2023年8月14日(月)の最後、二番目に訪れたのは Vicenza、Basilica dei Santi Felice e Fortunato です。
ここは、身廊に4世紀半ばから5世紀初頭のものとされる床モザイクがあります。
2023年は、教会は月曜から土曜、9:00〜12:00と15:30〜18:30に開いていました。
目次
1. Vicenza へ .
2. 概要 .
3. 航空写真 .
4. 内観 .
〜Airbnb〜.
1. Vicenza へ
私はバルドリーノ(Bardolino)から東に約80km、70分ほど運転して、大きな町の考古学的区域(ZONA ARCHEOLOGICA)に着きました。15:15頃のことです。
教会の北西には、いくつもの石棺が野晒しです。
ラヴェンナ(Ravenna)の Mausoleo Di Galla Placidia に、似た特徴を持つ石棺がありました。3世紀頃の異教の様式の特徴があるという石棺です。
この辺りは、古代ローマ時代は城壁のすぐ外側で、広大なネクロポリス(異教徒の墓地)があり、数多くの埋葬品が発見されたと聞きました。
教会の北側に、さりげなく石が置かれています。
もしかして、古代ローマ時代の柱頭かしら。
イオニア式の美しい彫刻を施されたいくつもの柱頭が、これまた野晒しで並んでいます。
歴史ある町の考古学的区域(ZONA ARCHEOLOGICA)、恐るべし。
2. 概要
教会の外に案内掲示がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
この初期キリスト教建物群は、今日、10世紀後半に遡るロマネスク様式の再建と、12世紀の大規模な増築という形で姿を現している。
この建物は、それ以前の二つの建物の上に建っている。
最初の建物のプランは、現在、教会の床に赤いヴェローナ産大理石の帯で示されており、その床モザイクは4世紀半ばから5世紀初頭のものとされている。
5世紀には、三廊式、総モザイク造りで、ナルテックスのある、より大きな二番目の建物が建てられ、後に四列柱の玄関ポーチ(クワドリポルティコ)が付け加えられた。現在も残っている重要な部分は、聖母マリア・ドミニ祈祷用小礼拝堂(sacello di S. Maria Mater Domini)である。
主に8世紀から9世紀初頭にかけて、ベネディクト派の修道士たちによって宗教的な広がりの中心地となった。
9世紀後半にハンガリー人によって破壊された後、10世紀に再建された。
1117年の地震による被害の後、新たに重要な修復が行われた。
15世紀には、漆喰塗りとフレスコ画が施され、より大きな窓と新しいトラスが造られた。17世紀には、修道士たちは新しい芸術的嗜好に従って内部を改築し、15世紀の作品を取り除き、当時の習慣に従って新しい祭壇を造った。
1935年に始まった修復工事は1993年まで続き、バロック様式の上部構造を取り除き、この記念碑的複合施設に、この建物の古い宗教的・建築的歴史を読み直すに必要なすべての要素を与えた。
この後も、案内掲示を引用するときに太字で書きます。
3. 航空写真
現地には平面図は見当たりませんでした。Googleマップによる航空写真です。
教会の南に回廊があります。
4. 内観
教会の中に入ります。
身廊の柱は不揃いです。一部は古代ローマ時代の建物で使われていたものを再利用したのかも。
身廊にも側廊にも、柵で囲ってある場所があります。
初期キリスト教時代の床モザイクです。
身廊の中央には、大きく残っています。
こちらの床モザイクは、5世紀に作られたときは身廊の奥にあったものを、1906年に移動したと書いてあります。
こちらは、より古く、4世紀のモザイクで、墓地教会(CHIESA CIMITERIALE)のものだと書いてあります。
終わりがないことを示しているような模様なので、永遠をテーマにしているのかも。
簡素ですが、とても厳かです。
Basilica dei Santi Felice e Fortunato。身廊に4世紀半ばから5世紀初頭のものとされる床モザイクがあります。
〜Airbnb〜
この日の全ての見学を終えた私は、東に約100km、80分ほど車を運転して、Treviso 近郊にある Airbnb にチェックインしました。台所兼食堂兼居間、シャワー・トイレ、寝室一つという間取りの一軒家の一部です。車は敷地内に駐車できました。
2泊の総額が€ 109.75 EURでした。
田舎の祖父母の家のような温かい空間で、ホストは優しく親切でした。部屋には必要なものが揃っていて、快適に過ごすことができました。
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