2022年12月8日(水)、唯一の目的地はRoma。Basilica di San Lorenzo fuori le Muraです。
ここは、回廊とモザイクが素晴らしいです。
祭事の時間割(2022年現在)はこちら。
12月8日は聖母の無原罪の御宿りの祭日(giorno festivo)です。11時から聖ミサが行われていました。
ちなみに、上の写真に「カプチン修道士会(Cappuccini)」と書いてあることについて〜おまけ〜 に書きます。
目次
Roma へ .
概要 .
平面図 .
ポルティコ .
身廊の床モザイク .
回廊 .
内陣(チボリウム) .
地下聖堂 .
勝利アーチ(モザイク) .
〜おまけ〜 cappuccino .
Airbnb .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Roma へ
私は宿をチェックアウトし、南に約110km、70分ほど運転して、教会の前の無料駐車場(Parcheggio Piazzale S. Lorenzo)に車を停めました。11:30頃のことです。
私は、ローマでは車内の荷物を盗まれる被害が多いと聞いていたので、管理のしっかりした有料駐車場に停めるべきかな、と心配しながら来たんです。
でも、たまたま6人の憲兵(Carabinieri、国防省警察官)が3台の車をとめて仕事中だったので「ここで盗みを働く泥棒がいたらそれはびっくりだわ」と思って、ここに駐車を決めました。近くて便利だし。
概要
現地には案内がみあたりませんでした。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Rome et Latium romans』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
早くも4世紀には、大きな崇拝の対象である聖ラウレンティウスの墓もあるカタコンべの近くに、Basilica maiorと呼ばれる、この埋葬地に連なるBasilicaがあった。
聖ラウレンティウス(San Lorenzo)はスペイン生まれの3世紀の殉教者です。(ちなみに、伝説では、生きながら鉄格子の上で火あぶりされて、執行人に「こちら側は焼けたから、もうひっくり返してもよい。」と伝えたといわれています。怖いわあ。)
殉教者ラウレンティウスの墓の真上に立つ新しい教会が、おそらく教皇ペラギウス1世(556-561)の命令で建てられたと思われる。この教会は、現在の建物の内陣を形成している。
1148年に主祭壇のチボリウムがつくられ、1187年から91年にかけてクレメンス3世が回廊を建設させた。その直後、後にホノリウス3世となる Cencio が、聖ラウレンティウスの墓を改築させ、宇宙的なモザイク画で飾り、碑文を刻ませた。
その直後から、それまで既存の建物の中に収まっていたプロジェクトを修正することになった。西を向いていた Basilica を反転させ、後陣を取り壊し、古い聖域に接するところに新しい身廊をつくり、古い建物と新しい建物をつないだ。
イオニア式の柱頭を持つ柱で仕切られた三つの身廊ができ、そこに同じくイオニア式の柱頭を持つ柱で支えられたポルティコが付け加えられた。このポルティコは、Santa Maria in Trastevereを手本につくられた。
この後も、Zodiaqueを引用するときは太字で書きます。
平面図
教会の中に平面図がありました。北が上です。
向かって右(東)の建物が6世紀、向かって左(西)の建物が13世紀です。
この後も、平面図を引用するときは太字で書きます。
さっそく見学です。
ポルティコ
地域によっては町いちばんの貴重な文化遺産になりそうなものが、当たり前のように並んでいます。
平面図によると、フレスコ画は13世紀。
石棺もあります。
6世紀の石棺の彫刻は、ブドウを収穫するプッティ(putti)かなと思いますが、躍動感があって良いなと思いました。
身廊の床モザイク
荘厳な内観。身廊の床モザイクは13世紀。
無音で撮影できるスマホで一枚だけ撮影。
まだ聖ミサが続いていましたから、先に回廊をみることにしました。向かって右の側廊から行けます。
回廊
聖具室(sacrestia)を通り、回廊に行きます。
聖具室には、薄チョコレート色の修道服の修道士たちがいました。みなさん素敵な笑顔で、挨拶を返してくれます。
回廊には、おびただしい数の遺物が、壁や床に置いてあります。
