ミュスタイア(Müstair)

2023年8月12日(土)、二番目に訪れたのは Müstair、聖ヨハネ修道院(Kloster St. Johann)です。

ここは、カロリング様式とロマネスク様式の壁画や彫刻が素晴らしいです。

博物館受付でCHF12を払うと、博物館と教会を訪問できます。
2023年は以下のように営業していました:
<5月~10月>月曜から土曜9:00~17:00、日曜祝日13:30~17:00
<11月~4月>月曜から土曜10:00~12:00と13:30~16:30、日曜祝日13:30~16:30(ただし12月25日は終日休業)
追加料金不要のガイドツアーがあります(所要時間約90分)。
ドイツ語:6月25日〜11月1日、月曜から土曜10:30と13:30、日曜祝日14:00と15:45
イタリア語:7月31日~8月20日、月曜から土曜11:00と14:30、日曜祝日14:30

案内掲示より(F:博物館受付と土産物店と案内所、G:聖十字架礼拝堂、H:教会)

なお、私は参加していませんが、聖十字架礼拝堂はドイツ語のガイドツアーでのみ訪問できます(所要時間約50分)。2023年は、6月27日~10月28日、火曜15:30と土曜15:30に開催されていました。

目次

1. Müstair へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 博物館 . 
 4-1. 大理石装飾 .
 4-2. ステンドグラス .
 4-3. 中世のトイレ .
 4-4. ロマネスク様式の壁画 .
5. 教会 .

1. Müstair へ

私はマッレス・ヴェノスタ(Malles Venosta)から南西に約11km、16分ほど運転して、山に囲まれた白亜の修道院に着きました。10:45頃のことです。

南東側外観

私は11:00からのイタリア語のガイドツアーに参加するために、国境を越えました。マッレス・ヴェノスタ(Malles Venosta)はイタリア🇮🇹でしたが、ここミュシュタイア(Müstair)はスイス🇨🇭です。

2. 概要

博物館に案内掲示がありました。また、ガイドが説明してくれました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

修道院の設立はカロリング朝時代、775年以降である。カール大帝によってつくられたという伝承がある。

カロリング朝はフランク王国の第二王朝です。8世紀半ばに始まりました。9世紀半ばに三分割され、イタリアは9世紀末、東フランクは10世紀初め、西フランクは10世紀末に断絶しました。

修道院は、1167/70年の寄進証書で言及されている。その中で、司教は修道院の西棟を修道女たちに寄贈している。

これ以降、女子修道院になりました。

12世紀後半、修道院は経済的な好景気を迎えた。それは貴族であるタラスプ(Tarasp)家と結びついていた。この貴族一族は、13世紀末まで修道院の吏権も握っていた。

1230年代から、修道院は血の奇跡によって巡礼地となった。いくつかの考古学的発見は、修道院の豊かさを物語る。例えば、修道院の敷地内の発掘調査で、ロマネスク様式の鐘が発見された。その甘い音は、修道女たちを合唱の祈りに呼び出すために使われていた。

小さめの鐘です。ガイドが鳴らしてくれました。甘い音でした。

ガイドが打つ鐘
案内掲示より

この修道院は、今も8人の尼僧が修道生活を送っている。

この後も、案内掲示やガイドから聞いた内容を引用するときは太字で書きます。

3. 平面図

博物館の案内掲示に平面図がありました。

博物館の案内掲示より

青色:カロリング朝時代の修道院。800年頃に建てられ、後に増築された。
紫色:城塞住居の塔、960年頃
桃色:司教の住居、11世紀。
橙色:修道院。1163年~1170年まで改修された。

13世紀から20世紀にかけても改築が繰り返されました。

4. 博物館

ガイドツアーは先に博物館を見学して、次に教会を見学します。

博物館は、上の平面図に紫色で示された城塞住居の塔:トッレ・プランタ(Torre Planta)の中にあります。

トッレ・プランタ(Torre Planta)は、かつて「15世紀末に修道院長 Angelina Planta によって建てられた」と考えられていたためにこの名で呼ばれている。考古学的調査により、960年頃の建物と判明した。

4-1. 大理石装飾

カロリング朝時代の教会は、ヴェノスタ(Venosta)渓谷産の大理石で装飾されていた。現在発見されている600以上の破片は、教会の典礼装飾の原型を物語っている。10世紀以降、これらの浮き彫り細工の板は、トッレ・プランタ(Torre Planta)の建材として再利用された。

カロリング朝時代の大理石装飾

こちらの浮き彫り、素敵です。

カロリング朝時代の大理石装飾

翼、衣装、手足などが生き生きと描かれています。

4-2. ステンドグラス

色ガラスのいくつかは、解体されたカロリング朝時代の建物から発見された。ステンドグラスの技術と、形、色、光の効果の多様性は、相当な質である。

ステンドグラス
4-3. 中世のトイレ

壁に設けられたこちらの小空間は、中世のトイレです。

北壁につくられた、960年頃の建設当時のトイレ

960年頃の建物のトイレ
北壁の断面図(案内掲示より)

