2024年5月11日(土)の最後、四番目に訪れたのはSolignac、Abbatiale Saint-Pierre et Saint-Paul です。
ここは、美しい修道院付属教会です。柱頭彫刻が素晴らしいです。
修道院付属教会は、毎日5:45から20:45まで開いています。
目次
1. Solignac へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 外観(西側) .
5. 内観(身廊) .
6. 内観(クワイヤと祭室) .
7. 外観(北側) .
8. 外観(東側) .
1. Solignac へ
ソリニャック(Solignac)は、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏オート=ヴィエンヌ県の村です。中央高地の北西端に位置する同県の県庁所在地は、リモージュ(Limoges)。
オート=ヴィエンヌ県、コレーズ県とクルーズ県のあたりは、リモージュ(Limoges)を歴史的な中心地とし、リムーザン(Limousin)地方と呼ばれます。
ソリニャック(Solignac)は、リモージュ(Limoges)の約9km南にあります。

とても静かで穏やかな環境です。
2. 概要
教会の中にQRコードがありました。リンク先のウェブサイトによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
この修道院は638年に聖エリジウス(Saint Éloi)によって創設された。
12世紀に建てられたこの修道院付属教会は、花崗岩で造られ、ドームが連なるロマネスク様式の教会群のひとつである。内部は簡素な装飾、堅固さ、調和、バランスに特徴がある。
教会は、フランス革命時に教区教会となった。
修道院は、1824年から1934年までの110年間、磁器工場として使われていた。
2021年、修道士が到着し、教区教会ではなくなった。
この後も、QRコード(リンク先のウェブサイト)を引用する時に太字で書きます。
3. 平面図
QRコード(リンク先のウェブサイト)による平面図です。東が右です。

二つの柱間を持つ単身廊。南北の翼廊にはそれぞれ小後陣があります。クワイヤには周歩廊がなく、三つの放射状祭室があります。
4. 外観(西側)
西に行きます。
ポーチの上には鐘楼がそびえている。鐘楼は、1783年に崩壊したロマネスク様式の鐘楼に代わり、2倍の高さで1810年に建てられた。

ポーチは、それ以前のカロリング朝時代の修道院教会の遺構の上に建てられた。その軸線は身廊の軸線と一致していない。これは最も新しい部分(13世紀初頭)であり、初期ゴシック様式の天井がその証拠となっている。
5. 内観(身廊)
教会の中に入ります。
東西にのびるラテン十字の形をしたこの教会は、四角い支柱の上にドームを載せた二つの柱間を持つ身廊から成っている。交差部も同じドームでアーチ形になっている。建設当時、すでに修道院の建物があったため、南翼廊は短くなっている。
身廊へは、広い12段の階段を通って文字通り「急降下」する。
私が「急降下」しようとしたとき、1人の修道士が熱心に床を掃除していました。それはもう、磨き上げるように丁寧に。彼の仕事が終わるのを待ち、私は身廊に降りました。

身廊の南北に盲アーチがあり、持ち出しと柱頭が並んでいます。
身廊の特別な特徴として、おそらく世界でも唯一無二のものと思われるのは、持ち出しと柱頭の彫刻が、入口から後陣の奥まで、対面してまったく同じであることだ。建物の内外を問わず、それぞれの彫刻の象徴的な意味はほとんど知られていない。
確かに、珍しいです。私は、ロマネスク様式の建物でこんな風に左右(南北)に同じ彫刻を並べるのを初めて見ました。
しかも、その彫刻がかわいいんです。
丸い。

牙をむく。舌を出す。
身廊の東から振り返ると、修道士によって磨き上げられた床が、ぴかぴかでした。

6. 内観(クワイヤと祭室)
クワイヤと祭室をみます。
周歩廊を持たないクワイヤは、三つの放射状祭室で終わる。六つの柱頭は石灰岩でできている。

柱頭彫刻を四つご紹介します。
柱頭1
北祭室の窓を飾る柱頭です。
向かって左は、十字ニンブスですから、イエスです。イエスは、司教杖を持つ聖人に鍵を渡しています。聖ペトロだと思います。

柱頭2と3
中央祭室の入口を飾る柱頭です。
柱頭2は北側、柱頭3は南側にあります。
柱頭4
南祭室の窓を飾る柱頭です。
向かって左は、十字ニンブスですから、イエスです。向かって右は、聖パウロかもしれません。ペトロと並び称されるのはパウロが多いようなので。

でも、頭髪がふさふさなので(いつも禿頭で描かれる)聖パウロかどうか自信が持てないです。
7. 外観(北側)
外に出て、北に行きます。

出所不明の石灰岩の浮き彫りが、南側廊のサン=ミシェル礼拝堂の門の上にはめ込まれている。

中央には、右手で祝福し、左手に本を持って座るイエス。イエスの周りには、たぶん、四福音書記者の象徴。その両側にはロマネスク様式の柱とアーチが並んでいます。十二使徒が描かれていたのかもしれません。
8. 外観(東側)
東に行きます。

中央祭室の窓の上にあるビレットの装飾は、この場所がサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路に属していることを示している。

中央祭室の下には地下聖堂に通じる通路があり、現在のヴィジャン(Vigen)教会の場所で隠者として暮らし、700年に死去した修道士、サン・テオ(Saint Théau)の遺物を納めるために作られた。左側には修道士たちの墓地があった。
修道士の墓地といえば、こんなこともリーフレットに書いてありました。
庭園の跡地には修道士の墓地があり、ノートルダムに捧げられた礼拝堂があった。4歳未満の子供を埋葬する際には、人々は祈りを捧げにここを訪れた。母親たちは子供たちがより安全に天国へ導かれることを願い、多くの子供たちがこの墓地に埋葬された。この習慣はリムーザン地方の多くの修道院で見られる。
願いの込もった埋葬地だったようです。
Abbatiale Saint-Pierre et Saint-Paul 。美しい修道院付属教会です。柱頭彫刻が素晴らしいです。
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