私が気に入ったのは、ロンゴバルドの頃のもの(たぶん)。
ちから強くて、かっこいいです。
中庭は緑が豊かで、中央の池には鯉たちが泳いでいます。
こういう場所にいると、心が洗われる気がします。
ふと見ると、窓の柱に、彫刻された石が再利用されていました。
鳥がかわいいです。
12時になりました。聖ミサが終わる頃なので、聖堂内に戻ります。
内陣(チボリウム)
内陣には、12世紀のチボリウムがあります。
1148年、主祭壇のチボリウムが建設され、修道院長が寄贈し、パオロ親方の息子アンジェロとサッソが署名した(ANNO DOMINI MCXLVIII EGO HUGO HUMILIS ABBAS HOC OPUS FIERI FECI – IHANNES PETRUS ANGELUS ET SASSO FILII PAULI Mar-MORARI HUIUS OPERIS MAGISTRI FUERUNT)。
パオロ親方の一族も、ローマの大理石職人として有名な一族のひとつです。
パオロ親方の子であるアンジェロ(Angelo)とサッソ(Sasso)は兄弟。そして、アンジェロ(Angelo)の子や孫がやはり大理石職人として有名です。
パオロ親方から数えると4世代が大理石職人として名を残したということになります。
地下聖堂
内陣の下に、聖ラウレンティウスと聖ステファノの祭壇と墓があります。
モザイクは12世紀末のもの。キラキラです。
勝利アーチ(モザイク)
勝利アーチに6世紀のモザイクがあります。
豪華な金色の背景に、聖ラウレンティウスや聖ステファノたちが描かれています。
もともと、6世紀にこのBasilicaがつくられたとき、この勝利アーチの奥(西側)に後陣がありました。
6世紀の後陣は、13世紀に取り壊されましたが、立派なモザイクで彩られていたかも。
細部まで輝いています。すごい。
Basilica di San Lorenzo fuori le Mura。回廊とモザイクが素晴らしいです。
〜おまけ〜 cappuccino
祭事の時間割に記載のある通り、こちらのBasilicaはカプチン修道会士によって運営されています。
昔、伊和辞典を読んでいたときに驚いたことを思い出しました。
「cappucino」とは、小学館の伊和辞典によると:
一番目の意味は「カプチン修道会士◆1525 年に Matteo Bassi の手で創られ、1528年に教皇クレメンス七世より公認されたフランチェスコ会から分れて創立された組織。特に聖フランチェスコの戒律に従った厳しい清貧な生活や,薄チョコレート色の修道服でよく知られている。」
私は全く知りませんでした。
二番目の意味が「カプッチーノ(コーヒー)◆カプチン修道会士の修道服の色と似ていることに由来する。」
カプッチーノ(コーヒー)の名前が、修道服の色に由来していたなんて、びっくりでした。
そして、ここBasilica di San Lorenzo fuori le Muraで初めて、その薄チョコレート色の修道服をみました。かっこいいです。
また、私が会った修道士は、みなさん、素敵な笑顔で挨拶してくれる優しい人ばかりでした。
Airbnb
この日の見学を全て終えた私は、南西に32km、40分ほど車を運転して Aeroporto di Roma-Fiumicino “Leonardo da Vinci” に夫を迎えに行き、夫と2人でローマ郊外にあるAirbnbにチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室二つという間取りのマンションです。無料路上駐車し放題。
1泊の総額が€ 117.33 EURでした。(やっぱり、ローマは郊外でも価格が高めです。)
私たちは、ローマには1泊だけで、翌日にはエミリア・ロマーニャ州に移動したのです。
夫と私は、翌12月9日に上記のローマ郊外のAirbnbをチェックアウトし、北に約380km、4時間ほど車を運転してエミリア・ロマーニャ州のFaenzaという町のAirbnbにチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ二つ、寝室二つという間取りのメゾネットです。駐車場つき。
4泊の総額が€ 266.87 EURでした。
暖房がよくきいてあたたかく、洗濯機も食洗機もありました。
居心地が良かったです。
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