サン=スヴェール=ド=リュスタン(Saint-Sever-de-Rustan)

2025年8月17日(日)、四番目に訪れたのはSaint-Sever-de-Rustan、Abbaye de Saint Sever de Rustanです。

ここは、南扉口、南窓、そして教会の内部を飾る柱頭に傑出した彫刻があります。

2025年、修道院はガイドツアーでのみ訪問可能でした。ガイドツアーは6月から8月の水曜から日曜の14:30と16:00にありました。有料(€5)でした。

目次

1. Saint-Sever-de-Rustan .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(東側) .
5. 内観(西壁) .
6. 内観(北壁) .
7. 内観(イコノスタシス) .
8. 内観(後陣) .

1. Saint-Sever-de-Rustan

サン=スヴェール=ド=リュスタン(Saint-Sever-de-Rustan)は、オクシタニー地域圏オート=ピレネー県にあり、県都であるタルブの約15km北東に位置します。

ガイドツアーの集合場所は、修道院の建物です。

修道院の建物

2. 概要

修道院の中に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

サン=スヴェール=ド=リュスタン(Saint-Sever-de-Rustan)

サン=スヴェール=ド=リュスタン(Saint-Sever-de-Rustan)の地名は、Severus、Sévère または Sever という姓に由来する。この人物こそが、修道院や町の建設の中心となった教会の創設者とされている。

スヴェールの名が初めて登場するのは6世紀、トゥールのグレゴリウスが著した『In Gloria confessorum』においてである。この著作は、ガリアの複数の聖人の生涯を記したものである。

スヴェールは貴族から司祭となった。彼は自身の領地のうち2か所に教会を建立し、毎週日曜日にはそこへ次々と足を運び、ミサを執り行っていた。

彼の功績と徳行により彼は聖人として称えられ、その墓は崇拝の対象となり、やがて修道士たちの共同体が集まるきっかけとなったとされる。

セイヨウカリンの木にまつわる奇跡のエピソードは、修道院の紋章に見られ、クワイヤの上部にも彫刻されている。

ある日、スヴェールは道中、セイヨウカリンの枝に頭を打たれ、その木を呪ったところ、木はたちまち枯れてしまった。数日後、戻ってきた彼は枯れた木を見て、天にその木に活力を取り戻させてくれるよう懇願すると、その願いは叶った。

中世におけるサン=スヴェール=ド=リュスタン修道院(monastère de Saint-Sever-de-Rustan)については、ほとんど知られていない。これは、古い記録が失われたことや、18世紀に建物が何度も再建されたことが原因である。

この修道院は11世紀初頭にはすでに存在していた。ビゴール伯(Comtes de Bigorre)の保護下にあったこの修道院は、彼らの領地とタルブ(Tarbes)教区の境界線上に位置し、オーシュ(Auch)司教の領地と向かい合うという戦略的な場所にあった。1087年、マルセイユのサン・ヴィクトール修道院(Abbaye Saint-Victor)のベネディクト会修道士たちに寄進された。

14~15世紀には大規模な改修工事が行われた。町と同様に、教会や修道院も要塞化され、白大理石製のゴシック様式の回廊が、ほとんど何も知られていないロマネスク様式の回廊に取って代わったと考えられる。16世紀初頭には装飾が施されたが、1573年の修道院略奪や近代的な再建工事によって損なわれてしまった。

中世からフランス革命に至るまで、この修道院には平均して12人ほどの修道士からなる共同体が暮らしていた。

17世紀初頭の状況は驚くべきものだったが、当時としては珍しいことではなかった。修道士たちはもはや修道院で共同生活を送っておらず、収入の一部を私物化していた。彼らの多くは町に住み、酒場に通って酒を飲み、賭博に興じていた。彼らはベネディクト会の修道服ではなく、一般の服を着て、武器を携えていた。中には内縁関係にあり、子供を持つ者もいた。ついに1646年以降、修道院長がサン=モールのベネディクト会修道士を招き、この地を管理させることにした。

フランス革命により修道会が廃止され、修道院は「国有財産」として売却された。教会と聖具室は自治体の所有となり、1914年に歴史的建造物に指定された。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

案内板による修道院教会の平面図です。東が上です。

案内板より

濃い茶色:12世紀
薄い茶色:12世紀(再建)
濃い赤色:14世紀
薄い赤色:15世紀
濃い緑色:16世紀
薄い緑色:16世紀(第2段階)
白色:19世紀および時期不詳

交差部と身廊の一部、そして南扉口にロマネスク建築が残っています。

4. 外観

教会を見学します。

南に行きます。

教会は修道院の南側、村に隣接する場所に建てられている。修道士たちによって、そして彼らのために建てられたこの教会は、修道院教会であると同時に教区教会でもあった。つまり、住民たちは、司祭が執り行う礼拝に参加するためにここを利用できたのである。

南側外観

建物の破壊と再建を繰り返してきたにもかかわらず、教会には、12世紀前半のロマネスク彫刻の傑出した例が保存されている。

それは、南扉口、南窓、そして教会の内部を飾る柱頭である。

南扉口をみます。

南扉口

左(西)側の柱頭には、ケンタウロス、守銭奴(強欲の罪)と悪魔たちなどが彫られています。

南扉口

右(東)側の柱頭には、栄光のキリストと2人の天使、蛇にからまれる女性(邪淫の罪)などが彫られています。

南扉口

5. 内観

教会の中に行きます。

身廊にて東を向く

交差部の柱頭彫刻が素晴らしいです。

向かい合う鳥たち。

柱頭

「アダムとエバ」(『創世記』3章)。

柱頭

頭をかじられる男性(傲慢の罪)。

柱頭

イエスとマンドルラを支える天使たち。

柱頭

ダビデとゴリアト(『サムエル記上』17章)。

柱頭

Abbaye de Saint Sever de Rustan。南扉口、南窓、そして教会の内部を飾る柱頭に傑出した彫刻があります。

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