2025年8月18日(月)、最初に訪れたのはLuz-Saint-Sauveur、Église de Saint-Andréです。
ここは、北扉口が良いです。また、複数の場所に碑文が残っています。
目次
1. Luz-Saint-Sauveur .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観 .
5. 外観(北扉口) .
6. 外観(碑文) .
1. Luz-Saint-Sauveur
リュス=サン=ソヴァール(Luz-Saint-Sauveur)は、オクシタニー地域圏オート=ピレネー県にあり、県都であるタルブの約40km南西に位置します。
教会は、山あいの村の中心にあります。

要塞化されていて、いかつい防御壁に囲まれています。

2. 概要
教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
サン=タンドレ教会(Église de Saint-André)
10世紀および14世紀
要塞化された教会
この教会は10世紀末、サン=タンドレ家(famille de Saint-André)によって建てられた。
この一族を称えるため、教会は使徒聖アンデレに捧げられた。
14世紀、この家系の子孫たちは教会をエルサレムの聖ヨハネ騎士団に寄贈した。そこでは、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼者たちが迎え入れられた。
16世紀、同修道会はマルタ騎士団となった。マルタ騎士団は、村人を「Miquelets」と呼ばれるアラゴン人の盗賊から守るため、教会を城壁で囲んだ。当時、「Arsenal」と呼ばれる塔は弾薬庫として使用されていた。
したがって、「テンプル騎士団の教会(église des Templiers)」という呼称は不適切である。
3. 平面図
案内板による平面図です。東が左です。

この後は、(Zodiaque) la nuit des temps『Pyrénées romanes』を引用する時に太字で書きます。
4. 内観
教会の中に入ります。
単身廊が半円形の後陣につながっています。簡素な建築です。

5. 外観
北扉口をみます。

ティンパヌムには、玉座に座るキリストと四福音書記者の象徴が彫られています。構図が安定していて、彫りが洗練されています。
また、縁の部分に文字が刻まれています。
ティンパヌムを取り囲む碑文は次のように訳せる。「この世を去る義人の前に、天の門が開かれる。彼こそが、キリストと聖母の御許で安息の床を見出せるように。」
まぐさの上には次のように記されている。「蛇は毎年皮を脱ぐ。それは極めて謙虚である。情欲への執着を捨てよ。もしこの神殿に入りたいと願うなら、それを穢してはならない……神に倣え……」

柱の台座にある碑文は、次のように解釈できる。左側のものは、「私は屈服できない。もし誰かが正しいとすれば、それは私だ」(キリスト教の美徳に関する聖パウロの言葉への言及)
『ガラテヤの信徒への手紙』2章
5: 福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。

そして右側のものは、「私はふさわしい者を支え、悪人を退ける」(教会の力と厳格な正義への言及)である。
『詩編』37編
27: 悪を避け、善を行えば/とこしえに、住み続けることができる。

6. 外観(碑文)
北扉口に加えて、二つの場所に碑文があります。
扉口のすぐ左側、ポーチの壁に埋め込まれた石の上に、歴史と考古学にとって示唆に富む二つの碑文がある。
それらを転記する。まず、中央に:
B. BLANC …. PAGA
LO . LOGE … DAQE
ST. PILA. AS. M C C
そしてその上(横に並んで):
ECCLESIA ISTA FUIT DEDICATA ANNO M C C . E . XL
これにより、建物は1200年に完成したが、教会自体の奉献は1240年まで行われなかったことが分かる。したがって、これは12世紀末に建設された、やや遅めのロマネスク様式の建造物である。

もうひとつの年代が記された碑文は、教会のこの同じ北側壁面にあるが、旧墓地の入り口に置かれた子供の墓に関するものである。

石棺に刻まれた碑文(旅行者のヴィクトル・ユーゴーが「全く理解できない」と述べたもの)は、オック語から次のように訳される。「ここに眠るのはベナ……オ……バト、エン・ラモン・ド・バレージュとナ・ヘラ夫人の娘である。彼女は1236年4月の最終週に亡くなった。ジール・ド・セールがこれを造らせた。」

Église de Saint-André。北扉口が良いです。また、複数の場所に碑文が残っています。
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