2022年11月30日(水)、三番目の目的地は Albe、Chiesa di San Pietro ad Alba Fucensです。
ここは、後陣の外観と主扉口の装飾が良いです。立ち入り禁止(2022年現在)の地下聖堂には、どうやら、かわいい羊がいます。
教会は基本的に閉まっています。私はGoogleマップに載っていた番号にWhatsAppでメッセージを送って、鍵を開けてもらえるよう、事前に予約しました。
目次
Albe へ .
概要 .
平面図と断面図 .
外観:主扉口 .
内観:全体 .
内観:説教壇(ambone)とイコノスタシス(iconostasi)、13世紀 .
内観:地下聖堂、12世紀 .
外観:美しい後陣 .
基本的に、アルファベットは全てイタリア語です。
Albe へ
私は、ロシオーロ・デイ・マルシ(Rosciolo dei Marsi)から南東に約15km、22分ほど運転して、小高い丘の上の教会につきました。14:45頃のことです。
坂を登り、教会から東を向くと、一番向こうにヴェリーノ(Velino)山に連なる山々、その手前の丘の上にオルシーニ(Orsini)城と中世の町、さらに手前に考古学的地域(Area archeologica)があります。紀元前4世紀頃からのローマ帝国植民地時代の遺跡です。
ローマ帝国の植民地となる前、ここ、アルバの丘には、オピドゥムを築き周囲の谷をすべて支配していた強力な民族がいました。彼らは、血みどろの戦いの末にローマ帝国に敗れ、虐殺されました。
私は、教会のファサードの前で、鍵守りのアンナ・マリアさんに会いました。
概要
教会の内外に案内板があった他、アンナ・マリアさんからプリントをもらいました。それらを参考にして太字でまとめます。
教会は、紀元前3世紀にアポロ神に捧げられたローマ神殿を起源とする。6世紀頃に初期キリスト教の聖域となった。
12世紀に、教会の建物は改築され、教会の南側にベネディクト会修道院が建設された。
13世紀初頭の地震で後陣が崩壊して再建され、同時に、崩壊した説教壇(ambone)は新しいものに取り替えられた。後陣と側廊の最後の柱間にフレスコ画の最初のサイクルが描かれた。
1465年の大地震により、屋根と鐘楼の上部が落下した。
1915年の大地震で、屋根構造のほぼ全てと後陣の半分が崩壊。ファサードと鐘楼の一部、コリント式の柱とその上にあるアーチが倒れ、説教壇、イコノスタシス、18世紀の祭壇などの調度品に損傷を与えた。13世紀のフレスコ画は失われたが、14世紀と15世紀のフレスコ画はチェラーノ(Celano)にあるマルシカ聖美術博物館(Museo di Arte Sacra della Marsica)に移管された。
プリントに書いてあったのは13世紀、15世紀、20世紀の地震についてだけでしたが、歴史を調べたとき、その前から何度も何度も大地震がこの丘を襲っていました。私は、その度に再建されたことに驚きます。それほど魅力的な立地や建物なのだと思うからです。
この後も、案内板やプリントを引用する時は太字で書きます。
平面図と断面図
教会の外の案内板にあった平面図と断面図です。
この教会は、祭壇が西側にあります。通常は東側にあって、東を向いて祈りを捧げるのですが、反対向きです。
私は、見学の最後に教会の西方向を見て「あ、神々しい」と感じることが起きました。ただの偶然ですが、、、心に刺さりました。
順を追って見学します。
外観:主扉口
ファサードの中央には鐘楼があり、その基部を通って教会に入ります。
鐘楼基部の内側にある、12世紀の主扉口が美しいんです。
木製の扉のオリジナルは、チェラーノ(Celano)にあるマルシカ聖美術博物館(Museo di Arte Sacra della Marsica)に保管されています。この日この後に行って見学しました。順番をすっ飛ばしてご紹介します。
すごく、繊細で美しい彫刻。近寄って目を凝らすと、木肌と彫りの曲線にほれぼれします。
内観:全体
中は真っ白で、柱が見事です。
12世紀に、ローマ時代の壁構造に手を加え、身廊を拡張して、半円形の後陣を作りその下に地下聖堂を設け、内部空間を三つの身廊に分け、アルバ・フチェンス(Alba Fucens)の2世紀の建物からコリント式の柱を再利用しました。
1915年の大地震の後、1955年から1957年にかけて行われた複合修復工事で、18世紀に作られた上部装飾を廃止し、アポロ神殿の構造を際立たせてロマネスク様式の本来の姿に戻されました。ambone と iconostasi は、フィレンツェの Officio delle Pietre Dure によって現地で修復されました。
内観:説教壇(ambone)とイコノスタシス(iconostasi)、13世紀
amboneは、オデリシオ(Oderisio)大修道院長がローマの大理石職人であるグイドの子ジョヴァンニ(Giovanni di Guido)に依頼し、ジョヴァンニがアンドレア親方(maestro Andrea)の協力のもと作品を完成させたことが、壇の下に連続する碑文によって証明されている。
iconostasi は、アンドレア親方(maestro Andrea)のみが中央部分を制作した。横の部分は地元の職人に任せた。
鍵守りのアンナ・マリアさんによると、赤は赤斑岩(rosso porfido)、緑は蛇紋岩(serpentino)が使われているそうです。
赤と緑のコントラスト、こんなに発色が良いのがびっくりです。
内観:地下聖堂
12世紀につくられた地下聖堂は、残念ながら、立ち入り禁止でした。
地下聖堂の中には、素晴らしい神の仔羊が彫られた石棺があります。
sioz4026さんからお借りした(Jaca Book)Italia Romanica『Abruzzo e Molise』に、Zodiaque が提供した写真がありました。
タレ目で、毛がふわふわの羊。
外観:美しい後陣
最後に、外に出て後陣をみます。
12世紀につくられた半円形の後陣は、13世紀初頭に地震によって崩壊し再建された。冠の一部は元の要素で組み直され、最後の九つの小さなアーチ、末端のコーニス、単一の尖頭窓は、新たに作り直された。1915年の大地震では、半分の高さまで崩れ落ち、再建された。
南側だと、植物が並んでいる位置に、
北側だと、奇々怪界な面々がずらりと並んで、愛嬌をふりまいています。
面白い。
見学の終わりに
見学を終え、西を向くと、ヤコブの梯子が輝いていました。
ただの自然現象とわかっていても、神々しく感じます。
Chiesa di San Pietro ad Alba Fucens。後陣の外観と主扉口の装飾が良いです。立ち入り禁止(2022年現在)の地下聖堂には、どうやら、かわいい羊がいます。
次回、チェラーノの聖美術博物館(Museo d’arte Sacra di Celano)に行きます。Chiesa di San Pietro ad Alba Fucens にあったロマネスク期の作品が、数多く保管されています。
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