グラード(Grado)<1>

2023年8月18日(金)、最初に訪れたのは Grado。まず Basilica di Santa Eufemia に行きます。

ここは、初期キリスト教時代の床モザイクがあります。

2023年は、夏期は毎日8:00〜19:00、冬期は毎日8:00〜18:00に開きました。

Grado では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Basilica di Santa Eufemia
<2> Chiesa di Santa Maria delle Grazie

目次

1. Grado へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観 .
5. 内観 .

1. Grado へ

私はウディネ(Udine)の Airbnb をチェックアウトし、東に約50km、46分ほど運転して、アドリア海北縁のラグーンに浮かぶ島に着きました。

リゾート島です。旧市街にある駐車場はどこも満車でした。私はソーレ通り(Viale del Sole)まで行ってやっと車を停められました。教会まで2km近く離れています。

私は、たくさんのカフェ、レストラン、ビーチサンダルやリゾート着を売る店が並ぶ中を25分くらい歩いて、やっと教会につきました。

南側外観

11:30頃のことです。

2. 概要

現地には案内は見当たりませんでした。FAI(Fondo Ambiente Italiano)による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

旧大聖堂である。古代ローマ時代の基礎の上に建てられ、現在の姿は Elia 総主教の時代(6世紀最後の20年間)にさかのぼる。

この非凡な聖堂は、オリジナルのレイアウトを多く残しながらも、後世の増築によって豊かになった複雑な構造をしており、初期キリスト教のモザイク、14世紀の貴重な彫刻作品、15世紀のフレスコ画が、身廊の間に「共存」している。隣接する鐘楼は15世紀に建てられたもので、聖ミカエルの像( “Anzolo” )がそびえている。

イタリア語の辞書によると「初期キリスト教の(paleocristiano)」とは1世紀から6世紀頃を指します。

付属施設には、20世紀前半の発掘調査によって5世紀の起源が明らかになった洗礼堂(ただし、石組みは6世紀まで遡ると考えられている)と、2世紀から6世紀にかけての多数の石棺があるラピダリウムがある。

アドリア海北縁のラグーンに浮かぶ島として、ここグラードも豊かな時代があったようです。でもヴェネツィアが台頭してどんどん勢力を拡大したのに比べて、グラードの勢いは続きませんでした。

3. 平面図

教会の外に案内図がありました。東が右です。

教会の外にあった案内図より

教会は、総主教広場(Campo dei patriarchi)にあります。

本来の総主教座はアクイレイアです。

大都市を統括する司教に与えられる総主教の称号を、アクイレイアの司教として初めて与えられのはパウリヌス1世(Paolino I、在位558-569年)です。彼はローマ人でした。Cividale を征服したロンゴバルド人を恐れて、568年にここグラード島に避難してきたのです。

地理的にも文化的にも、よりローマ帝国に近いからでしょうか。この教会はローマ帝国の香りがします。

4. 外観

総主教広場(Campo dei patriarchi)から教会を望みます。

北西側外観

教会の北側に洗礼堂があります。

洗礼堂、西側外観

現地にあったQRコードによると、洗礼堂の内部には六角形の洗礼盤があり、床にはモザイクが残されています。

5. 内観

教会の中に入ります。

身廊には見事な円柱が並んでいます。

身廊にて東を向く

不揃いの柱頭のいくつかは、再利用されたものかもしれません。

身廊にて北東を向く

床には、モザイクがびっしり。

床モザイク

聖水盤は、コリント式の柱頭を再利用しているようです。

身廊にて南東を向く

なんだか、ローマっぽいです。

Basilica di Santa Eufemia。初期キリスト教時代の床モザイクがあります。

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