2022年12月3日(土)の最後、五番目の目的地はFossacesia。Abbazia di San Giovanni in Venereです。
ここは、アドリア海を見下ろす岬にそびえる美しい教会です。陽の光を浴びて金色に輝きます。後陣、地下聖堂、回廊につながる扉口、回廊が素晴らしい。
基本的に毎日8時から20時まで開いています。(2022年現在)
目次
Fossacesia へ .
概要 .
平面図 .
外観:後陣 .
外観:ファサード .
内観:全体、地下聖堂 .
北扉口と回廊 .
アルファベットは、基本的に全てイタリア語です。
Fossacesia へ
私はプロペッツァーノ(Propezzano)から南東に約97km、82分ほど運転して、アドリア海を望む丘の上の教会を目指していました。
高速をおりると、太陽で金色に光る後陣が見えて驚いたのですが、その写真はありません。
代わりに、オリーブ畑の向こうに神々しく見える後陣を撮影できました。
さらに運転して、金色に輝く美しい岬に着きました。15時頃のことです。
私は、陽の光を浴びてきらめく教会の姿に感激しました。
概要
建物の外に案内板がありました。私が一部を抜粋して太字で和訳します。
教会は、フォッサチェジア(Fossacesia)の町から少し離れた、アドリア海を見下ろす岬にそびえている。
6世紀、ヴィーナス(Venere)を祀る異教徒の神殿の上に、洗礼者ヨハネに捧げる小さな礼拝堂(oratorio)が建てられたのが始まりとされている(聖ベネディクトの創建とする説もある)。
Venereは愛と美の女神です。ちなみに、Venere は金星という意味もあります。
847年、この建物は大地震に見舞われた。
1015年、キエティ(Chieti)伯トラスモンド(Trasmondo)は、教会の大規模な再建と、二つの回廊、学校、図書室を含む修道院の建設を推進した。この時期、地下聖堂が建設され、丘の自然な傾斜に合わせてファサード前が整地され、教会自体のレイアウトが完成した。
教会内部には、11世紀のベネディクト会修道院であった時代の基礎の輪郭が残っている。すなわち、巨大なアーチを支える柱で区切られ三つの半円形の後陣で終端する、シンプルなバシリカのプランである。
重要な転機は、1165年、大修道院長オデリシオ2世と、おそらくブルゴーニュの職人たちによるものであった。この野心的な大修道院長は、アルプスを越えた多くの国に既に建てられていた偉大なベネディクト会大聖堂のような荘厳さを与えようと、レイアウトは維持しつつ、実質的に再建したのである。
教会は、シトー派からヨーロッパ全土に広まった建築様式を、アブルッツォ州で最初に取り入れた一つとなった。
12世紀末までに、地下聖堂のフレスコ画(Luca Pollustro da Lancianoの作とされる)を含め、建築と装飾の両方がほぼ完成し、のちにファサードも完成した。
ファサードは褐色凝灰岩でできており、上部は1346年に完成した。中央の扉は、1225年から1230年にかけてライナルド(Rainaldo)大修道院長が加えたもので、洗礼者ヨハネの生涯を描いた浮き彫りで満たされている。
この後も、案内板を引用するときは太字で書きます。
平面図
案内掲示に平面図がありました。東が上です。
さっそく、見学です。
外観:後陣
美しい後陣です。
後陣には、イスラムとシチリアの影響を受けた複雑な多色装飾が施されている。
この後陣自体と同じくらい驚くのが、ここからの眺望。
アドリア海が広がります。
外観:ファサード
太陽を浴びた褐色凝灰岩は、金色に輝きます。
西扉口は、13世紀の浮き彫りで満たされています。
南扉口から教会の中に入ります。
内観:全体、地下聖堂
三身廊、三後陣。
地下聖堂に行きます。三後陣。
12世紀末までに、地下聖堂のフレスコ画(Luca Pollustro da Lancianoの作とされる)を含め、建築と装飾の両方がほぼ完成。
修復がすごい。
北扉口と回廊
回廊に通じる北扉口が素晴らしい。
両側の柱や、ルネッタ(lunetta、建築では扉や窓の上の半月形の部分を指す)には、古典的な浮き彫りがあります。
9世紀前後の、彫刻が施された石を再利用したのかなと思います。
回廊も美しいです。
床の敷石が、なんとも美しい。
中庭は、植栽の切り方が興味深い。
Abbazia di San Giovanni in Venere。アドリア海を見下ろす岬にそびえる美しい教会です。陽の光を浴びて金色に輝きます。後陣、地下聖堂、回廊につながる扉口、回廊が素晴らしい。
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