2025年8月18日(月)の最後、二番目に訪れたのはSaint-Savin、Abbatiale Romane de Saint-Savin-en-Lavedanです。
ここは、彫刻が素晴らしいです。
2025年、教会は毎日7:00〜19:00に開いていました。でも、私が行ったとき、隣にある宝物館は(修復工事のため)閉まっていました。
目次
1. Saint-Savin .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(後陣) .
5. 外観(西扉口) .
6. 内観(教会) .
7. 外観(宝物館) .
1. Saint-Savin
サン=サヴァン(Saint-Savin)は、オクシタニー地域圏オート=ピレネー県にあり、県都であるタルブの約30km南西に位置します。
教会は、ラヴェダン山脈の緑豊かな風景に調和する、村の北部にあります。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
聖サヴァン、隠遁の修道士
聖サヴァンは、おそらく5世紀頃、スペインのバルセロナで生まれた。貴族の家系に生まれながら、すべてを捨てて叔父が住むポワティエへ赴き、リグジェ修道院(monastère de Ligugé)に入った。聖マルティヌスの弟子として、そこで3年近く過ごした後、ビゴール山脈に設立されたばかりの共同体へ加わった。最終的に、彼はプエ・アスペ(Pouey Aspé、現在のサン=サヴァン村から徒歩1時間30分の場所)で孤独な生活を選んだ。そこで13年間、岩に掘った穴を住処として隠遁生活を送った。冬でも裸足で、チュニックとマントを身にまとい、その上に獣の皮を羽織っていた。彼は10月9日に亡くなった。19世紀には、彼の隠遁所の跡地に礼拝堂が建てられた。現在では、毎年10月にそこでミサが執り行われている。彼の墓は、この修道院教会の主祭壇となっている。
サン=サヴァン、かつての修道院教会
フランス革命まで、この教会は極めて影響力のあったベネディクト会修道院の一部であった。12世紀に建設されたその姿は堂々としており、長さ42メートル、幅約30メートルを誇る。教会は東向きで、ラテン十字形の平面図を有している。中世末期には、壁が嵩上げされ、ゴシック様式のランタン塔が建設された。繁栄期を経て、修道院は苦境に陥り、建物は荒廃していった。1790年には、わずか3人の修道士しか居住していなかった。その後、建物は国有財産として売却され、修道院教会は教区教会へと転用された。歴史的建造物としての指定は1840年にさかのぼる。内部には、聖サヴァンの墓(11世紀または12世紀)、隠者の生涯を描いた木製絵画(15世紀末~16世紀初頭)、 金箔を施した木製の聖体顕示台と十字架上のキリスト像(14世紀)、そして1557年に製作されたフランス最古級のオルガンなどがある。
宝物館
聖具室とチャプター・ハウスの延長線上にある宝物館は、当県でも有数の充実した収蔵を誇る。
ここに収蔵された品々は、この修道院の豊かさと聖サヴァンへの信仰の深さを物語っている。「十字軍の(des Croisades)」と呼ばれる聖母像と「長い親指の(au Long Pouce)」と呼ばれる聖母像、これら12世紀の木彫像2体が、この展示の至宝である。また、聖遺物箱、金銀細工、典礼用衣、回廊の柱頭、そして古家具などが、このコレクションを彩っている。これらの品々は、安全上の理由からこの宝物館に保管されているが、その一部は現在もなお礼拝に用いられている。宝物館への入館は有料である。
この後は、教会の中にあった小冊子を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
小冊子による平面図です。東が上です。

4. 外観(後陣)
南に行きます。

道路の上に位置するこの壮大な後陣は、6本のバットレスによって支えられており、ゴシック様式の増築を除けば、12世紀以来ほとんど変化していない。
外観では、軒下にいくつかの彫刻が施された持ち送りがある。また、後陣の五つの窓のうち二つには、かなり謎めいた柱頭がある。
12世紀の謎めいた柱頭をみます。

人物たち。

動物と人物たち。

人物たち。

5. 外観(西扉口)
西に行きます。

身廊は西側に大きな扉口を備えている。半円形のアーチで、両側に9本の柱と偽柱によって支えられた深いアーチを持つこの扉口は、17世紀および19世紀の修復の際に手直しが加えられたようである。残っているのはロマネスク様式のティンパヌムだが、残念ながら損傷しており、そのマンドルラの中に、十字ニンブスを戴き、司祭の衣をまとい、祝福の仕草を見せる栄光のキリストがうかがえる。その周囲には、顔が損なわれた四人の福音書記者の象徴が配されている。
このティンパヌムはパルメット模様のフリーズに囲まれており、両側の柱頭には、かなり原始的な彫刻(しゃがんだ人物や手を上げた人物、猛禽類、山羊、そして幻想的な生き物)がいくつか見られる。
最後に、最後のアーチの下部に刻まれた碑文は、バレンシー(Balencie)とリッター(Ritter)によって「Renolt me fecit」と訳されたが、これについてはいくつかの解釈がある。この署名は、実際にはこの扉口の制作に携わった彫刻家のものと考えられ、修道院の「建設者」のものではない可能性が高い。また、このファサードの上部は19世紀に改築された(現在のオクルスは1850年頃のものと思われる)ため、12世紀にはこの扉口の上部に、鐘を収めた壁掛け式の鐘楼があった可能性が高い。
(Zodiaque) la nuit des temps『Pyrénées romanes』による画像です。

