コロンビエ(Colombier)

2022年8月1日(月)、最初に訪れたのは Colombier 。Église Saint-Patrocle です。

Colombier へ

私はAirbnbから南西に40分ほど車を運転して、小さな村につきました。9時頃のことです。

Église Saint-Patrocle(南西側外観)

私が日本を出発する前に下調べしたとき「教会訪問は役場に連絡」とありました。だからあらかじめ役場(mairie)にメールして、この教会が開いていることを確認してあったんです。

現地についてみると、西扉口に「教会は2022年7月20日から2022年9月18日の10時から18時に開いています」と貼り出してありました。夏期を除くと、いつも開いている訳ではなさそうです。

Église Saint-Patrocle の外観

北側や東側を見たいと思いましたが、塀があって行くことができませんでした。

Église Saint-Patrocle(南側外観)

人口約300人の小さな村にしては、かなり大きい教会です。

Église Saint-Patrocle の概要

教会の外と中に、それぞれ案内板がありました。一部を抜粋して和訳します。

1928年に歴史的建造物に指定された建物は、その起源を11世紀にまで遡る素晴らしい建築物です。その堂々とした大きさ、柱頭を飾る見事な彫刻など、すべてがこのモニュメントを遺産として価値あるものにしています。

6世紀に、以前から他の宗教的な建物が重要な役割を果たしていたコロンビエに、聖パトロクルスが小修道院を設立しました。聖パトロクルスは576年に80歳で亡くなり、コロンビエの教会に埋葬されました。

聖パトロクルスが「私のハンマーが落ちるところには泉が湧くだろう」と言ってハンマーを投げ泉を湧き出させた、という伝承があります。

この伝承には、キリスト教以前の信仰の影響が見られます。ゲルマン人は、ハンマーを投げて敷地の限界を象徴的に示すという儀式がありました。また、古代ケルトの神スケルス(sucellus)は、ハンマーで地面を叩いて土地を肥やしたり、泉を出現させたりしました。聖パトロクルスは、おそらくケルトに由来する異教徒の礼拝所を流用し、キリスト教化したのでしょう。

1061年から1071年にかけて、コロンビエの教会と小修道院は、ブルボン公アルシャンボー3世によってスヴィニー(Souvigny)の修道士たちに寄贈されました。11世紀後半に行われたグレゴリオ改革の一環です。この改革は、教会を本来の姿に戻すことを目的としたもので、聖職者の国家に対する優越性を宣言するものでした。貴族や騎士は、よりキリスト教的な生活を送るよう促され、彼らの所有となっている教会の財産を返還することを求められました。

1790年、コロンビエの教会と小修道院は、フランス革命の動乱に巻き込まれます。小修道院は閉鎖され、教会の所有物とともに国有財産として売却されました。

ケルト文化の影響を受けているとなれば、私好みの柱頭彫刻がありそう。

フロアプラン

教会の中に置いてあった案内板に、フロアプランがありました。東が上です。

現地に置いてあった案内板のフロアプラン

ラテン十字の三身廊。

Église Saint-Patrocle の内観:全体

教会の中の、全体の様子です。

Église Saint-Patrocle(内観、身廊にて東を向く)

北側廊

Église Saint-Patrocle(内観、北側廊にて南東を向く)

南側廊

Église Saint-Patrocle(内観、南側廊にて北東を向く)

側廊から撮った写真↑にもちらほら写っていますが、柱頭彫刻が素晴らしいんです。

Église Saint-Patrocle の内観:身廊の柱頭彫刻

柱頭彫刻をみながら、どんどん東にいきます。

Église Saint-Patrocle(内観、北側廊にて南東を向く)

北側も南側も、見ごたえのある柱頭彫刻がならびます。

Église Saint-Patrocle(内観、南側廊にて北東を向く)

中でも、交差部の柱頭彫刻が圧巻。

Église Saint-Patrocle の内観:交差部の柱頭彫刻

交差部の柱頭彫刻をじっくりみます。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部にて東を向く)

教会の中に、交差部にある四つの柱頭について、ローラン・パタン(Roland Patin)という中世史の博士による解説が掲示してありました。

教会の中にあった案内掲示の一部

博士の解説によると、これら四つの柱頭彫刻はヨハネの黙示録第20章を示しているのだそう。

Fig.1

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.1

長い衣をまとった5人の人物は、第一の復活である。「この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。」中央の人物は二つの顔を持っており、海と陸から戻ってきた死者を暗示している。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.1

Fig.2

北側は、裸の4人の男女が命の書を携えたキリストを取り囲む。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.2

この場面は、剣と弓で彼らを脅す東側の3人の人物像との関係で理解することができる。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.2

うーん、剣ではなくてハンマーを持っているように私には見えます。ハンマーだったら、もしかして聖パトロクルスかな。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.2

彼らは殉教する聖人たちで、キリストに歓迎されている。

Fig.3

中央には三本の光輪に覆われた「人の子」が東を向いて << sol justiciae >> 輝いている。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.3

翼を広げた鷲が光背の子羊を持ち上げているのは非常に珍しく(カンタル県の Saignes に一点)、復活のテーマを示す。初期キリスト教の石棺に見られるように、天使に代わって鷲が描かれる。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.3

右側では、鷲が人を捕らえ、別の人が石棺から出てきている。

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.3

キリストの復活と人間の復活が同じ柱頭で表現されている。これは第二の復活である。洗礼と信仰生活によって救いが提供される。

Fig.4

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.4

蛇のような尾を頭に巻いた獣はドラゴンの可能性がある。黙示録20章「千年が終わると、サタンは牢獄から解き放たれる。」

二つの姿は、ゴグとマゴグであろう。「地の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。」

Église Saint-Patrocle(内観、交差部)Fig.4

これらの柱頭からは一貫したメッセージが浮かび上がる。善と悪の力の戦い、善の力の勝利、殉教者の第一の復活、そして善の最後の勝利と第二の復活である。

この図像を黙示録第20章と理解するの、私には100年早そうですが。。。

Église Saint-Patrocle 。柱頭彫刻が素晴らしい。

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