ラ・ランド=ド=フロンサック(La Lande-de-Fronsac)

2024年5月17日(金)、最初に訪れたのはLa Lande-de-Fronsac、Église Saint-Pierre de La Lande-de-Fronsacです。

ここは、南扉口の素晴らしさに言葉を失います。まさに「ジロンド地方に残るロマネスク彫像の中で、最も荒々しく、最も感動的な作品」です。

教会の中に訪問するには、役場(mairie)で鍵を借ります。私は事前に「5月17日の午前中に伺います」と連絡しました。

目次

1. La Lande-de-Fronsac へ .
2. 概要 .
3. 航空写真 .
4. 外観(東側) .
5. 内観 .
6. 外観(南側) .

1. La Lande-de-Fronsac へ

ラ・ランド=ド=フロンサック(La Lande-de-Fronsac)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ジロンド県にある村です。ボルドー(Bordeaux、同地域圏の首府であり同県の県庁所在地)の約22km北東にあります。

ボルドー(Bordeaux)の近くに戻って来ました。いよいよ2024年春🌸の旅行も大詰めを迎えています。

北西側外観

私は役場(mairie)でパスポートと引き換えに教会の鍵を借りました。

2. 概要

教会の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

12世紀に建てられたこの教会は、もともと半円形の後陣で終わる単身廊で構成され、ファサードには切妻壁があり、南壁には扉口が開いていた。

15世紀後半から16世紀初頭にかけて北側廊が増築された。16世紀に教会は要塞化され、後陣とファサードの南西角に監視塔が設けられた。

1836年、西側ファサードに扉口が設けられ、見事な南扉口は使われなくなった。

この後も、案内板を引用する時に太字で書きます。

3. 航空写真

Googleマップによる航空写真です。

Googleマップより

柱間二つの身廊、交差部、クワイヤ、半円形の後陣があります。交差部の上に鐘楼があります。

4. 外観(東側)

東に行きます。

教会の東側は、装飾された九つのアーチがあり、かつての軒下には持ち送りが並んでいます。

南東側外観

教会の周りは、墓地です。

5. 内観

西に戻り、西扉口から教会の中に入ります。

身廊は、12世紀後半から13世紀初頭にかけてのヴォールトで覆われている。

身廊にて東を向く

九つのアーチが美しいです。

交差部にて東を向く

6. 外観(南側)

外に出て、南に行きます。

わお。

南側外観

南扉口、すごい。

南扉口

この門は身廊の南壁にある。美術史家ジャック・ラコスト(Jacques Lacoste)によって1120年から1130年のものとされ、その様式と豊富な装飾は、サントンジュ地方とアングモワ地方に触発されている。

ロマネスク彫刻は、ティンパヌムを囲む四つの半円アーチで構成され、その外側を菱形が連なるアーチが縁取っています。

南扉口
アーチ1:外側から一番目のアーチ

四つのアーチの中で、外側から一番目のアーチが最も装飾豊かである。その要石には祝福するキリストが描かれ、キリストの両側にはケルビム、その両側に(長いチュニックを着た)十二使徒が続いている。

ケルビムの翼、大きく優雅に広がっています。

アーチ1(中央部分)

左端の迫石は、ライオンを殺す人物と、それを見守る小さな人物で飾られている。右端の迫石には、聖母子が座っており、男女の顔が太陽と月を象徴する二つのメダイヨンに縁取られている。

アーチ1:左端
アーチ1:右端
アーチ2:外側から二番目のアーチ

外側から二番目のアーチは、鳥が宿る植物と人物で装飾されている。左側にはハープ奏者、ヴィオラを奏でる踊り子、座る男性がいる。右側には角笛奏者がいる。

アーチ2:左端
アーチ2:角笛奏者
アーチ3:外側から三番目のアーチ

外側から三番目のアーチの上部は四芒星で飾られ、要石には2羽の鷲に連れられる人物が描かれている。下部は2列のジグザグ型縞柄で構成されている。

アーチ3
アーチ4:外側から四番目のアーチ

外側から四番目のアーチは結び目で飾られ、2人の人物が描かれている。座る女性と体をくねらせる男性である。

アーチ4
ティンパヌム

ゾディアック(Zodiaque)la nuit des temps『Guyenne romane』によると、ティンパヌムを囲む碑文には、こう刻まれています。

JOHES VII ECCLIIS QUE SUNT IN /ASIA VIDI/I FILIU HO MINIS IN TER VII CANDELABRA AUREA.

「ヨハネ」、「アジア州にある七つの教会」、「七つの金の燭台」などと書いてあります。

また、『Guyenne romane』によると、まぐさの碑文はこう刻まれています。

PRINCIPIU SINE PRINCIPIO FINIS SINE FINE.

どちらの碑文も、聖ヨハネの最初の幻視を描いた『ヨハネの黙示録』1章からのようです。

『ヨハネの黙示録』1章
3: この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
4-5: ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
6: わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
7: 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。
8: 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
9: わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。
10: ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
11: その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」
12: わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
13: 燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
14: その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
15: 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
16: 右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
17: わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
18: また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。
19: さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
20: あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。

この教会の南扉口は、聖ヨハネの最初の幻視を描いた唯一のロマネスク彫刻である。

第二の幻視を描いたロマネスク彫刻は、モワサック(Moissac)ボーリュー=シュル=ドルドーニュ(Beaulieu-sur-Dordogne)、コンポステーラ(Compostela)などに、たくさんあります。

でも、最初の幻視を描いたロマネスク彫刻は、ここラ・ランド=ド=フロンサック(La Lande-de-Fronsac)だけなのだそう。

中央のキリストは、右手に七つの星を持っています。その近くにはアジア州にある七つの教会を示す建物があります。七つの星と七つの教会との間に聖ヨハネが立ち、書物を握りしめ、キリストを見つめています。キリストの左手の上には剣があり、その下には天の国の生命の樹が生い茂っています。

ティンパヌム

剣については、イエスが裁きの日について語る聖書の一節を思い出します。

『マタイによる福音書』10章
7: 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
...
34:「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35: わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
36: こうして、自分の家族の者が敵となる。
37: わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
38: また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
39: 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

イエスは、剣をもたらすために来たのであり、家族よりもイエスを愛するよう、迫ります。イエスのために命を失う者が、裁きの日に命を得るのだから、と。

考古学者ブリュテール(Brutails)は、この扉口を「ジロンド地方に残るロマネスク彫像の中で、最も荒々しく、最も感動的な作品である」と評した。

Église Saint-Pierre de La Lande-de-Fronsac。南扉口の素晴らしさに言葉を失います。まさに「ジロンド地方に残るロマネスク彫像の中で、最も荒々しく、最も感動的な作品」です。

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