トゥルニュ(Tournus)

2018年9月の旅行五日目、最初の目的地はTournus。泊まっているAirbnb(Montceau-les-Mines)から東に約65km、車で約55分の道のりです。

五日目(木)の訪問予定は六箇所。
17. トゥルニュ(Tournus)
18. シャロン=シュル=ソーヌ(Chalon-sur-Saône)
19. ラ・ロシュポ(La Rochepot)
20. オータン(Autun)
21. レジー(Laizy)
22. シャルモワ(Charmoy)

グーグルマップを編集して訪問番号を加えました。

最初に Tournus に行って、反時計回りに訪問しながら泊まっているAirbnb(Montceau-les-Mines)に戻る計画です。

Tournus での目的は旧サン=フィリベール修道院(Ancienne abbaye Saint-Philibert)。

建物の間から façade が見えました。修道院付属の教会の façade です。

近づくと、おおー、これこれ。

この、ロンバルディア帯と付け柱。印象的です。

ちなみに、建物の間から façade が見えるのは、立地がこうなっているから。グーグルマップの画像に私が字を書きました。かつて城壁だった建物が修道院をぐるっと囲んでいるんです。

2世紀ごろ、ここには帝政ローマの要塞化された軍駐屯地があり、聖ヴァレリアヌス(フランス名:サン=ヴァレリアン)が伝道に訪れ、殉教しました。その場所に墓が造られ、聖遺物をいだく小礼拝堂になりました。これが現在の地下聖堂の場所と言われています。

6世紀に修道院が造られましたが、やがて弱体化します。9世紀になると、ノワールムティエ(Noirmoutier)の聖フィリベルトゥス修道院からベネディクト派修道会がやってきます。ノワールムティエ島がノルマン人に侵略されたため、聖フィリベルトゥス(フランス名:サン=フィリベール)の遺物を持って来たのです。

これが「サン=フィリベール」という修道院名で呼ばれる理由です。

このとき修道院はカロリング様式で再建されましたが、10世紀にハンガリー(マジャール人)の侵略によって破壊され、11世紀初めには火災にあいます。

そして11世紀初めから大規模な建設が始まり、12世紀までかかって、ロマネスク様式の修道院が完成したんです。この頃が、最高に繁栄した時代でした。

車は、修道院の東側、「Place des Arts」のところに停めました。

上の写真の左の建物にトイレがあるんです。(ここにトイレがあるってCorsaさんから教えてもらいました。重要です。旅行中のトイレ。)

聖堂の後陣に近づくと、石積みが特徴的です。

下の層はオプス・スピカトゥム(opus spicatum)で積んであります。日本語で谷積みと言うんですかね、ジグザグのやつ。恐らくこちらは11世紀のもの。そして上の層の、きれいに整形された積み石は12世紀のもの。

façade 側に行き、下の写真の「vous êtes ici」と書いてある所から入りました。

入って左にナルテックスが広がっているので、吸い寄せられるようにそちらへ。

太い柱やフレスコ画が魅力的でキョロキョロしてしまいます。

身廊に行くと、横渡しにしてあるヴォールトが特徴的。

交差部まで行って、見上げます。

柱頭彫刻。他のブルゴーニュの聖堂でも見かけたような悪魔たち。

そうかと思うと、イタリアっぽいものもありました。周歩廊の床下にモザイクがあるんです。

月々の労働と黄道十二宮の星座をテーマにした12世紀前半のもの。このテーマのモザイクはイタリアに多く残っています。

現地に設置してあった案内にも、フランスでこの時期のモザイクがそのままの形で残っているものは、ほぼ無く、その作風からイタリアの影響がうかがえるとありました。

5月、騎士。この、馬の脚と尻尾の、なんとも愛らしいこと。

6月、双子座

7月、刈り取りを行う人

8月、蟹座

現地に掲示してあった案内によれば、このモザイクは12世紀前半、修道院全体の大規模な工事のときに作られましたが、16世紀から18世紀にかけてタイルで覆われ、その後さらに舗装材が敷き詰められてしまいました。

再び日の目を見たのは2002年のこと。

周歩廊を24個のメダルがぐるりと取り囲んでいるそうですが、現在、公開されているのは保存状態の良い4個のメダルだけです。これね、現地で見るとすごく幻想的なんです。美しいタイムカプセルを見ている感じ。

さて、お次は地下聖堂(11世紀)。

階段を降りて

中に入ります。

柱頭彫刻は11世紀初めに制作されましたが、19世紀に大幅に修復されました。

地下聖堂は上の内陣と同様のプランです。Zodiac に載っていたフロアプランがこちら。

2世紀に遡る聖ヴァレリアヌス礼拝堂。控えめな装飾がかえって崇高さをひきたたせます。

こちらも、わお。

12世紀のフレスコ画。天井の手前に聖母子像、奥に荘厳のキリストが描かれています。

地下聖堂を見終わったとき、お目当てのところを見ていないことに気づきました。あれ?サン=ミシェル礼拝堂に行ってない。

目指す礼拝堂は、ナルテックスの上にあるはずです。内陣のあたりにいた夫と私はナルテックスに戻り、上に行く階段を探しましたが、どこから行けるのか、わかりません。しばらく二人でナルテックス内を探しまわりました。

ついに入り口まで戻って、この表示をじっくり見ました。

ここにある螺旋階段が、そうかも。

ようやく見つけました。

階段をのぼります。

サン=ミシェル礼拝堂に着きました。ここはナルテックス同様、11世紀初めに建てられました。ロマネスク初期の教会堂の西側の造りの典型的な例です。

が、工事中。

西側も素敵です。

夫に、これを見たかったの?と聞かれた私。うん、これなんだけどさ、彫刻があるはずなんだよ。かっこいい彫刻が。と答えて、今度は二人でかっこいい彫刻を探すことに。

工事のついたての向こうに見つけました。

かっこいい彫刻。

ベース

別の角度から。

もう片方の彫刻。

別の角度から。

ベース

なんとも言えない、力強さと素朴さ。本当にすばらしい。

探し物が見つかって良かったね~と言う夫。。。実は私はまだ「Gerlannus」と彫られた碑文を探しておりました。ナルテックスを建築した人物がその名前を残したと言われています。探しに探したんですが、ついに、見つかりませんでした。「Gerlannus」は、一体、どこに?

あきらめて、回廊とギャラリーをみました。

夫は「ロマネスク巡りって、大人のたからさがしみたいで楽しいよ」と言ってくれます。いや、夫よ。それはもしかすると、とんちんかんな私と一緒だからやたらと探し回っているだけかも。

なにはともあれ、見学を終えて次の町に向けて出発したのでした。

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