ふむふむ、そういうつくりだったの。

4-4. ロマネスク様式の壁画

博物館には、教会を彩っていたロマネスク様式の壁画が展示されています。

1894年、漆喰と塗料の層に隠れていた中世のフレスコ画が教会で発見された。1947年から1951年にかけて、漆喰の除去と絵画の修復が行われた。その際、1200年頃に描かれた後期ロマネスクのフレスコ画の一部がいわゆるスタッコ(Stacco)技法で壁から取り除かれた。

この部屋に展示されている壁画の断片は、1950年に壁から取り除かれたものである。

北小後陣には「魔術師シモンとの論争」と「犬どもを消すペトロ」がありました。

「魔術師シモンとの論争」
北小後陣の上段と中央の段には、魔術師シモンとの論争が数枚の絵で描かれている。新約聖書外典のペトロとパウロの受難に関する物語である。ペトロとパウロがアーケードの下にいる。パウロはペトロの肩に手を置いている。パウロは聖書を手にしている。絵の左端には、手を広げた人物の一部が見える。頭上のアーチの文字は聖人たちと議論する魔術師シモンと示している。

北小後陣にあった壁画

「犬どもを消すペトロ」
論争に加え、ペトロとパウロは行いでもシモンに立ち向かうことができた。ペトロは魔術師の犬どもに祝福を与えながらパンを振る舞った。すると犬どもは姿を消してしまった。パウロは絵の左側に手を上げ、聖典を持って描かれている。彼の前には、少し屈んだ姿勢のペトロがいる。犬たちの頭の上には、シモンの腕が見える。シモンは攻撃の命令を下している。
この場面は、後陣の窓によって「魔術師シモンとの論争」の壁画と隔てられている。二つの壁画中の人物たちは、鏡写しのような順で並んでいる。

北小後陣にあった壁画

シモンとペトロの論争にパウロも同席していますし、犬どもがペトロに襲いかかろうとしているので「使徒ペトロとパウロの殉教録(Passio Sanctorum Apostolorum Petri et Pauli)」24〜27章に基づく場面だと思います。

私個人的には、ペトロと犬といえば、人の言葉を話す犬が出てくる場面(新約聖書外典「ペトロ行伝」9章)が不思議で面白いから好きです。この犬については、忠実にペトロ(教会)に従うイメージとして描かれるようです。

この教会では(シモンの命令で)ペトロに襲いかかろうとして姿を消される犬どもが描かれています。ペトロ(教会)が皇帝や悪に勝つイメージを強調したかったのかもしれません。

南小後陣には、「キリストの昇天」(『使徒言行録』2章)がありました。

「キリストの昇天」を描いた2枚の壁画片は、南小後陣の最上段にあり、窓によって遮られていた。

聖母マリアと使徒たちが、天に昇るキリストを見上げています。

南小後陣にあった壁画
南小後陣にあった壁画

主後陣には、「賢いおとめと愚かなおとめ」(『マタイによる福音書』25章)がありました。

「賢いおとめと愚かなおとめ」のたとえは、主後陣の中央の段に描かれていた。一つは、修道女のよそおいの賢いおとめが、後光を浴び、布に包まれた手でオイルランプに恭しく触れている。二つ目の断片には、花婿であるキリストが描かれている。キリストは、祝福のジェスチャーで手を挙げ、結婚式場の入り口で彼女を待っている。愚かなおとめたちは名残だけが残っている。初期キリスト教においても、聖別された処女はキリストの花嫁とみなされていた。
修道女の地上生活は、審判の日の結婚式を待つ婚約者の姿と解釈できる。処女の犠牲は「無血の殉教」とみなされた。

主後陣にあった壁画
主後陣にあった壁画

ここは女子修道院。修道女のよそおいの賢いおとめを讃える絵が主後陣に描かれたのは、納得です。

5. 教会

博物館の見学を終え、西扉口から教会に入ります。

修道院教会は元々、修道院専用の教会であった。現在は教区教会として、すべての信者に開かれている。

主後陣は修復中でした。修復は2025年〜2026年までかかる予定。

身廊にて東を向く

教会には、カロリング様式とロマネスク様式の絵画が壁と三後陣を飾っている。ダビデ王、イエスの生涯、そしてキリストの昇天と再臨の物語が描かれている。

大量の壁画が残されています。素晴らしい。

身廊にて北東を向く

北壁には11世紀の浮き彫りがある。

「イエスの洗礼」(『マタイによる福音書』3章、『マルコによる福音書』1章、『ルカによる福音書』3章)

北壁の浮き彫り

天使の様子はまるで、水泳プールから出てくる子にタオルをかけてやるお父さんのようです。微笑ましい。

後陣は聖人と殉教者に捧げられている。主後陣は洗礼者聖ヨハネ、北小後陣は聖ペトロと聖パウロ、南小後陣は聖ステファノである。

北小後陣
南小後陣

主後陣と南小後陣の間には、カール大帝の像があります。

女子修道院になる前、775年から1167年までに制作されたと考えられています。最古の像だそう。

カール大帝の像

カール大帝は、どうやら目鼻立ちのはっきりした凛々しい人物だったようです。

ザンクト・ヨハン修道院(Kloster St. Johann)。カロリング様式とロマネスク様式の壁画や彫刻が素晴らしいです。

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