-NEAS DE PROPRIO ERARIO LARGUS DISPENSATOR FIERI IUS-SIT… / V ANNO QUO GUILIELMUS TERTIUS NORMANDORUM DUX SALERNIS OBIT MORTE COMMUNI / TUNC TROIANUS POPULUS PRO LIBERTATE TUENDA ARCEM SUBVERTIT ET URBEM VALLO MURISQUE MUNIVIT.

また、控えめなことに、枠に製作者の名前が刻まれている:

Factor portarum fuit Oderisius barum beneventanus.

西扉

7. 内観

教会の中に入ります。

身廊にて南(祭壇)を向く

立派な円柱が13本並んでいます。

青い矢印で示したところが、不規則な二重柱です。

身廊にて南西を向く

左(東)側に説教壇があります。

身廊にて南東を向く

説教壇は、長い碑文によって1169年のシチリア王グリエルモ2世の時代と明確に年代が記されている。12世紀末のプーリア彫刻の中でも、確実な年代が判明している数少ない資料のひとつである。

がぶり。

説教壇

8. 外観(後陣)

外に出て、南に行きます。

南側外観

13世紀頃のものの可能性があるようです。

2頭のライオンは、バーリ近辺の教会の大窓の両側に必ず存在するもので、ここでは外側の覆いの柱と後陣の壁の間に無理やり挿入されている。ビトント大聖堂(cattedrale di Bitonto)の後陣を護る同様の彫刻や、カゼルタ・ヴェッキア大聖堂(cattedrale di Caserta Vecchia)の扉口を飾ったライオンのペアと比較することで、その時代が遅いものであることは疑いようがない。乾いた体と丸みを帯びた頭部の形、平らな鼻の表現も同じである。2匹のライオンはそれぞれ、人間と蛇を爪で捕らえ、踏みつけている。人間と蛇は、罪人と悪魔のよく知られた象徴である。しかし、人間は明らかにムーア人で、短い巻き毛と特徴的な鼻をしている。ここで想像力を働かせると、二つの像は、ルチェラ(Lucera)のサラセン人植民地と、裏切り者であるライバルのフォッジャ(Foggia)という、フリードリヒの時代におけるトロイアのcivitasの2大敵を暗示していると見ることができる。

ライオンに踏みつけられていても、人間、笑顔。

後陣

Basilica Cattedrale di Santa Maria Assunta。ピサ様式の美しい外観で、優美なファサード、二つの青銅の扉、後陣が素晴らしいです。教会の中には、説教壇があります。

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