2024年8月25日(日)の最後、六番目に訪れたのはSegovia、Iglesia de la Vera Cruzです。
ここは、とても珍しい独特な建物で、中央の2層の小礼拝室の周囲に1層の円形の身廊が巡る円形構造です。美しい祭壇と二つの扉口があります。
2024年、教会は水曜から日曜の10:30~13:30と16:30~18:30に開いていました。有料(€3)でした。教会の中は撮影禁止でした。
Segovia では、8か所に行きました。以下のように8回に分けて書きます。
<1> Iglesia de San Millán
<2> Iglesia de San Clemente
<3> Iglesia de los Santos Justo y Pastor
<4> Iglesia de San Sebastián
<5> Iglesia de San Martín
<6> Iglesia Parroquial de San Lorenzo
<7> Iglesia de San Esteban
<8> Iglesia de la Vera Cruz
目次
1. Segovia へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西扉口) .
5. 外観(南扉口) .
6. 内観 .
1. Segovia へ
セゴビア(Segovia)は、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県の県都で、首都マドリードの約67km北西にあります。
教会は、セゴビアの郊外、エレスマ(Eresma)川を渡って急勾配を登ったところにあります。

見学開始時刻を待つ人が大勢いて、最寄りの駐車場(Aparcamiento San Marcos)には車がたくさんありました。
2. 概要
入場券を買うとリーフレットをもらえました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
この教会は、テンプル騎士団に起源を持ち、中央の小礼拝室の周囲に円形の身廊が巡る構造を持つ教会のヨーロッパで最も完全な例である。この建築様式は、キリスト教の最初の世紀におけるローマの洗礼堂に先例があり、十字軍がパレスチナに設立したさまざまな騎士団によって建てられた建造物で一般的になった。
この流行の起源は、エルサレムにある岩のモスクと聖墳墓教会にあるのかもしれない。そのモスクに本部を置いていたテンプル騎士団は、この建築様式をパリの教会(フランス)やトマール(ポルトガル)の教会にも採用した。
テンプル騎士団が聖ヨハネ騎士団と合併した際、神殿は聖ヨハネ騎士団の領地となり(1318年)、それ以来、現在に至るまでその状態が続いている。
テンプル騎士団は、14世紀の初めに異端審問にかけられ、有罪とされました。異端審問はフランス王フィリップ4世の策略だったという説があります。フィリップ4世はテンプル騎士団に対して多額の債務がありました。その返済を帳消しにするだけでなく、テンプル騎士団が持つ莫大な資産や特権を手に入れようとした可能性があります。また、フィリップ4世は、かねてよりテンプル騎士団を聖ヨハネ騎士団と合併させ、その頂点に君臨したいと考えていたという説もあります。(Wikipediaより)
聖ヨハネ騎士団(ロードス島およびマルタ島)は、年間を通じて神殿で宗教的儀式や行事を頻繁に執り行っていた。特に、聖金曜日の礼拝は有名であり、聖なる夜の行列も有名であった。騎士たちは黒い聖歌隊服を身にまとい、キャンドルの灯りだけを頼りにザマランマラ街道(camino de Zamarramala)を登った。
教会の建設日は、南扉口の側にあるエディクラに埋め込まれた定礎石に刻まれている。その定礎石には次のように書かれている。
HEC: SACRA: FUNDANTES: CELESTE: SEDE: LOCENTUR ATQUE: GUBERNANTES: IN: EADEM: CONSOCIETUR: DEDICATIO: ECCLIE: BEATI: SEPULCRI: IDUS: APRILIS: ERA: M: CC: XL: VI:
すなわち、この神殿の創設者たちが天上の聖堂に安置され、それを統治する人々が彼らとともにそこに導かれるように。 1246年4月13日(1208年4月13日)の聖墳墓教会献堂式。
初期の建物は後に拡張され、まず聖具室として使われた第4の後陣が増築され、次に塔が建てられた。塔は、おそらく最初はイタリアの鐘楼のように教会とは別に建てられたと考えられる(現在の塔の近くにある四角形の建造物の遺構から推測できる)。この建物の建築様式は、ロマネスク様式からゴシック様式への過渡期の建築様式に相当する。
この後も、リーフレットを引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
リーフレットによる平面図です。東が上です。

