シャンベリー(Chambéry)

2023年8月5日(土)の最後、四番目に訪れたのは Chambéry、Église Saint-Pierre de Lémenc です。

ここは、地下聖堂が素晴らしいです。

地下聖堂は閉鎖されています。私は親切な婦人のご厚意に恵まれて見学が叶いました。教会は、隔週で、土曜18時のミサ(Messe anticipée du samedi soir à 18h)の時に開きます。地下聖堂の見学を希望する場合はミサの前であれば希望が叶いやすいかもしれません。

目次

1. Chambéry へ .
2. 概要 .
3. 平面図 .
4. 内観:地下聖堂 .

1. Chambéry へ

私はエム(Aime)から、西に約91km、60分ほど運転して、丘の上の教会に着きました。17:15頃のことです。

南西側外観

車は教会前の有料駐車場に置きました。

教会の西扉口が開いていて、ミサの準備をする人たちが出入りしていました。

私は教会の中に入り、地下聖堂に行こうとしましたが、北側の階段は立入禁止でした。南側の階段は降りることができましたが、地下聖堂に通じる扉が閉まっていて、施錠されていました。

私はミサの準備をしている婦人たちに地下聖堂を少しだけ見学させて欲しいことを相談しましたが、地下聖堂は閉鎖されているとのことでした。

私は「そうですか、分かりました。」と言いました。でも、私の顔は少し残念そうな表情だったと思います。少しすると、婦人のひとりが「少し待っていてください」と言いました。

ある婦人が、鍵を持って来てくれました!

そして、私が地下聖堂の見学を終えて鍵を返すと、その婦人は私に一枚の印刷物をくれました。

2. 概要

その婦人が私にくれたプリントによる概要です。私が一部を抜粋して太字で和訳します。

伝承によると、Lémenc の教会は、旅人の守護神メルクリウスに捧げられた神殿の跡地、あるいはその隣に建てられた。

9世紀には、カロリング朝の villa があった。王から割譲された領地には土地、農奴、教会が付随していたことから、そこに教会があったと思われる。

地下聖堂のある教会の存在は、11世紀以降に証明されている。1032年、Lyonのベネディクト会 Ainay 修道院の庇護のもとで修道院が設立された。

その後、Lémenc はローマへ向かう多くの巡礼者の通過点となった。特に、1176年に亡くなったアイルランドの首席司教 Concord の聖遺物と、石工の守護聖人である「四つの王冠をかぶった聖人」として知られる2人の聖人の遺体をめぐる信仰が発展した。

1445年の鐘楼の火災をきっかけに、1490年から1513年にかけて広大なゴシック様式の教会が再建された。地下聖堂の工事も行われ、新しい教会の聖堂の下に後陣が増築された。15世紀以降、修道院は衰退した。

この後も、プリントを引用するときに太字で書きます。

3. 平面図

現地には平面図が見当たりませんでした。ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Lyonnais Savoie Romans』による平面図です。東が上です。

ゾディアック(Zodiaque) la nuit des temps の『Lyonnais Savoie Romans』より

教会の主な見どころは地下聖堂にあり、三つの部分から構成されている:
1) カロリング朝時代の円柱に囲まれたロトンダ、
2) ルネサンス絵画で装飾された、ロトンダに続く三つの短い身廊、
3) ゴシック様式の後陣。

4. 内観:地下聖堂

南側の階段からおりると、6本の柱が美しく並んでいます。

地下聖堂にて北を向く

柱頭には、植物をあしらった彫刻があります。

柱頭

簡素で美しい彫刻です。

柱頭

6本の柱が支える天井は、調和のとれたアーチを描いています。

地下聖堂にて西を向く

身廊とは全く異なる構造です。

地下聖堂にて西を向く

Église Saint-Pierre de Lémenc。地下聖堂が素晴らしいです。

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