ブリウド(Brioude)<1>

2022年8月25日(木)、最初に訪れたのはBrioude。Basilique Saint-Julien です。

ここは、4世紀にさかのぼる長い歴史があり、12世紀の建物は長さ約78mと超巨大(個人的に巨大と感じたイソワールで約70m)。豊富な美術が保存されていて、最重要級のロマネスク。「オーヴェルニュの五姉妹」として、ブリウド、イソワール、クレルモン、オルシヴァル、サン=ネクテールを数える人も多いようです。

見どころは後陣、南扉口、殉教者廟の遺構、地下聖堂、身廊、聖ミカエル礼拝堂(玄関間の二階)。

見どころ満載なので、以下のように2回に分けて書きます。
<1>概要と外観(南扉口、後陣)
<2>内観(地下聖堂、殉教者廟の遺構、身廊、聖ミカエル礼拝堂)

2022年8月現在、聖ミカエル礼拝堂へ行くには、ガイドツアーへの参加が必須です。
以前は観光案内所で鍵を貸し出していましたが、不埒な見学者が12世紀の壁画の一部を壊したため、ガイドツアーのみになりました。

Brioude へ

夫と私は宿をチェックアウトし、東に6分ほど車を運転して、大きな町に着きました。9:45頃のことです。

ちなみに、教会の東にエレベーターつきの大きな無料駐車場があり、便利でした。

中心部に着くと、美しい後陣(東側)が出迎えますが、あえてファサード(西側)にまわってみます。

Basilique Saint-Julien(西側外観)

この日、朝10時からのガイドツアーを予約してありました。

前の日に予約したとき、ガイド本人に、英語で案内してくれるよう頼みました。すると、通常はフランス語だけですが、2カ国語でやってくれるとのことでした。

集合場所は、身廊の真ん中です。下のフロアプランで16のあたり。

フロアプラン

教会の中にフロアプランが掲示してありました。

教会の中に掲示してあったフロアプラン

<主な建築時期>
白色部分:1060年頃から1100年頃
斜線部分:1140年頃
桃色部分:1165年頃
横線部分:1180年頃
なお、身廊のヴォールトは13世紀から14世紀。

Basilique Saint-Julien の概要

ガイドから聞きとった話を引用する時は、太字で書きます。

ブリウド(Brioude)は、フランスで最も人気のある聖人のひとり、聖ユリアヌスの墓の巡礼によって歴史に名を刻むことになった。聖ユリアヌスは4世紀の殉教者。その崇拝は、すでに5世紀に記録されている。

ブリウド(Brioude)は当時、アリエ(Allier)川にかかる橋に近い小さな町でした。町の名は、ケルト語で「橋」を意味する言葉に由来するようです。

中世には、ローマやサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼者たちが、この町を歩いた。教会は、巡礼路を尊重して、身廊の中央をあけている。

Basilique Saint-Julien(内観、南側廊にて北を向く)

上の写真で、青い矢印がコンポステーラに向かう巡礼路です(赤い矢印は教会の祭壇方向)。

巡礼者が南北に教会を通り抜けられるように、南扉口と北扉口が開放してあります。

南扉口に行きます。

南扉口

開放的なポーチに守られている南扉口。

南扉口

右上に残る11世紀末の赤いレザーは、扉を保護するもの。

二つのドアノブは、ノックするためではなく、日に一度開け閉めするためのもの。

向かって左の猿は、悪の象徴。サタンを示す。

猿の上には「ギラルドゥス(GIRALDUS)が私を作った」、そして周りには「欺瞞に満ちた言葉で誘惑する」と書いてあるようです。

向かって右のライオンは、神の象徴。

「ライオンの子は死んで産まれると、父が息を吹きかけて三日目に生き返らせる」と伝わる。このため、復活したキリストのイメージ。

ライオンの周りには「私は生命を持たずに生まれたが、神の息吹が私に命を与える」と書いてあるようです。

後陣に行きます。

後陣

建物の建築は、概ね西から東へと段階的に、11世紀から140年かけて行われた。

Basilique Saint-Julien(東側外観)

後陣は最終段階にあたり、1180年頃の建築。

後陣

窓の装飾が、個性的です。

後陣

五つの放射状祭室に三つずつ、15の窓があって、

後陣

さらに放射状祭室と放射状祭室の間にも窓があるので、合計19の窓があります。

Basilique Saint-Julien(東側外観)

19の窓の上のアーチ部分や柱頭に惜しみなく装飾が施されています。

後陣

さらに、持ち送りの装飾はもちろんのこと、

後陣

持ち送りと持ち送りの間の壁にも装飾があるんですから、脱帽です。

後陣

この後陣を美しく眺められるのは、グレゴワール・ド・トゥール(Grégoire de Tours)広場があるから。

Basilique Saint-Julien(東側外観)

その広場の考古学的調査の図が案内板になっています。

Grégoire de Tours 広場の考古学的調査の案内板

後陣の東に「A ◎」とありますが、あそこ、初期キリスト教時代には洗礼堂だったんです。現在、観光案内所があるあたり。ガイドによると、洗礼盤が残っているそうです。

次回、内観(地下聖堂、殉教者廟の遺構、身廊、聖ミカエル礼拝堂)を見学します。

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