サン=ポン=ド=トミエール(Saint-Pons-de-Thomières)

2025年8月6日(水)の最後、二番目に訪れたのはSaint-Pons-de-Thomières、Cathédrale de Saint-Pons-de-Thomièresです。

ここは、「死者の門(La porte des Morts)」と、西ファサードに残る浮き彫りが良いです。

2025年、大聖堂は毎日昼休みなく開いていました。

目次

1. Saint-Pons-de-Thomières .
2. 概要 .
3. 復元図 .
4. 外観(西側) .
5. 外観(北側) .
6. 内観 .
7. 回廊の柱頭(ルーヴル美術館) .

1. Saint-Pons-de-Thomières

サン=ポン=ド=トミエール(Saint-Pons-de-Thomières)は、オクシタニー地域圏エロー県にあり、県都であるモンペリエの約90km西に位置します。

大聖堂は、町の中心にあります。

南西側外観

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

修道院と大聖堂の遺構

聖ポンティウス(Saint Pons)は、パイヨン(PAILLON)川のほとりで斬首され、殉教した。ポンティウスはローマ時代の都市シミエ(Cimiez)の司教であった。

ポンティウス(216〜258年)にとって、ローマは生誕の地であり、故郷であり、初期の活動の舞台であった。シミエ(Cimiez)は、彼の殉教の地であった。トミエール(Thomières)は、彼の栄光と崇敬の地である。

936年、トゥールーズ伯レイモン・ポン(RAYMOND PONS)と妻ガルサンデ(GARSINDE)によって、オーヴェルニュ・ロマネスク様式で修道院が建立された。

この修道院は、オーリヤック(AURILLAC)のサン・ジェロー(St GERAUD)修道院のベネディクト会修道士たちに委ねられた。この修道会は、聖オドン(ST ODON)によって改革されたばかりであった。

レイモン伯爵は、ニースから聖ポンティウス(Saint Pons)の遺骸を移させた。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 復元図

案内板による復元図です。東が左です。

大聖堂の変遷
エロー県で最も重要な建築物のひとつであるサン=ポン(Saint-Pons)教会は、その変遷の歴史が極めて複雑であるため、今日ではその様相を解き明かすのが難しい。10世紀に最初の修道院が創設されて以来、今日に至るまで、実に五つの教会が次々と建てられてきた。

① 936年の修道院創設(当時の様子は不明)

② 11世紀の修道院教会で、二つの塔を備えていた。

案内板より(② 11世紀の修道院教会の復元図)

③ 12世紀の修道院教会で、要塞化され、四つの塔を備えていた。

案内板より(③ 12世紀の修道院教会の復元図)

④ 16世紀の大聖堂。1551年にクワイヤが完成した。

案内板より(④ 16世紀の大聖堂の復元図)

⑤ 18世紀の大聖堂。クワイヤが撤去されて新しいファサードが建設され、祭室の向きが変更された。

案内板より(⑤ 18世紀の大聖堂の復元図)

4. 外観(西側)

西に行きます。

11世紀から12世紀にかけて、西ファサードは修道院教会の入り口であった。ナルテックスに続く身廊へ、図像で飾られたティンパヌムと柱頭を持つ柱を備えた扉口から入ることができた。ファサードには当初、二つの塔がそびえていた。そのうち右側の塔は1567年にプロテスタントによって取り壊された。

西側外観

二つの彫刻があります。

これらは11世紀のティンパヌムで、元々は多彩色だった。これらは、1096年に教皇ウルバヌス2世がサン=ポン(Saint-Pons)を訪れた際に奉献された、第2の修道院教会に由来する。これらの彫刻は、1567年にプロテスタントによって一部が損壊された。

「最後の晩餐」

「最後の晩餐」(『マタイによる福音書』26章、『マルコによる福音書』14章、『ルカによる福音書』22章、『ヨハネによる福音書』13章)

「最後の晩餐」
「磔刑」

「磔刑」(『マタイによる福音書』27章、『マルコによる福音書』15章、『ルカによる福音書』23章、『ヨハネによる福音書』19章)

イエスは十字架にかけられ、その傍らには聖母マリアと使徒ヨハネが立っています。両端には、善なる盗人と悪なる盗人がいます。善なる盗人の隣には天使、悪なる盗人の隣には悪魔がいます。

イエスの上では、天使たちが香炉を捧げています。

「磔刑」

5. 外観(北側)

北に行きます。

北西側外観

「死者の門(La porte des Morts)」
12世紀からは修道院、その後は大聖堂の旧入口であったこのロマネスク様式の扉口は、中世に大聖堂の北側にあった旧墓地にちなんで「死者の門(La porte des Morts)」と呼ばれている。3層構造のファサードが特徴で、15世紀に増築されたポーチの下に収められている。かつては、扉口のアーチ部分には柱頭のある小柱が飾られていたが、現在その装飾は失われている。アーチの装飾的細部では、チェッカーボード模様の使用が注目される。

死者の門(La porte des Morts)

また、アーチ上部の帯状装飾の中央には、祝福の手を掲げる修道院長と、修道院の歴史を象徴する3人の修道士の像が刻まれている。

祝福する手、修道院長と修道士たち

アーチの上部には二つの浮き彫りがある。これらは11世紀の大理石製の最初の扉口から移設されたものである。左側の浮き彫りは太陽を、右側の浮き彫りは月を表している。

太陽の浮き彫りに「sol gillo me fecit」と碑文があります。

「sol」を「太陽」と読むなら、「太陽 gilloが私を造った」と読めます。

太陽

こちらの浮き彫りは月を表しています。

6. 内観

教会の中に入ります。

18世紀にクワイヤが撤去されて新しいファサードが建設され、東にあった祭室は西へと移動されました。

身廊にて西を向く

7. 回廊の柱頭(ルーヴル美術館)

かつて教会の南側には回廊がありました。その柱頭の一部が、ルーヴル美術館に収蔵されています。

写真は、私が2022年9月にルーヴル美術館で撮影したものです。

この後は、ルーヴル美術館に掲示されていた説明を引用する時に太字で書きます。

16世紀に取り壊されるまで、この回廊はラングドック東部における中世彫刻の重要な実例であった。回廊内の柱頭の正確な配置を再現することは不可能だが、現存する作品からは、単柱と双柱が交互に配置されていたことがうかがえる。さらに、現在世界各地に散在する柱頭には、それぞれ異なる様式が見られ、制作が段階的に行われたことを示唆している。

ルーヴル美術館に収蔵されている柱頭(2022年9月に撮影)

ひとつの二重柱頭には、四福音書記者の象徴と聖ペトロに鍵を授けるキリストが彫られています。

聖ペトロは右手に大きな鍵、左手に書物を持っているようです。

ルーヴル美術館に収蔵されている柱頭(2022年9月に撮影)

中央の柱頭には天使たちが彫られています。

そして、もうひとつの二重柱頭には「イエスの復活」が彫られています。

ルーヴル美術館に収蔵されている柱頭(2022年9月に撮影)

「イエスの復活」(『マタイによる福音書』28章、『マルコによる福音書』16章、『ルカによる福音書』24章、『ヨハネによる福音書』20章)

ルーヴル美術館に収蔵されている柱頭(2022年9月に撮影)

Cathédrale de Saint-Pons-de-Thomières。「死者の門(La porte des Morts)」と、西ファサードに残る浮き彫りが良いです。

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