モジェド(Molledo)

2023年5月1日(月)、四番目の訪問地は Molledo。Ermita de San Lorenzo de Pujayo です。

ここは、扉口と窓の装飾が素晴らしいです。

Ermita は閉まっていました。私は Ermita の中に入りませんでした。

目次

Molledo へ .
概要 .
側壁の窓. .
ファサード(扉口)

Molledo へ

夫と私は、この日の三番目に行ったアレナス・デ・イグーニャ(Arenas de Iguña)のあと、南東に約7km、12分ほど運転してシリオ(Silió)という村に行きました。教会は閉まっていました。シリオ(Silió)には5月14日(日)に再訪して教会の中を見学したので、5月14日の記録として書きます。

夫と私はシリオ(Silió)から西に約2km、4分ほど運転して、道路脇の Ermita に着きました。13:00頃のことです。

東側(おそらく当初は南側)外観

もとは東向きだったであろう建物は、現在は、北向きになっています。

概要

現地には案内板が見当たりませんでした。Románico Digital による概要です。自動翻訳(DeepL)に助けてもらいながら、私が一部を抜粋して太字で和訳します。

Ermita de San Lorenzo de Pujayo は現在、同名の自治体の州都である Molledo の町に再建されている。

この Ermita に関する最も古い記録は1132年のもので、ブルゴス司教シモン3世による奉献碑文が教会の壁に残されている。

José Ramón Delibes Setién のご厚意により、1944年に書かれた César Silió Cortés の未発表の文章「Recuerdos de mi tiempo y de mi vida(私の時代と人生の回想)」を読むことができる:

Ermita の救い主の話がありました。この部分だけは、Románico Digitalに引用されていた全文を和訳します。

「スペインには、そしてカンタブリア地方には、より大きく、より豊かで装飾的な彫刻が施されたロマネスク様式の教会がたくさんあるからだ… 好奇心旺盛な読者ならおわかりだろうが、私はこの礼拝堂を入手し、移築し、再建した(…)D. Rafael Gavet が公共事業大臣であった頃、彼は鉄道や道路といった通信のための地方道路計画を考案し、実行に移し始めた。これらの地方道のうち、Iguñaの大渓谷の中にありPujayo周辺の小さな渓谷を形成する山脈の奥深くにある、Bárcena(Portalónから2キロ離れた村)からさらに3、4キロ離れたPujayo村に通じる道が建設された。Bárcena de Pie de Concha,の近く、Pujayoからはまだかなり離れているが、小さな牧草地に接している、ほとんど道の端に、古いロマネスク様式の礼拝堂の廃墟が建っていた。何世紀にもわたって雪や雨に打たれ、彫刻が施された石に浸食が見られる以外は、入り口の扉がある側壁と後陣は無傷だった。私が立ち止まって廃墟を眺めていると、作業員たちが礼拝堂の右側にある美しい窓の柱身を砂利に変える準備をしていた。私は現場監督に、道路には砂利にできる石がたくさんあるので、廃墟には手を触れないでほしいと頼んだ。私はプジャヨまで歩き続け、村の教区司祭と話し、彼から、その礼拝堂がいつ礼拝のために開かれていたかは、伝承にも残っていないこと、その所有者は間違いなくPujayoの3人の貧しい地元の人々で、彼らは最近、125ペセタというわずかな金額でその牧草地を購入したことを知った。私は彼に、3人の所有者にPortalónで会うように伝えてほしいと頼んだ。私は彼らに、彼らの小さな牧草地にある遺跡を私に売りたいかと尋ねた。彼らはためらうことなく、もし私が石を取れば、古い廃墟があった場所の分だけ牧草地が増えるので、彼らのためになると答えた。私は彼らに1500ペセタを渡し、彼らは宝くじに当たったかのように喜んで去っていった」

美しいロマネスク建築が保存されたことが、とてもありがたいと私は感じます。

側壁の窓

側壁の窓には柱頭彫刻が二つあります。

東側(おそらく当初は南側)外観

向かって左の柱頭をみます。

中央の人が持っているものが、もし財布であれば、守銭奴を表しているのだと思います。

窓の柱頭彫刻(向かって左)
窓の柱頭彫刻(向かって右)

向かって右の柱頭彫刻をみます。

こちらも、中央にいる人が何かを持っています。そして、その右にいる人物は司教笏を持っているようです。

これら二つの柱頭は、貪欲の罪を描いているのかもしれません。

ファサード(扉口)

もとは西にあったであろうファサードは、現在は、南にあります。

おそらく、移築するときに現在の地形に合わせるために建物の向きを変えたのだと思います。

南側(おそらく当初は西側)外観

扉口には、持ち送りが六つあり、その下に半円形のアーチがあります。どちらも彫刻されています。

扉口
扉口

アーチは、その形状も植物の浮き彫りも、サン・ファン・デ・ライセド(San Juan de Raicedo)のものに似ています。

柱頭彫刻が二つあります。

向かって右は、鷲だと思います。

向かって左の柱頭
向かって右の柱頭

向かって左は、中央に宙返りをしながら踊る人がいて、その両側に楽器を演奏する人たちがいるように見えます。

向かって左(別角度)
向かって左(別角度)

私は、アバクス(abacus、柱頭の上に置かれてアーチを支える部分)の彫刻が好きです。

向かって左の柱頭のアバクス

二頭のライオンの右に、両手をあげて右手で祝福のポーズをとる人がいます。少し首を傾げて、小さい体に大きな顔と手足。。。かわいい。

Ermita de San Lorenzo de Pujayo。扉口と窓の装飾が素晴らしいです。

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