2022年12月6日(火)の最後、三番目の目的地はViterbo。Museo Nazionale Etrusco Rocca Albornoz です。
ここには、近隣のエトルリア遺跡の出土品や発掘調査に関する展示があります。(ロマネスクの展示はありません。)こんな文化が花開いた場所に、古代ローマやロマネスクの建築が展開したと想像すると楽しいです。
火曜から日曜、8:30から19:30まで開いています。入館料は€6です(2022年現在)。
目次
Viterbo へ .
エトルリアとは .
エトルリア語 .
ライオンの彫刻 .
テラコッタの浮き彫り .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Viterbo へ
私はトゥスカニア(Tuscania)から東に約22km、23分ほど運転して、宿泊しているAirbnbのある町に戻ってきました。14時頃のことです。
Museo Nazionale Etrusco Rocca Albornoz は、ロッカ(Rocca)広場にあります。
赤い矢印の通路から入ります。
エトルリアとは
ざっくりとまとめると、私の理解では、、、
エトルリアは、紀元前8世紀頃からイタリア中部に栄えた都市国家です。豊かな文化を持っていましたが、紀元前1世紀頃までに古代ローマに負けました。
エトルリアの生き残った住民たちは、すでにエトルリア人の小さな集団が住み着いていた地域などに移住したようです。その後はローマ化していきます。
博物館の展示によると、主なエトルリアの都市はこれらです。
今も大きな町のところもあるし、遺跡だけの場所になってしまったところもあります。
博物館では、Musarna、Ferento、Acquarossa など、さまざまな都市からの出土品を展示して、その歴史を紹介しています。
このあたり、素晴らしいロマネスク教会が残っている場所の多くで、その昔にはエトルリア人が豊かな暮らしをしていたようです。
エトルリア語
エトルリア語の墓碑は、かなり解読されています。
例えば、こちらの紀元前3世紀から2世紀の石棺のふた。
鏡文字のように右から左に”ECA MUTNA”と書いてあり「この石棺(questo sarcofago)」と読めるのだそうです。
博物館の展示では、他の数多くの碑文についても、何と書いてあるのかと、そのイタリア語訳が表示してありました。
よくぞ解読したものです。
ライオンの彫刻
他に、私が興味深く感じたのは、彫刻です。
例えば、こちらは紀元前4世紀頃のネンフロ製の葬祭用ライオン。
現地の案内表示を私が和訳するときは、太字で書きます。
ネンフロ(nenfro)はエトルリア人が彫刻に用いた、Viterbo地方の火山岩です。
エトルリアでは、葬儀の記念碑を守るために、現実または想像上の動物の石像を置く習慣があり、墓の前に置かれたものと考えられる。
こういう文化がある地域にキリスト教が伝わると、教会の扉口や窓や柱頭に、かわいい石像が並ぶことになるのかも。
一部に明るい色が残る。
丸顔のライオン、カラフルだったようです。
テラコッタの浮き彫り
私が一番印象深かったのは、建物に使用したテラコッタの浮き彫りです。
Acquarossa から出土したもの。
紀元前6世紀前半、Acquarossaでは、南エトルリア沿岸の都市から新しい職人が移住してきたためか、屋根テラコッタの生産に多くの革新が起こった。
テラコッタ装飾の断片が2,000点以上発見された。以下のような4種類の浮き彫りがある。
タイプA:クレタ島の雄牛とヘラクレス像が挿入された行進の場面
タイプB:ネメアの獅子とヘラクレス像が挿入された行進の場面
タイプC:宴会
タイプD:踊りの場面
大宴会。犬はおこぼれを拾い食いしているのかも。
笛の音や、人々が囃す声が聞こえてきそうです。
それにしても、ずいぶんとアクロバティックに踊るんですねえ。
色彩の痕跡が十分に残っている。白、赤、黒で塗られていた。
宗教施設だけでなく、公共の建物や個人の建物も、生き生きとした浮き彫りでカラフルに装飾されていたそうです。
Museo Nazionale Etrusco Rocca Albornoz。近隣のエトルリア遺跡の出土品や発掘調査に関する展示があります。こんな文化が花開いた場所に、古代ローマやロマネスクの建築が展開したと想像すると楽しいです。・
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