パヴィア(Pavia)<3>

2022年12月17日(土)の訪問地 Pavia。<3> Cripta di San Giovanni Domnarum を訪れます。

ここは、フレスコ画が素晴らしいです。

ミサの時間を除いて、教会が開いている時間にいつでも訪問できます(2022年現在)。

Pavia では複数を見学しました。以下のように4回に分けて書いています。
<1> Basilica di San Pietro in Ciel d’Oro
<2> Cripta di Sant’Eusebio
<3> Cripta di San Giovanni Domnarum
<4> Basilica di San Michele Maggiore

目次

Cripta di San Giovanni Domnarum へ .
概要 . .
鐘楼 .
地下聖堂の入口 .
地下聖堂(構造) .
地下聖堂(フレスコ画) . . .

アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。

Cripta di San Giovanni Domnarum へ

Cosaさんと私は Cripta di Sant’Eusebio から西に約400メートル、5分ほど歩いて、集合住宅の前に着きました。

黄色矢印のようにカルミネ通り(via del Carmine)からも教会に行くことができます。

Googleマップの航空写真を編集しました

赤色矢印のようにマスケローニ通り(via Mascheroni)から教会に行く場合には、建物に開けられたトンネルを通ります。

建物に開けられたトンネル

わかりにくいですが、トンネルの入口の左のプレートに「San Giovanni Domnarum」と書いてあります。(写真の画像を編集して赤い四角をつけました。)

マスケローニ通り(via Mascheroni)からは、最初の画像で緑色四角の位置にある、鐘楼が見えます。

概要

ジャカ・ブック(Jaca Book)PATRIMONIO ARTISTICO ITALIANO『LOMBARDIA ROMANICA VOL II』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

Paolo Diaconoによると、教会は、7世紀半ばに女王グンデペルガが自身の埋葬地として設立したもので、都市構造の中心に位置し、大聖堂からそう遠くないところにあった。

1000年頃から衰退期を迎えたが、12世紀中頃にパヴィアの教会の中での地位を回復した。

1611年、聖堂参事会長Torrianiは教会を完全に再建することを決定し、一つのホール、その両側に三つの礼拝堂、そして大きな聖域(クワイヤ)を持つようにした。中世の建物の解体を免れたのは、地下聖堂と鐘楼であった。

この後も、ジャカ・ブック(Jaca Book)を引用するときは太字で書きます。

さっそく、見学します。

鐘楼

鐘楼は、マスケローニ通り(via Mascheroni)から、少しだけ見えます。(他の通りからは、建物が邪魔で見えないようです。)

鐘楼

鐘楼は、パヴィア-ミラノの典型的な類型を反映しており、おそらく1050年頃の建築と推定される。

集合住宅の建物に開けられたトンネル(赤い矢印の経路)を通って、教会の中に入ります。

地下聖堂の入口

教会の中に入ると、身廊の北側に地下聖堂の入口があります。

地下聖堂の入口
身廊にて東を向く

階段をおります。

地下聖堂(構造)

狭くて急な階段をおりると、地下聖堂の西側に着きます。

地下聖堂の西側には、樽型天井の横長の空間があります。横長の空間は、長方形の断面を持つ2本の大きな柱をはさんで、後陣につながっています。

横長の空間にて東を向く

17世紀に行われた改築で、身廊の床が高くなったため、地下聖堂は閉鎖され、納骨堂として使用されるほかは、何世紀にもわたって忘れ去られていた。

1914年4月、Faustino Gianani によって地下聖堂が明るみに出された。

奥の2本は断面が四角い柱で、細い支柱である。
左の柱は4世紀のコリント式柱頭を支え、右の柱はコリント式柱頭を戴いているが、これは8世紀のロンゴバルドの建築彫刻に類似するものである。

手前の2本の支柱は、柱の大部分を再利用している。
左の柱は、地下聖堂で唯一ロマネスク時代のものとされる柱頭を持ち、滑らかで装飾的なアクセントはない。右の柱は、ローマ時代の台座を逆さにしたものが柱頭として使われているが、
右の柱の基部は、現在の床面より非常に高く、元の床面を示している。

1914年の冬の間、地下聖堂で行われた発掘調査では、実は不注意にもロマネスク様式の床が取り除かれ、50cmほど下げられた。その際、ロマネスク期に建築に使用されたレンガの資材となった、ローマ時代のカルダリウム(古代の温水浴室)の床下暖房の下層が発見された。

地下聖堂の4本の柱

全体として、地下聖堂のホールのような環境は、1000年前後の年代と一致する特徴を示している。

1000年頃の地面は、今よりも、すごく低かったようです。

採光用っぽい窓があるんです。

地下聖堂の窓

1000年くらい前は、ここから太陽光が差し込んでいたのかなと思います。

地下聖堂(フレスコ画)

フレスコ画をみます。

現地に掲示物がありました。いつ頃に描かれたもので、何が描かれているかについては、現地の掲示物に従って書きます。

横長の空間と後陣をつなぐ、長方形の断面を持つ2本の大きな柱には、両側に聖ビアジオが描かれています。

聖ビアジオ司教(San Biagio vescovo, 1375-1399)
聖ビアジオ司教と聖戦士(San Biagio vescovo e santo guerriero, 1375-1399)

後陣には、1140年〜1160年のフレスコ画が数多く並びます。

イエス(1140-1160)
聖テオフィリウス(San Teofilo, 1140-1160)
天使(1140-1160)
聖グレゴリウスと聖シーロ(San Gregorio e San Siro, 1140-1160)
聖インヴェンツィオ(Sant’Invenzio, 1140-1160)

あまり他の場所ではみかけない聖人が描かれていて、興味深いです。

Cripta di San Giovanni Domnarum。フレスコ画が素晴らしいです。

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