サン=ジュリアン=ド=ジョンジー(Saint-Julien-de-Jonzy)

2018年9月の旅行十日目の最後、六番目の目的地はSaint-Julien-de-Jonzy。サン=ボネ=ド=クレ(Saint-Bonnet-de-Cray)から北に約4km、車でわずか約6分の道のりです。

ここでの目的はサン=ジュリアン教会(Eglise Saint-Julien)。

Saint-Bonnet-de-Cray を出てD199という道を北に向かうと小さな村があり、パン屋の角に標識があるんです。「ロマネスク教会はこちら」みたいな。標識を右折すると教会が見えます。空き地に車を停めました。

塀で囲われた中に墓地があり、その真ん中に細い姿の教会があります。

南西側
北東側

教会の後ろには田園風景が広がっています。

中に入ってみます。

すっかり新しくなっちゃって。

北側廊
南側廊

リーフレットがありました。

リーフレットによると、4世紀初めに殉教したローマ兵士、サン=ジュリアン(Saint-Julien)に捧げられています。ロマネスク教会の建設は12世紀半ば頃ですが、この頃の遺構は鐘楼、その基盤部分と西扉口だけです。

現在の身廊は19世紀の改築ですが、その際(完全に壊れていた)もとのロマネスク様式の身廊とは反対向きに造られました。

現在、身廊は東を拝む通常の向きですから、もとのロマネスク様式の身廊が通常の聖堂とは逆向きだったってことですねえ。

案内板もありました。

フロアプランを拡大

私ときたら、うっかりして中の柱頭彫刻を撮り忘れました。ご参考までに、こちらのサイト(Le site sur l’Art Roman en Bourgogne)で見られます。

外に出て鐘楼を見上げます。

façadeです。12世紀の建設当時は反対向きだったそうですから、こちらに後陣があったはず。扉口の装飾も、もとの場所から動かして19世紀にここに設置されました。

ティンパヌムは荘厳のキリストと、その両脇に天使が二人

足がごつごつしてて、すごくないですか?

まぐさには「最後の晩餐」(新約聖書、マタイによる福音書26章、マルコによる福音書14章、ルカによる福音書22章、ヨハネによる福音書13章)

イエスや使徒たちの頭部はフランス革命の時に壊されてしまったそうです。こういうの、フランスではあちこちで見るし、頭部だけじゃなく破壊しつくされてしまった例もいっぱい聞くなかで、これだけ残っただけでも、良し、なのか。

サン=ジュリアン教会(Eglise Saint-Julien)を見終わって、この日の見学は終了。Airbnbに帰ると鶏たちが元気に出迎えてくれて、うれしくなりました。

でも、駐車したくても車を進めることができなくて、クラクション鳴らしてもガン無視されて。しょうがないから恐る恐る車を進めると、全力で逃げてくれました!

お尻を振る後姿が何とも、愛らしかったです。

十日目(火)に訪問したのは六箇所です。
41. ムレ(Melay)
42. イーグランド(Iguerande)
43. フルーリー=ラ=モンターニュ(Fleury-la-Montagne)
44. シャリリュー(Charlieu)
45. サン=ボネ=ド=クレ(Saint-Bonnet-de-Cray)
46. サン=ジュリアン=ド=ジョンジー(Saint-Julien-de-Jonzy)

グーグルマップを編集して訪問番号を加えました。

目当てのものを見落としたり、車を岩にぶつけたり、さんざんな一日でしたが、それでも鶏たちのおかげでほっこりしたし、ロマネスク教会は気持ちを上げてくれたし。

ま、こんな日もあるさ。

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