シャテル=モンターニュ(Châtel-Montagne)<1>

2022年8月5日(金)、最初に訪れたのは Châtel-Montagne 。Eglise Notre-Dame です。

率直に言って、ひとめぼれでした。

Châtel-Montagne へ

私は1泊した宿をチェックアウトし、南東に40分ほど車を運転して、陸の上の美しい島のような教会につきました。10時半頃のことです。

私がひとめぼれした姿がこちら。

Eglise Notre-Dame 南西側外観(Châtel-Montagne へ向かう道から北東を向く)

車を運転しながら、ふと視界に入った教会の姿があまりに美しかった。。。

外観をみます。

Eglise Notre-Dame の外観:全体

教会の北側に大きい無料駐車場があります。その駐車場からみる教会の北側。

Eglise Notre-Dame(北側外観)

東側には四つの放射状祭室があります。

Eglise Notre-Dame(東側外観)

教会の南には広場があり、イベント準備をしていました。教会にも複数の人が出入りしていて、たいへん人気の場所のようです。

Eglise Notre-Dame 南東側外観

西扉口が開け放たれているので、遠くからでも東側のステンドグラスがみえました。

Eglise Notre-Dame 西側外観

教会の西側にはポーチがあります。

Eglise Notre-Dame 北西側外観

教会の中に入ります。

Eglise Notre-Dame の概要

教会の中に案内掲示がありました。一部を抜粋して和訳します。

シャテル=モンターニュの聖母マリア教会は、ユーグ・ド・スミュールの甥でこの地の領主だったダルマス・ド・シャテル=モンターニュから、クリュニー修道院に贈られた。この寄贈は、城の礼拝堂や重要な物品にも関わるもので、結果的に小さな修道院共同体の設立を可能にするものであった。

ユーグ・ド・スミュール(Hugues de Semur)はクリュニー修道院長(1049年〜1109年)でした。後に列聖されて聖ユーグ(Saint Hugues)と呼ばれます。

11世紀に教会が再建され、修道院の建物も建てられた。修道院はその歴史を通して、5人以上の修道士を収容することはなく、質素なものであった。1462年、教会は教区教会となり、修道院はラヴェーヌ修道女会の付属施設となりました。数十年後、修道院の建物はほとんど廃墟と化し、1790年に宗教的な占有が停止された。

12世紀に建てられた花崗岩のノートルダム教会は、ブルボンヌで最も重要で調和のとれたロマネスク建築として残されている。

フロアプラン

教会の中の案内掲示にフロアプランがありました。東が上です。

教会の中の案内掲示にあったフロアプラン

三身廊、交差部、クワイヤに放射状祭室と、大部分に11世紀から12世紀のロマネスク建築が残ります。

Eglise Notre-Dame の内観:全体

教会の中の、全体の様子。

Eglise Notre-Dame(内観、身廊にて東を向く)

交差部に行きます。

Eglise Notre-Dame(内観、交差部にて東を向く)

クワイヤと周歩廊の柱頭について書きたいのですが、その前に。

交差部で西を振り返ると、落ち着いた花崗岩の世界で、

Eglise Notre-Dame(内観、交差部にて西を向く)

その向こうに、絵本のように、のどかな風景が見えるんです。

Eglise Notre-Dame(内観、身廊にて西を向く)

なんて良い眺めだろう。

Eglise Notre-Dame の内観:クワイヤと周歩廊の柱頭

花崗岩というかたい素材を使っていることもあり、繊細ではありません。これが、かえって素朴な味わいを深めます。

内観:クワイヤと周歩廊の柱頭

動物もいます。

内観:周歩廊の柱頭

同じ柱頭を別角度から

内観:周歩廊の柱頭

植物装飾のバリエーション

内観:クワイヤと周歩廊の柱頭

次回、身廊と側廊の柱頭彫刻をみます。

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