エルヌ(Elne)<1>

2018年3月の旅行六日目。最後に向かったのはエルヌで、目的地はエルヌ大聖堂です。フランス語で Cathédrale Sainte-Eulalie-et-Sainte-Julie d’Elne、カタルーニャ語だと Catedral de Santa Eulàlia d’Elna と言うそうです。

サン・タンドレ(Saint André)から Elne へは北へ12km、車で13分の道のりです。大聖堂(cathedral)の東に駐車できました。車を停めるとまず、これが目に入ります。

さすが cathedral、立派です。上の写真で赤い車が停まっているあたりから入って受付に行けます。

南側の様子は、こちら。

西側はちょうど修復していたので、ほんの一部だけ。

さて、さっきの赤い車のあたりから中に入ると、ここでもpassが使えて入場料を割引してもらえます。受付で英語版の案内シートを借りました。

Elne は古くは「新しい町」を意味するイベリア名、イリベリス(illibaris)として知られた場所でした。4世紀に名前をカストゥルム・ヘレナエ(castrum helenae)と変えます。これはコンスタンティヌス1世の母である聖ヘレナに敬意を表して変えた可能性があるそうです。413年に西ゴート族が町を支配。568年頃には司教(bishop)が町を治めるようになりました。そしてイスラム教徒がイベリア半島を征服、ピレネー山脈を越えて719年にルシヨンを支配し、770年まで留まりました。

cathedral は1069年に聖別されました。しかし14世紀頃からは近くの町ペルピニャンの経済活動が優勢になって重要度が増し、1602年bishop は聖エウラリアと聖ジュリアの聖遺物とともにペルピニャンに移りました。

4世紀よりも前からなんて、すっごい昔から大事な町だったんですねえ。

中に入ると、天井が高くて立派です。

内陣(chancel)には地下聖堂(crypt)がありましたが、1742年に天蓋(baldachin)が取り付けられたときに埋められたそうです。crypt 好きとしては残念無念。見たかった。

年代物っぽい植物模様がありました。6世紀頃のものと聞いたような。

Zodiaqueの『 la nuit des temps 7 Roussillon roman 』に載っていたフロアプランです。バシリカ・プランの三廊式。transept 無しで apse になっています。

そして、ここには立派な cloister があります。

びっしりと彫刻された柱頭が並んでいます。

次回お伝えします。

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