図面に濃い輪郭で描かれた壁は、教会の当初の構造を示している。
1- 南扉口
2- 定礎石
3- 壁画装飾の跡
4- 十字架礼拝室(真の十字架の遺物が何世紀にもわたってここで崇められていた)
5- 南小後陣(ロマネスク様式の石像、平和の聖母)
6- 主後陣(13世紀の磔刑像)
7- 北小後陣
8- 後に追加された小後陣(聖具室として使用)
9- 復活の祭壇画(主後陣に置かれていたカスティーリャ派1516年の作品)
10- 礼拝室の上階へと続く二重の階段
11- 壁龕(マルタ騎士団の守護聖人であるフィラデルモの聖母のイコン)
12- 主扉口
4. 外観(西扉口)
西に行きます。
主扉口である西扉口は、ザマランマラ街道(camino de Zamarramala)との高低差を4段の階段でつないています。

持ち送りとメトープ(浮彫石板)があります。持ち送りにはアカンサスの葉、牛、鳥、男性の顔、そして裸の男性などが彫ってあります。

三重の美しいアーチを支える柱頭に彫刻があります。
北の柱頭には、悪魔のような生き物に苛まれる人物、植物、顔の両側の2人の人物が彫られているようです。

南の柱頭には、ライオンと戦う人物、向かい合う鳥、翼を広げたハルピュイアが彫られているようです。

5. 外観(南扉口)
南に行きます。

南扉口は、通常の出入り口として使われています。
南扉口の上に浮き彫りがあります。
「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)かもしれません。
天使、キリストの空の墓、女性たちのように見えます。

南扉口の両側に柱頭があります。
西側には、城壁のような角の両側に2人の人物、植物、が彫られていると思います。

東側には、植物、城壁のような角の両側に2体のハルピュイア、が彫られていると思います。

6. 内観
教会の中に入ります。
南扉口から入ると、そこにチケット売り場があるので入場料を支払います。
チケット売り場では「内部は撮影禁止であること、塔の上からの眺めが良いこと、塔の上では撮影できること」を説明されました。
チケット売り場の横に案内掲示があり、教会の断面図がありました。

とても珍しい独特な建物で、中央の2層の小礼拝室の周囲に1層の円形の身廊が巡る円形構造です。
Románico Digital による教会内観の写真です。

下階は、四つの尖頭アーチ型の入り口が4方位を向いていて、リブ・ヴォールトで覆われています。上階は、サン・ミジャン教会(San Millán)にあるものと同様のカリフ様式のドームで覆われています。
上階にはムデハル様式の装飾が施された美しい祭壇があります。(装飾は、前面と二つの側面にあり、残るひとつの面にはありません。)
「ムデハル」は残留者を意味するアラビア語に由来し、「ムデハル様式」はイスラム教建築とキリスト教建築が融合した様式を指します。
Románico Digital による祭壇の写真です。

これは私の想像ですが、この礼拝室はキリストの墓を象徴していたのかなと思います。キリストの墓は、ゴルゴタの丘、聖十字架、復活などを想起させます。中世の多くの作品で、キリストの十字架の足元にアダムの墓が描かれます。旧約聖書のアダムと新約聖書のイエスが結びついて、人類の救済がもたらされるからです。
そんな私の想像をよそに、現実的な用途が考えられています。
この礼拝室の用途や機能についてはほとんど知られていないが、騎士たちが十字軍遠征前に武器を保管するために使用していたと考えられている(現在、マルタ騎士団はここで宗教儀式を行っている)。
武器庫だったとは、びっくりです。
Iglesia de la Vera Cruz。とても珍しい独特な建物で、中央の2層の小礼拝室の周囲に1層の円形の身廊が巡る円形構造です。美しい祭壇と二つの扉口があります。
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