2023年5月9日(火)の最後、四番目の訪問地は Contrasta。Ermita de Nuestra Señora de Elizmendi です。
ここは、後陣の持ち送りが素晴らしいです。
Ermita は閉まっていました。私は Ermita の中に入りませんでした。
目次
Contrasta へ .
概要 .
平面図 . .
東側外観 . .
<ローマ時代の墓碑> . .
<後陣の持ち送り> . .
Contrasta へ
夫と私はゴルドア(Gordoa)から南東に約22km、25分ほど運転して、村外れに着きました。13:30頃のことです。
Ermita は、村の南東の小高い丘の上にあります。最後は歩いて登ります。
Ermita を背にして東を向くと、見事な眺望が広がります。
振り返ると、ロマネスク様式の後陣があります。
概要
教会の外に案内板がありました。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
Elizmendiko Andre Maria baseliza / Ermita de Nuestra Señora de Elizmendi
この小さな教会の傑出した特徴は、ローマ時代の墓碑が20基以上も壁にはめ込まれていることである。これらは近くのネクロポリス(正確な場所は不明)から持ち出されたもので、教会が建てられた中世に再利用された。
それらは、この建物の最も古い部分である半円形の後陣と、中世以降に再建された身廊で見ることができる。その多くは断片的なもので、壁の下部に位置するため風雨にさらされ、状態は良くない。
この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。
平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
東側外観
<ローマ時代の墓碑>
ローマ時代の墓碑が20基以上も壁にはめ込まれています。
比較的よく残っているのが、後陣の南端のあたり。
放射状の線と円が刻まれています。
案内板に、碑文の解説がありました。
このように読めるのだそうです。
Mincius Florus
[a]n(norum) LXX h(ic) s(itus) e(st) M(anibus?) D(iis?)
[.]anica Flori ancilla
[a]n(norum) V h(ic) s(ita) e(st) M(anibus?) D(iis?)
ここに70歳のMincius Florusが眠る。Manes へ
ここにFlorusの奴隷[.]anica、5歳が眠る。Manes へ
各墓誌の末尾にあるイニシャルMDは、”Dis Manibus”の倒置かもしれないが、確かなことは分かっていない。この式は通常、碑文の最初にあって最後にはない。
“D.M.” と略される”Dis Manibus”という言葉は「死者の霊に」という意味です。
奴隷の名前が、墓碑に刻まれていたことに、驚きました。
死者の霊は”Di Manes”と呼ばれました。古代ローマでは、Manesに血の生贄を提供していたと聞いたことがあります。
<後陣の持ち送り>
後陣の軒下に、10個の持ち送りがあります。
中には、古代カンタブリアの太陽神のような模様もあります。
ローマ時代の墓碑にも放射状の線が描かれていました。でも、よくみると、線が逆回転なんです。
ところで、ここの持ち送りは、300kmも離れているレベニャ(Lebeña)やボストロニソ(Bostronizo)の持ち送りを思い出します。
偶然かもしれませんが、レベニャ(Lebeña)やボストロニソ(Bostronizo)の持ち送りの放射状の線は、ここ、コントラスタ(Kontrasta)の持ち送りと同じ方向に回転しています。
面白いです。
細かいことは放っておき、純粋に、後陣の持ち送りを眺めて楽しみます。
幾何学模様や十字架にかけられた人物が描かれています。
大きな手が印象的です。
ずんぐりと丸みを帯びた素朴さが、私の心を打ちます。
Ermita de Nuestra Señora de Elizmendi。後陣の持ち送りが素晴らしいです。
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