6. 内観(教会)
教会の中に入ります。

祭壇は、聖サヴァンの墓(11世紀または12世紀)を再利用しています。

外部では後陣の二つの窓に謎めいた柱頭彫刻がありましたが、内部では中央窓の柱頭にのみ彫刻があります。

アトラスや動物の頭部が彫られています。

「カゴの(des Cagots)」と呼ばれる聖水盤
オルガンの近く、小さな扉口(1869年に開けられ、旧サン=ジャン教区教会から移設されたクリスモンが上部に掲げられている)のそばに、「カゴの(des Cagots)」と呼ばれる聖水盤がある。この扉口のクリスモンと同様、これもサン=ジャン教会からのものだが、実際にカゴ(Cagots)のために作られたという証拠はない。歴史家によれば、その制作年代は12世紀から15世紀の間とされている。腰に手を当てた素朴な姿の2人の人物が、聖水盤を肩に担いでいる。

カゴ(Cagots)
この名は、主にフランス南西部およびピレネー地方において、地元住民とは異なるとして疎外された人々を称したものである。この隔離の正確な起源や理由は特定しがたい。こうした疎外された人々は、例えば特定の職業に限定されたり、同族間での結婚を強いられたり、外出時にはその存在を知らせたりすることを余儀なくされ、村の外れにある集落に居住させられていた。サン=サヴァンでは、マイヨック地区がこうした不幸な人々のために割り当てられていた。
教会では、他の信徒たちと混ざることができなかったため、特定の低い扉や聖水盤が彼らのために用意されていた。

7. 外観(宝物館)
宝物館に行きます。
教会の北側にあります。
私が行ったとき、宝物館は(修復工事のため)閉まっていました。

かつての回廊に面した二連窓には、古風な装飾が施された非常に興味深い2つの柱頭がある。

そこにはロゼット、鳥、牛、蛇、鹿などが彫られているが、何よりも、内側から見える二つの顔―― 左にはしかめ面(悪魔か?)、右には穏やかな顔(キリストか?)―― があり、これは修道士たちがこの部屋で、この二つの対立する力の間で日々下さなければならなかった選択を想起させるものである。
(Zodiaque) la nuit des temps『Pyrénées romanes』による画像です。

悪魔の顔、かわいい。

外側から見える彫刻をみます。
穏やかな顔が彫られている柱頭には、絡み合う模様や人物の顔などが彫られています。

また、ロゼット、鳥や星型なども彫られています。

悪魔のような顔が彫られている柱頭には、蛇や首から財布を下げる男性が彫られています。

村の起源は、おそらく4世紀にさかのぼる。
当時、現在のサン=サヴァン村の場所に農村集落が存在していたが、それは蛮族の侵入によって破壊されたという。この「パラティウム・エミリアヌム」と呼ばれたカストルムの廃墟の上に、修道士たちが定住し、おそらく新たな住民も加わった。この初期の集落はBencerまたはvilla Bencerと呼ばれ、ラテン語化されてBencusとなった。
『Cartulaire de Saint-Savin』によれば、10世紀の再建が始まった頃には、「古い建造物の遺構は、もはや目に見えるものは何一つ残っていなかった」とされている。考古学的な観点から見ると、このメロヴィング朝時代に遡る可能性のあるものは、大理石の柱頭3基(うち2基はチャプター・ハウスで再利用されている)のみである。しかし、それらが最初の修道院の教会に属していたのか、それともBencerに属していたのかを、現時点で断定する根拠は何もない。
ヴォールトの支点は、ロマネスク様式の基部を持つ2本の柱に支えられている。そのうちの1本(北側)には、身をくねらせる蛇が彫られており、もう1本(南側)には、横たわる四足獣、おそらく子羊が表現されている。柱頭は、間違いなく再利用されたものであり、明らかにプレロマネスク様式(メロヴィング朝またはカロリング朝?)である。
ガラス扉を通して宝物館の中の一部を見ることができました。

Abbatiale Romane de Saint-Savin-en-Lavedan。彫刻が素晴らしいです。
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