サン=ロマン=ル=ピュイ(Saint-Romain-le-Puy)<2>

Saint-Romain-le-Puy の Prieuré de Saint-Romain-le-Puy、続きです。前回に外観を見学したので、今回は内観。見どころは、壁画と柱頭彫刻です。

山頂にあった Prieuré de Saint-Romain-le-Puy の中で、今も残っている建物は、Saint Romain d’Antioche(小修道院付属教会)と、その中の Saint Jean sous Terre(地下聖堂)の二つ。

前回も載せましたが、それら二つの断面図と平面図を再掲します。分かりやすくなると思うので。

断面図と平面図

案内ファイルに平面図がありましたが、現地で買った本の断面図と平面図を載せます。こちらの方が分かりやすそうなので。

現地で買った本の断面図と平面図(断面図は東が右、平面図は東が上。)

5世紀の葬祭棟、10世紀末の身廊、11世紀のクワイヤ、15世紀の礼拝室があります。

Saint Romain d’Antioche(小修道院付属教会)の中に入ります。

内観:全体

西扉口を入って東を向くと、クワイヤまで見通せます。

身廊にて東を向く

展覧会の準備中でした。

教会内の壁画をみます。

壁画

11、12、13、15世紀のフレスコ画があります。

現地で買った本によると、こんな配置。

1:11世紀、2:12世紀、3:13世紀、4:15世紀

11世紀と12世紀の壁画だけご紹介します。

11世紀の壁画:1a

シノピア(sinopia)です。

シノピア(sinopia)の名はシノペという赤土の産地に由来し、元々は赤褐色の顔料のことを意味していました。その後、シノピアで描かれた絵画やフレスコ画の下絵を幅広くさすようになりました。

脱線しますが、、、

こういう言葉の変化って、文字装飾(ミニアチュール)とミニウムや、装飾写本(イルミナシオン)とアルメンを思い出します。

ボッビオ(Bobbio)<2>のコピペ:

文字装飾(伊:miniatura、英:miniature)の名はミニウム(酸化鉛)という赤色インクの原料となる鉱物に由来し、元々は頭文字やタイトルを赤字で書くことを意味していた。その後、文字装飾や細密画など写本の装飾を幅広くさすようになった。

中世には、金や多色で彩られた写本は”alluminatura”あるいは”illuminatura”とも呼ばれた。以前は、光を意味するラテン語の”lumen”に由来し文字に貴重さと光を与えるからだと考えられていたが、後に、色を定着させるために使われる鉱物のミョウバンを意味するラテン語の”alumen”からの派生であることが信憑性が高いと考えられている。

言葉の使われ方の変化がちょっと似てるでしょ?

話を1a のシノピアに戻します。

11世紀の壁画:1a

跳躍するライオンが描かれています。長いたてがみがあって、三つの葉を吐いていて、胴体にヨハネの黙示録の一節 “VICIT LEO”「獅子が勝利した」と刻まれています。

ヨハネの黙示録5章5節
すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」

頼もしいですなあ。

11世紀に描かれた壁画がもうひとつあります。

11世紀の壁画:1b

11世紀の壁画:1b

受胎告知。天使の一部は色が塗られているので、制作途中だったのかも。

12世紀の壁画をみます。

12世紀の壁画:2a

12世紀の壁画:2a

アーチの下に胸像、その下に全身像が描かれています。

アーチの下に胸像で描かれている人は、おそらく聖ポティヌスだそう。リヨン最初の司教。パリウム(教皇と功績のある大司教だけが着用する肩掛け)を身にまとっていて、頭部の左にPHOの文字があるかららしいです。

その下に全身像で描かれている人は、誰だか分かりません。

12世紀の壁画:2b

12世紀の壁画:2b

向かい側には、2aの装飾と同じ構図で、アーチの下に胸像、その下に全身像が描かれています。聖イレネオ、聖クレメンス、聖イグナチオ、聖ポリュカルポスなど、聖ポティヌスのようにキリスト教初期の殉教者を表現していると考えられるそう。

クワイヤに描かれる人たちですから、厳選されたことでしょう。

12世紀の壁画:2c

南小後陣に降りる階段と、南小後陣の北壁に描かれているもの。

12世紀の壁画:2c

南小後陣に降りる階段に描かれているのは、2人の全身像。

12世紀の壁画:2c、南小後陣に降りる階段

聖職者のようですが、誰だか分かりません。

南小後陣の北壁

12世紀の壁画:2c、南小後陣の北壁

上段は背の高い天使がいて、翼の先端がある。下段は左から、髭を生やした男、左手をマントの下に通した人物、左手を挙げ頭と体を黄色のマントで包んだ女性、肩とマントが装飾された人物が20世紀初頭の調査で確認されている。

フレスコとセッコの混合技法で描かれたこの作品は、まずフレスコの手法で濡れた石膏の上に背景を置き、その上に顔などの細部を描き、その後に、乾いた石膏の上にテンペラで顔の特徴などの細部を描いている。

へー。本を読むまで、私にゃフレスコかセッコかなんて分からなかった。。。

背景が、緑、黄、赤、青などの水平の帯ってところ、ロマネスク様式っぽいです。

柱頭彫刻をみます。

柱頭彫刻

羊がたくさん。

クワイヤにて北東を向く
クワイヤにて南東を向く

水を表していそうなグルグルとか、幾何学模様とか、植物とか、2段とか3段にして描かれています。

主後陣にて東を向く

素朴なのに手がこんでいて、すごく魅力的。

ちなみに、主後陣はとても眺めが良いんです。カメラの設定を変えて撮るとわかり易いかも。

主後陣にて北東を向く
主後陣にて北東を向く

飛べそう。

最後に、地下聖堂をみます。

地下聖堂

クワイヤへの階段の手前で、北に入ると、地下聖堂におりる階段があります。

身廊にて北東を向く

地下聖堂への階段を降りる前から、さりげなく柱頭が置いてあって、

かわいい〜。これ「獅子が勝利した」ってやつですよね。

地下聖堂におりると、ほどよい狭さで心が落ち着きます。

柱頭彫刻は、地上のものをさらに力づよくした感じ。

地下聖堂にて南を向く
地下聖堂にて西を向く
地下聖堂にて北を向く
地下聖堂にて東を向く

描かれている図は、違うものもあります。

網目模様と、水を飲む鳥たち。

地下聖堂にて北西を向く

水を飲む鳥たちは、向かい側の柱頭にも描かれています。

水を飲む鳥たち

地上で、教会の外に描かれていた水を飲む鳥たちは、柱にくくりつけられていました。聖なる飲み物にふさわしくない者たちが近づけないことを示しているってことでした。

地下聖堂に描かれている鳥たちは、柱にくくりつけられていません。聖なる飲み物にふさわしいから、飲み放題ってことでしょう。

Prieuré de Saint-Romain-le-Puy。玄武岩の山頂に建つ旧小修道院です。カロリング期(5世紀から8世紀)にさかのぼる建物には、彫刻や壁画が数多く残ります。

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