サン・フレディアーノ聖堂(Basilica di San Frediano)の見学を終え、サン・サルヴァトーレ教会(Chiesa di San Salvatore)に向かいます。南西に280メートル、徒歩4分の道のりです。
サン・サルヴァトーレ教会(Chiesa di San Salvatore)が見えてきました。
ロマネスク教会っぽさが少ないし、あまり注目されない教会ですよね。案内板も無いし。(←私が見つけられなかっただけかも)
Luccaのコムーネ(自治体役場)公式HPを参考にします。
コムーネの公式HPによると、サン・サルバトーレ教会は、すでに1009年には存在し、12世紀に再建されました。 この建物の一部は、ファサードと南側の石積みに高さ約2メートルまで保存されており、残りの部分は19世紀のネオ中世様式の再建の特徴を示しています。ファサードの右扉口と側面の扉口のまぐさには聖ニコラスを題材とする浮き彫りがあり、明らかにビドゥイーノ(Biduino)の特徴が認められます(12世紀後半)。
私が行ったのは5月3日の16時半頃。教会、開いてました。
内部はナポレオンの時代、1808年に壊滅的な被害があったそうで、すっかり新しくなっています。
この教会で見たいのは、聖ニコラスを描いた二つのまぐさです。
まず、ファサードのまぐさ。
三つの扉口のうち、向かって右の扉口のまぐさにロマネスク彫刻。
聖ニコラウスの奇跡を描いています。4世紀頃の小アジア(ミュラ)の司教で、ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』から概略を紹介すると:
ある金持ちが聖ニコラウスのおかげで息子をさずかり、アデオダトゥス(神からさずかった者)と名付け、毎年聖ニコラウスの日を祝った。ある日、少年アデオダトゥスはハガル人(ヨルダン川より東に住む流浪の民)たちに捕らえられ、彼らの王のもとで召使にされた。少年は異国の王の前で酒杯をささげもちながら、囚われの身を嘆いた。王は「おまえのニコラウスなどがなにをしようたって、この国からはけっして出て行かさぬぞ」と言った。すると、たちまち大つむじ風が起こって、宮殿をおそい、少年を杯もろとも拉し去り、ちょうど両親が聖ニコラウス祭りを祝っていた扉の前につれもどした。
こちらのまぐさには、片側に悪い人(異国の王)、真ん中に髪をつかんで若者を両親の元へ帰す聖ニコラウス、片側に良い人(キリスト教徒)が描かれていると思います。
このまぐさの構図、バルガ(Barga)で見たまぐさにそっくり。
Bargaの作品は人物の脚が垂直におろされていて全体に硬直的なのに対して、Luccaの作品は脚が斜めにおかれるなど全体に動きがあります。
もっと、すっごいのが、南扉口のまぐさ。
見に行きます。
教会のある場所は教会と同じ名前の広場なんですが、駐車場として大活躍。
まぐさ、強烈な印象。
聖ニコラウスの洗礼を描いています。
ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた『黄金伝説』によると「聖ニコラウスは、生まれたその日、産湯をつかわせようとすると、たらいのなかにすっくと立った。」んだそうです。
およそ生まれたての赤ん坊のようには見えませんが、偉大な子供を大人っぽく描いちゃうのは、ロマネスク彫刻の、あるあるってことで。
動物たちの不自然な姿勢。
人々の表情。
桃太郎の誕生シーンのような、中央の三人。
洗礼盤にBIDVNOが作ったと明記してあります。自信作だったに違いない。
サン・サルヴァトーレ教会(Chiesa di San Salvatore)、ファサードと南扉口のまぐさのロマネスク彫刻が素晴らしい。
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