エネ(Ainay)

2022年9月13日(火)、唯一訪れたのは Ainay。Abbaye Saint Martin d’Ainay です。

ここは、私の好きな場所です。église Saint-Martinの鐘楼のフリーズとクワイヤの浮き彫り、chapelle Sainte-Blandine の壁にかけられているモザイクが見どころです。

目次

Ainay へ
概要
フロアプラン
外観
外観:鐘楼のフリーズ
内観:全体
内観:クワイヤの浮き彫り
内観:chapelle Sainte-Blandine
Abbaye Saint Martin d’Ainay 見学の終わりに

Ainay へ

私は宿から南西に5km、地下鉄と徒歩で20分ほどの、かわいい修道院に着きました。11時頃のことです。

Abbaye Saint Martin d’Ainay(南東側外観)

訪問できる時間は以下の通り(2022年現在)です。
(月〜金)9:30~11:30と14:30~18:30
(土)10:00~12:00
(日)8:30~12:00

11時に到着して、30分ほどで閉まってしまいました。

ここが好きになったし、歴史地区から歩いて15分弱なので何かのついでに来られるし、、、9月14日と9月16日にも来ました。写真はその3日間に撮ったものです。

概要

現地に案内掲示がありました。一部抜粋して太字で和訳すると:

エネのベネディクト会修道院に関する最初の明確な文書記録は859年である。

1107年1月27日、教皇パスカリス2世によって教会は聖別され、聖マルティヌスの庇護のもとに置かれた。同日、「聖母の無原罪の御宿り」を記念して祭壇が奉献された。

1250年には、修道院はリヨン教区内および遠く離れた地域(ヴィエンヌ、ル・ピュイ、ヴァランス、マコン、サン=ポール=トロワ=シャトー、グルノーブル、ジュネーブ、アオスタなど)に72の教会や修道院を所有していた。

14世紀には、ジャン2世ド・ラ・パルド大修道院長(1313-1324)が、修道院内に宮殿と要塞を建設。ルネサンスが始まり、王は教皇から大修道院長の任命権を得たため、修道院は宗教的役割を失った。王たちがここに滞在するようになった。

1562年、ユグノー教徒が文書館を焼き、教会を荒廃させ、回廊を破壊した。エネ大修道院長で1653年に大司教となったカミーユ・ド・ヌヴィルは、1685年に修道院の世俗化を要求し、実現。修道士は司教座聖堂参事会員に取って代わられた。エネは小教区となり、1780年1月27日に修道院の称号を失い、その財産はリヨン大司教区に移された。フランス革命が起こり、修道院の建物は壊され、教会は閉鎖され、倉庫になった。

1802年、宗教的な平和が訪れ、教会は再び信者に開放された。1844年に歴史的建造物に指定され、19世紀には大規模な修復と改造が行われた。1905年6月13日に教皇聖ピオ十世によって小バシリカに昇格した。

案内掲示とは別に、現地にこちらの小冊子が置いてありました。
Jean-François Reynaud, “LA BASILIQUE SAINT MARTIN D’AINAY”
私が撮った写真を見ながら、この小冊子を引用するときは、青い太字で書きます。

フロアプラン

案内掲示にフロアプランがありました。東が上です。

また、フロアプランに関する案内もありました。一部抜粋して太字で和訳すると:

カロリング教会
最初の建物については何もわかっていない。ただ、①chapelle Sainte-Blandineの最初の段階(単一身廊、四角いクワイヤ)が1000年よりも前のものである可能性がある。

11世紀
clocher-porcheの最初の3層は、11世紀後半のものである可能性もある。また、オリジナルの後陣は、ポーチと同時期のものであったと推測される。

12世紀
③église Saint-Martinは、クワイヤの浮き彫りが最も豊かである。左から④アベルの殺害、カインとアベルの供物、大天使聖ミカエルの竜との戦い、次に⑤イエスと四福音書記者の象徴、原罪、楽園追放、受胎告知が描かれている。クワイヤの柱は、小さな人物や象徴的な動物で飾られている。これらは12世紀前半に作られたと考えられている。

19世紀
église Saint-Martinの三つの身廊のアーチ型、後陣の絵画装飾、⑥Saint-Michelのステンドグラス、⑦、⑧、⑨の建設など、さまざまな修復と大規模な改築が加えられた。

外観

Manécanterie を思い出すような、2色づかいの装飾が美しいです。

南東側
西側

西側は、鐘楼に素晴らしいフリーズがあります。

外観:鐘楼のフリーズ

フロアプラン②

西側の鐘楼は、chapelle Sainte-Blandine と同様の位置のずれがあり、モルタルが均質であることから、同時期にさかのぼり、11世紀末頃と考えられています。当時は、鐘楼とポーチは、ファサードの前に孤立していたはずで、この地方ではよく見られる配置です。

煉瓦を使った十字架や、浮き彫りパネルも古いものであることが確認されています。

西面には15の浮き彫りパネルが埋めこまれています。バシリスク、グリフォン、ライオン、牡鹿、鳥などのほか、耕運機を使う農民や玉座の人物などがいます。

どうしても、ライオンが猫みたいでかわいいんですよね。

内観:全体

身廊にいても、クワイヤが気になってしょうがない。

身廊にて東を向く

内観:クワイヤの浮き彫り

クワイヤには物語性のある柱頭彫刻があります。

フロアプラン④

アベルの殺害
カインとアベルの供物、聖ミカエルと竜
洗礼者ヨハネ?

フロアプラン⑤

イエスと四福音書記者の象徴
原罪、楽園追放
受胎告知

カインとアベルの供物を受け取る神の手足といい、アダムとエバの手足といい、なんとも言えない味わいがあります。

内観:chapelle Sainte-Blandine

フロアプラン①

交差部の南にchapelle Sainte-Blandineがあります。

交差部にて南を向く

chapelle Sainte-Blandine は、11世紀にいくつかの段階を経て建設された。第1期工事では1000年頃に短い身廊(8.50m)が作られたことが推測される。11世紀中頃の第2期工事では、礼拝堂は長くなり、壁は高くなり、後陣は煉瓦の寄木細工などで装飾された。当時の床は現在の床より1メートル以上低く、モザイクで覆われていたと推測される。

19世紀の改築で、ほとんどすべての壁は修復され、アーチには新しい基石が与えられ、北壁のアーケードはSaint-Martinとの連絡を確保するために貫かれた。地下聖堂は修復され、モザイクの床が施された(1854-56年)。クワイヤの装飾は現代的なものだが、オリジナルはガダーニュ美術館(Musée de Gadagne)に保管されている。

改築後の今の姿、すごく愛らしいです。きっとオリジナルも素晴らしかったと思います。

chapelle Sainte-Blandine の西壁と南壁に、モザイクが展示されています。

中でも注目なのが、南壁の、こちら。

教皇パスカリス2世

Abbaye Saint Martin d’Ainay 見学の終わりに

église Saint-Martinには、ご紹介していないクワイヤの柱頭や、かつて回廊への扉口にあったと考えられているティンパヌムなど、魅力的な12世紀の彫刻が複数ありました。割愛しちゃいましたが。

Abbaye Saint Martin d’Ainay。ここは、église Saint-Martinの鐘楼のフリーズとクワイヤの浮き彫り、chapelle Sainte-Blandine の壁にかけられているモザイクが見どころです。

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