マッレス・ヴェノスタ(Malles Venosta)

2023年8月12日(土)、最初に訪れたのは、聖ベネディクト教会(St.-Benedikt-Kirche in Mals / Chiesa di San Benedetto a Malles)です。

ここは、フレスコ画が素晴らしいです。

2023年は4月12日から10月31日までの期間、以下の曜日と時間に訪問可能でした。
自由見学(有料€1.8):火曜、木曜、土曜の10:00〜11:30
ガイドツアー(有料€3):月曜、水曜、金曜の14:30
自由見学もガイドツアーも予約不要でした。

目次

1. Malles Venosta へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 . 
5. 内観 . 
 5-1. 北壁のフレスコ画
 5-2. 内陣障壁(transenne)
 5-3. 東壁のフレスコ画

1. Malles Venosta へ

私は Pension から南に約10km、13分ほど運転して、村の教会に着きました。9:35頃のことです。

南西側外観

私は早く着きすぎたので、教会の外にあった案内掲示を読んだり外観を見学したりして教会が開くのを待ちました。

2. 概要

教会の外に案内掲示がありました。私が全文を太字で和訳します。

St.-Benedikt-Kirche in Mals / Chiesa di San Benedetto a Malles

聖ベネディクト教会は、カロリング朝建築と芸術の小さな宝石であり、当時の構造と装飾の多くが保存されている。

当初の建物は、おそらく8世紀末に建てられたと思われるが、非常にシンプルなもので、直線的な側面を持つ長方形のホールで、内部の幅は9.40×5.5メートルであった。

東壁と北壁の内側だけがカロリング朝時代のものである。上部のアーチ型の輪郭と中央の小窓を持つ三つの窪みが、外見上は直線的な東壁の厚みに彫り込まれている。これは、中世初期にアルプス地方でも広く見られた三廊式聖堂の建築モデルに従って、聖堂の三分割を提案するための独創的な方法である。しかし、これはミラノの Santa Maria d’Aurona 教会(8世紀前半/中頃)で提案された後期ロンゴバルドの解決策と非常によく似ている。

東側の壁には、窪みの建築的機能を強調する漆喰装飾に加え、フレスコ画が描かれた。一方、身廊の残りの壁には、北壁に保存されているような、数段のパネルによる装飾が展開されていたであろう。

建物はロマネスク期に改修され、外周の壁が張り替えられ、南側に入口が設けられたり、配置が変えられたりした。東側の切妻もわずかに持ち上げられ、西側は新しいファサードの上に完全に建て直された。教会の新しい外観は、北側の鐘楼によって完成した。

この後も、案内掲示を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

教会の外の案内掲示に平面図がありました。東が右です。

教会の外の案内掲示による平面図

赤がオリジナルの教会、青がロマネスク様式の改築、緑が17世紀の改築である。

4. 外観

東壁は直線です。ロマネスク期の建築によくある半円形の後陣はありません。

南東側外観

東壁には、三つの窓があります。これらの窓は、内側のカロリング朝時代に造られた窪みに通じています。

5. 内観

鍵を持った婦人が来ましたので、南扉口から教会の中に入ります。

「撮影禁止」との張り紙がありました。私は婦人に入場料金の€1.8を支払いながら「撮影できますか?」と尋ねました。婦人は「できますよ。フラッシュをお使いにならなければ。」と答えました。

やったあ!

5-1. 北壁のフレスコ画

北壁に描かれたフレスコ画をみます。

南扉口にて北を向く

上段には、使徒言行録の場面が描かれている。

北壁上段のフレスコ画

フィリピに向かうパウロとシラスの鞭打ち(使徒言行録16章)や、サウロの面前でのステファノの石打ち(使徒言行録8章)が断片的に描かれています。

私は裸体の描き方や人物たちの表情がとても好きです。

北壁上段のフレスコ画

下段については、ベネディクト派の聖人の gesta miracula(行為と奇跡)と解釈されているベネディクトが死んだ少年を復活させるエピソードとも呼応する。グレゴリウスはベネディクトの精神的保証人としてプログラムに登場する。ベネディクト派修道会は、ほぼ教会機構の「執行機関」としての機能を果たすことになる。その頂点にあるのは、教皇の権威をもって行われる使徒的伝統による福音の宣教である。ベネディクトの生活は、使徒と同じように宣教される。それは、東壁の右の窪みにある使徒言行録の殉教者、聖ステファノとの並列によって表現されている。

聖パウロや聖ステファノの物語が北壁に描かれている理由は、どうやら、ベネディクト派修道会を讃えるためのようです。

5-2. 内陣障壁(transenne)

身廊には、大理石のパネル、柱や漆喰装飾の一部が展示されています。

身廊にて東を向く

昔は、東側は聖職者、西側は信者のスペースでした。二つのスペースを区別するための内陣障壁(transenne)があったようです。

transenneの復元予想図が、案内掲示にありました。

2013年に発見された大理石の柱を持つtransenneの復元予想図
5-3. 東壁のフレスコ画

東壁のフレスコ画をみます。

東壁のフレスコ画

中央の窪みには、イエスと2人の天使が描かれています。

開かれた書物は、キリストが主人であることを示している(Magister vester unus est Christus)。

中央の窪みの両側には、創立者たちの像が描かれています。

慣習的な創設者像や奉納像とは対照的に、跪いていない。世俗的な主人は立って剣を捧げ、地上の精神的な主人は教会の模型を携えている。聖職者は修道院長と思われるが、司教であることを示すものはない。

中央の窪み

北の窪みには、大聖グレゴリウスが描かれています。

ローマを除けば、この教会博士を単独で描いたものとしては最古のものである。

大聖グレゴリウス

教皇であった大聖グレゴリウスは典礼衣をまとっている。パリウム(pallium)は、中世初期には法王の衣を意味した。グレゴリウスはローマでカルト的な人気を博した。彼は特にベネディクト会で崇敬され、そのベネディクト会には彼が精神的に愛着を持っていた。

南の窪みには、聖ステファノが描かれています。

聖ステファノ

ステファノは助祭の衣をまとっている。ここで、グレゴリウスと比較した場合の順位の低さには驚かされる。ステファノは最初の殉教者のひとりであり、グレゴリウスが属する権利回復の請求者よりも高い地位にあるからである。

第64代のローマ教皇だった大聖グレゴリウス(在位:590年〜604年)は、教皇職の権威を高めました。

新約聖書に殉教の場面が描かれている聖ステファノの方が、大聖グレゴリウスより立場は上です。

お偉いさんの聖ステファノに助祭の衣を着せて低い扱いにすることで、大聖グレゴリウスの地位を高く見せているんです。それはつまり、大聖グレゴリウスがひいきにしていたベネディクト会の地位が高いんだぞ、って示しているんです。

面白い論理の展開ですな。

聖ベネディクト教会(St.-Benedikt-Kirche in Mals / Chiesa di San Benedetto a Malles)。フレスコ画が素晴らしいです。

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