2022年9月3日(土)の最後、四番目に訪れたのはLacenas。Chapelle Saint-Paul です。
ここは、町外れの小さなロマネスク礼拝堂で、鐘楼の四隅に不思議な彫刻が残ります。中には13世紀末から14世紀初頭にかけて描かれた壁画があり、それを目当てに多くの見学者が訪れます。
内部の見学は基本的に、3月から10月の第1土曜日15時のガイドツアーのみ。予約は必要ありません。
9月3日(土)は第1土曜日。私は15時に Chapelle Saint-Paul に来るために、前後の予定を調整しました。
Lacenas へ
私はサル=アルビュイソナ=アン=ボージョレ(Salles-Arbuissonnas-en-Beaujolais)から南に15分ほど車を運転して、車がたくさん停めてある小さな礼拝堂に着きました。14時半頃のことです。

礼拝堂に入ります。
ガイドツアーの前に
礼拝堂の中ではガイドが、誰かが来るたびに、大事な点について話していました。もう少ししたらガイドツアーを始めることと、礼拝堂の中は撮影禁止ということです。
また、ガイドはフランス語のみ。でも、フランス語がわからない私のために、後で英語で大まかな内容を教えてくれるとのことでした。(ちなみに、ツアーの後で彼女と私の2人で話がはずみ、私がロマネスクに興味があることを知って幾つか提案してくれたおかげで、私は完全に見落としていたひとつの地下聖堂を知りました。9月17日に行ったので、後日に書きます。)
礼拝堂の中については、ガイドから小冊子を買ったので、掲載写真をスマホで撮ってご紹介します。
Chapelle Saint-Paul の概要
ガイドから買った小冊子について、一部を抜粋して太字で和訳します。
モルゴン渓谷とスー城を見渡しながら歩くと、道の曲がり角に、以前は「ノートルダム・デュ・スー(Notre Dame du Sou)」と呼ばれていたサン=ポール礼拝堂がある。
初期ロマネスク芸術の美しい例で、金色の石が使われたボージョレ地区の典型である。
その歴史はスーの領主(テリス家、ガスパール家、ミニョー・ド・ビュッシー家)の歴史と関連するが、その起源は、教区教会か城主の礼拝堂か、明確ではない。
いずれにせよ、その建設は11世紀末から12世紀初頭と推定される。
しかし、何世紀にもわたって何度も改築が繰り返された。身廊は最も古い部分である。13世紀末から14世紀初頭にかけて、鐘楼の上部が改築され、南側の窓が開けられた。後陣の彫刻されたコンソールと扉口は15世紀のもの。北側の聖具室は、18世紀から19世紀初頭に付け加えられたものである。
内部の壁画は、13世紀末から14世紀初頭にかけて描かれたものである。1979年に偶然に発見され、翌年に、ほぼ1年がかりで修復が行われた。
かつて、1月25日(聖パウロが改宗した日)には、巡礼者たちが自分の子供を痙攣から守ってくれるよう聖人に祈りに来ていた。改宗(仏:conversion)と痙攣(仏:convulsion)を表すフランコ・プロヴァンス語が、ともに「convarchon」であるため、同一視されたのである。
後陣には、アンティオキアの聖女マルガレタ(1)を描いた珍しい作品がある。白衣をまとった彼女は、竜の腹から顔を出す。この像がここにあるのは、彼女が出産する女性の守護聖人であり、降誕祭のサイクルと結びついているためである。
この礼拝堂では、長年にわたって日曜日のミサが行われていたが、1792年に閉鎖され、その後、簡素な礼拝と巡礼の場となった。

壁画かわいいですよね〜
ガイドツアーに話を戻し、聞いたことを書きます。
ガイドツアー:礼拝堂の中
これはフランス語で聞いたので、聞き間違えていたらごめんなさい。

幼児虐殺(英:the Massacre of the Innocents)の場面なのですが、このヘロデ王はどうやら当時のフランス王に似せて描かれたようなんです。うまく描き過ぎたのか、お咎めがあるんじゃないかと心配して後から髭を描き加えたそう。
礼拝堂の外に出ます。
ガイドツアー:礼拝堂の外
建物の南西の角には、再利用された石が組み込まれています。
おそらく異教の聖域に使われていた石で、子宝のご利益にあずかろうと今も多くの女性がこの石を触るそうです。
東側は、18世紀から19世紀初頭に増築された北の聖具室を除けば、ほぼロマネスク様式が保たれています。
鐘楼の四隅には、不思議な彫刻があります。

Chapelle Saint-Paul。町外れの小さなロマネスク礼拝堂で、鐘楼の角に不思議な彫刻が残ります。中にはゴシック様式の壁画があり、それを目当てに多くの見学者が訪れます。
(1) 聖女マルガレタ
ヤコブス・デ・ウォラギネ(Jacobus de Voragine)の書いた『黄金伝説(Legenda aurea)』の記述によれば、聖女マルガレタはアンティオキア(現在のトルコ共和国)の出身。異教の神官テオドシオスの娘でしたが、洗礼を受けます。マルガレタの真珠のような美しさをみた長官オリュブリオスは、妻に迎えようと考え、同じ神々を拝むよう言いますが、マルガレタはこれを拒絶し、拷問されて殉教します。
このあたりは、聖女殉教の定番コースでしょう。「美しい乙女が異教徒のおえらいさんに見染められて拷問→殉教」ってことで。
独特なのは、竜の腹から出てきた部分です。マルガレタが拷問を受ける中で起きた奇跡の一つで、彼女は竜の姿をした悪魔に呑みこまれ、腹の中で十字を切ります。竜は十字の印がもつ力のためにまっぷたつに破裂し、彼女は傷ひとつ負わずに出てきたというもの。
「苦難を乗り越えて胎内から出てきた」ので、聖女マルガレタは安産の守護聖人として信仰されています。
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