2023年5月8日(月)の最後、五番目の訪問地は Elburgo。Ermita de San Juan de Arrarain です。
ここは、内陣と後陣の持ち送りが良いです。後陣の窓の柱頭にも彫刻があります。
Ermita は閉まっていました。私は Ermita の中に入りませんでした。
目次
Elburgo へ .
概要 .
平面図 . .
東側外観
<基礎に再利用された石棺> . .
<後陣窓の柱頭> . .
<後陣軒下の持ち送り>
Elburgo へ
夫と私はイディアサバル(Idiazabal)から南西に約55km、40分ほど運転して、農地の中にポツンと佇む Ermita に着きました。14:45頃のことです。
南西側だけを見ると、農業用の倉庫かしらと思うような質素な建物。
北側には墓地があり、東側には半円形の後陣があります。
東側はロマネスクです。
概要
現地にQRコードがありました。そのWebサイトの英語版について、私が一部を抜粋して太字で和訳します。
Arraraingo San Joan baseliza / Ermita de San Juan de Arrarain
12世紀 ロマネスク様式
Elburgoの町のはずれ、畑の間にある。この建物は、14世紀に廃村になるまでこの地域で栄えていたArrarainという名の小さな村の存在を証明する、現存する唯一の遺構である。
(…)あるいはArrarainの場合のように、近くに村ができたために、その財政的・法的な優位性から小さな村が放棄され、新しく設立された町の境界内に住民が移動することになった、などである。1337年、カスティーリャ王アルフォンソ11世(Alfonso XI)によってElburgoが設立されると、隣接する村々に強い圧力がかかり、より良い生活を求めてElburgoに移り住んだ住民によって、多くの村が放棄された。
この後も、このWebサイトを引用するときは太字で書きます。
平面図
現地には平面図が見当たりませんでした。Románico Digital による平面図です。東が右です。
さっそく、見学です。
東側外観
<基礎に再利用された石棺>
内陣と後陣にロマネスク様式が残ります。
興味深いのは、その基礎部分。
奇妙な形の石が並んでいます。
石棺を再利用しています。
ロマネスク様式の建物が建設された12世紀よりも前に、このあたりに墓があったのだと思います。これらの石棺は、12世紀頃にはすでに放棄されていたのかもしれません。
<後陣窓の柱頭>
窓を見ます。
向かって左の柱頭をみます。
何かを持つ1人の人物、戦う2人の人物、だと思います。
戦う2人の人物の隣には、四足獣がいます。
どんな意味があるのか、よく分かりません。
向かって右の柱頭をみます。
十字架があり、2羽の鳥がいます。
十字架の隣には、裾の長い服を着た3人の人物がいます。
こちらも、どんな意味があるのか、よく分かりません。
<後陣軒下の持ち送り>
内陣と後陣の軒下に15個の持ち送りがあり、そのうち、8個に彫刻があります。
1:円筒形、2:舌を垂らして前足を見せる動物。
3:髭を生やした弦楽器(vielle?)奏者、4:弦楽器(hurdy-gurdy?)奏者、だと思います。
8:縦線、だと思います。後陣の窓の真上です。
9:十字架、10:市松模様。
13:右手で剣を振り上げて左手に盾を持つ兵士、だと思います。
私は、にぎやかな演奏の音色などを想像して楽しくなりました。
Ermita de San Juan de Arrarain。内陣と後陣の持ち送りが良いです。後陣の窓の柱頭にも彫刻があります。
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