シャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)<Saint-Jean-Baptiste>

2025年5月14日(水)、三番目に訪れたのはChâteau-Gontier、Église Saint-Jean-Baptiste de Château-Gontierです。

ここは、翼廊に絵画が残っています。地下聖堂もあります。

2025年、教会は毎日昼休みなく開いていました。

Château-Gontier では、2か所に行きました。以下のように2回に分けて書きます。
<1> Église Saint-Jean-Baptiste de Château-Gontier
<2> Église Saint-Saturnin d’Azé

目次

1. Château-Gontier .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観(身廊) .
5. 内観(翼廊) .
6. 内観(地下聖堂) .

1. Château-Gontier

シャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)は、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏マイエンヌ県にある町で、県都ラヴァルの約25km南にあります。

教会は、町の中心にあり、マイエンヌ(Mayenne)川の西岸に位置しています。

東側遠景

2. 概要

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps『Maine Romane』による概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

シャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)

西暦1000年頃、サン=オーバン・ダンジェ(Saint-Aubin d’Angers)の修道士たちは、マイエンヌ(Mayenne)川の右岸に沿って西へ延びるバズージュ(Bazouges)の土地を所有していた。この土地はアンジュー伯フルク3世すなわち有名なフルク・ネラ(Foulque Nerra)から授けられたものである。

フルク・ネラはこの地の戦略的・防衛上の重要性に気づいていた。この土地を所有することで、アンジュー北部のアクセスを支配できたのである。さらに、マイエンヌ(Mayenne)川を見下ろす岩が、要塞の理想的な立地条件を提供していた。そこでフルク・ネラはその東端に新たな城塞を築いた。

大まかな整備を終えると、フルク・ネラは城塞の指揮を忠実な家臣の一人に委ね、建設の完遂を任せた。そして、要塞を封土として与えた。これは、まずゴンティエ(Gontier)という人物に、次に忠実な家臣の一人であるルノー=イヴォン(Renaud-Ivon)に与えられた。

おそらく土塁の直下もしくはその近くに位置する現在のサン=ジャン=バティスト教会(Église Saint-Jean-Baptiste)は、その立地にもかかわらず、城の礼拝堂ではなかった。この教会は小修道院教会(priorale)として、サン=オーバン・ダンジェ(Saint-Aubin d’Angers)に属していたのである。バズージュ(Bazouges)の土地の所有者である修道士たちは、要塞の近くに自らの存在を主張することに熱心であった。

サン=ジャン=バティスト教会(Église Saint-Jean-Baptiste)は、おそらくフルク・ネラ(Foulque Nerra)の存命中に仮設の建物として建立され、11世紀の間に現在の教会に建て替えられたものと思われる。

創設当初、サン=ジャン=バティスト教会は教区の宗教儀式と修道院の儀式を共に執り行っていた。この区分は、現在の建物にも痕跡を残している。

11世紀のシャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)の人口は、城と修道院に寄り添うよう控えめな規模であったが、人口増加に伴って1125年にサン・ジャン・レヴァンジェリスト(Saint-Jean-l’Évangéliste)教区教会の建設が必要となった。この教会は1794年に消滅した。

この1125年という日付は、人口増加の始まりを1世代以上遡らせ、サン=ジャン=バティスト教会の建設を11世紀半ばに位置づけることを可能にする。

要するに、シャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)でもラヴァル(Laval)と同様に人口急増が起きたが、ラヴァル(Laval)ではプリッツ(Pritz)を改築して教区礼拝の需要に対応したのに対し、シャトー=ゴンティエ(Château-Gontier)では近くに教区教会を建設したのである。

この後も、『Maine Romane』を引用する時に太字で書きます。

3. 平面図

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps『Maine Romane』による平面図です。東が上です。

『Maine Romane』より

4. 内観(身廊)

教会の中に入ります。

身廊は、1020年から1030年頃、修道院の創設直後に着手された11世紀初頭の建築であろう。まず第一に、サン・マルタン・ダンジェ(Saint-Martin d’Angers)との類似点が明らかである。フルク・ネラのもとで建設されたサン・マルタンは、1040年以前に建てられたものである。第二に、石積みの技法が非常に古風である。最後に、内部を区切るために一部の支柱群を長くしていることは、その古さを示す重要な手がかりである。これは、その建設時期が疑いの余地のないモンティエ・アン・デル(Montier-en-Der)の身廊にも見られる特徴ではないか。

身廊にて東を向く

身廊の高窓の間に装飾があります。

第二次世界大戦の爆撃により、漆喰が剥がれ落ち、それまで知られていなかった壁画が発見された。そのすべてを保存することはできなかったが、記録は残されている。身廊では、これらの装飾画は高い窓のあたりに残っている。南側では、それらは純粋に装飾的な要素であり、具象的なものではない。

身廊の壁画

5. 内観(翼廊)

身廊より東側では、1100年頃あるいはその直前に大規模な改修が行われたに違いない。建物は小修道院と教区教会の二重機能をもはや果たせなくなっていた。後に教区のための新しい教会を建設するという抜本的な措置が取られた。その間、クワイヤは延長され、翼廊は拡幅されて、教区礼拝を疎かにすることなく修道士たちに一定の空間が与えられた。

翼廊には、具象的な絵画が多く残っています。

北翼廊にて南東を向く

絵画を四つご紹介します。

絵画1

こちらは、「大きな怪物、うごめく生き物と鳥の創造(第五の日)」かもしれません。

『創世記』1章
20: 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
21: 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
22: 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23: 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
絵画1
絵画2

こちらは、「ノアの箱舟」(『創世記』6章)だと思います。ノアが神に言われた箱舟を造っているようです。

絵画2
絵画3

こちらは、ノアが神に言われた箱舟を造っている絵画の下に描かれています。「ノアの箱舟」(『創世記』6章〜9章)に関連する場面かもしれません。

絵画3
絵画4

こちらは、東方三博士だと思います。

壁画4

描き方の特徴(例えば頰の赤い丸)や、『創世記』の場面が多く描かれているところなど、サン=サヴァン=シュル=ガルタンプ修道院(Abbaye de Saint-Savin-sur-Gartempe)の絵画を思い出します。

6. 内観(地下聖堂)

クワイヤの下に地下聖堂があります。

地下聖堂については、その古風な様式は、その年代を示すものではないことが分かっている。特に、その窓のアーチは、継ぎ目が厚いにもかかわらず、埋められておらず、非常に平らで規則的なブロックでできている。さらに、身廊と東側の部分では、石積みに顕著な違いがある。

したがって、比較的早い時期(11世紀末)に、この建造物の東側全体が再建されたのである。

地下聖堂

二つの柱頭に彫刻があります。ひとつは、三角形が彫られています。

地下聖堂

もうひとつは、螺旋が彫られています。

地下聖堂

Église Saint-Jean-Baptiste de Château-Gontier。翼廊に絵画が残っています。地下聖堂もあります。

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