サン=ランベール=アン=ビュジェ(Saint-Rambert-en-Bugey)

2022年9月18日(日)の最後、三番目に訪れたのは Saint-Rambert-en-Bugey。Crypte Saint-Domitien です。

ここは、9世紀から10世紀とされる建物に、素朴な柱頭彫刻があります。

事前に調べたとき「訪問は毎週日曜の14時から17時まで」とありました。さらに、9月18日は文化遺産の日(journées du patrimoine)でもありましたから、絶対に見学できると思っていたんです。(事前に予約することをお勧めします。詳しくは「鍵を開けてもらう」で。)

目次

Saint-Rambert-en-Bugey へ .
鍵を開けてもらう .
概要 .
フロアプラン .
内観:全体と主後陣 .
内観:北小後陣 .
内観:南小後陣 .
見学の終わりに .
2022年夏の旅行の終わりに .

Saint-Rambert-en-Bugey へ

Saint-Rambert-en-Bugey は、アン(Ain)県にあります。周囲は自然が豊かで、特に、北(町がある南じゃない方)から来た私には、まさに山の中の修行地に見えました。

夫と私はサン=ティムティエール=シュル=ヴァルーズ(Saint-Hymetière-sur-Valouse)から南西に約62km、車を62分ほど運転して、ブレヴォン(Brevon)河畔に佇む修道院に着きました。15時頃のことです。

Crypte Saint-Domitien のある建物(北東側外観)

この建物に目当ての地下聖堂(Crypte Saint-Domitien)があるのですが、扉は厳重に施錠してありました。

鍵を開けてもらう

修道院の建物に行って、誰かに頼んで鍵を開けてもらいます。

これが、一苦労でした。

修道院の門から入って、大きな庭を通り、修道院の建物に行きました。

修道院の門
左が修道院、右が地下聖堂の建物
修道院

受付に誰もいなかったので、食堂で女性(たぶん、ここに住んでいる修道女)を見つけて、「地下聖堂を訪問したい」と相談しました。

ここからが、長い。

私は、彼女に「この建物のここに行きたい」と、建物の写真をスマホで見せました。すると{彼女の話が飛ぶわ、飛ぶわ、どんどん色々な話が展開されます。私は必死で話を戻して、地下聖堂の鍵を開けてくれるように頼みます。}

鍵の管理人に会うと{}部分の繰り返し。

そして鍵の管理人が「今日は見学は遠慮してもらいましょう」なんて言いだすものだから、私は涙目に。彼女が「今日は文化遺産の日(journées du patrimoine)だし、それはいけません。」と管理人を説得してくれて、私は彼女に感謝しました。

そのうち、他の見学者たちが来ました。当然、{}部分の繰り返しです。

40分もかかりましたが、鍵を開けてもらえました。さらに、彼女は、案内リーフレットをスマホで撮影させてくれました。感謝しています。

概要

案内リーフレットの一部を抜粋して太字で和訳します。

サン・ランベールの名は、7世紀、メロヴィング朝の貴族ラニュベール(Ragnebert)に由来する。彼は、宮宰エブロイン(Ebroïn)の命令でブレヴォン(Brevon)河畔で殺害された。
彼は、5世紀に隠者であったドミティアン(Domitien)がブルボナ(Brebonna)またはサン=ジェネ(Saint-Genès)の名で設立した修道院に祀られ、人々の信仰によって「列聖」された。その後、その下の町は「サン=ランベール」となり、修道院は「サン=ランベール大修道院」となった。

12世紀には、重要な封建的権力を持っていた。1191年、教皇ケレスティヌス3世の勅令で、Lyonからモーリアンヌ(Maurienne)への巡礼路にある小修道院、教会、小教区などについて、サン・ランベール大修道院の所有が確認されている。

その後、数世紀にわたり修道院は徐々に衰退の道をたどり、ついにフランス革命により破壊され国有財産として売却された。

1818年、Lyonの医師がこの土地を買い取り、邸宅を建設。地下聖堂は1838年に偶然発見され、修復された。1840年、その上に礼拝堂が建てられた。発見当時サン・ランベールに住んでいた画家レイマリー(Leymarie)が「Crypte」と名付けたもので、15世紀の文献によると、以前は「洗礼者聖ヨハネの礼拝堂(Chapelle Saint Jean-Baptiste)」と呼ばれていた。もともとは洗礼堂であった可能性がある。

「Crypte Saint-Domitien」は、19世紀以降の呼び名だったんですな。

専門家によって9世紀から10世紀の建設とされる建物には、主後陣と二つの小後陣がある。

私が撮った写真を見ながら案内リーフレットを引用するときも、太字で書きます。

フロアプラン

案内リーフレットにフロアプランがありました。北が上です。

Réalisé par le District de la Vallée de l’Albarine, Travail de recherche: Jacqueline di Carlo, Plans dressés par: Stéphane Persico, Mise en page: Patrimoine des Pays de l’Ain

かなり、小さいです。

内観:全体と主後陣

括弧()内の数字はフロアプラン番号です。

(1)の、19世紀の修復の際に開けられた扉口から入ります。

Crypte Saint-Domitien(東側外観)

(2)は湾曲した一枚岩で、おそらく以前の建物から再利用されたもの
(5)入口の向かいに見える祭壇は、レイマリー(Leymarie)によれば、後陣の円形部分にあったそうです。

主後陣にて西を向く

内観:北小後陣

北小後陣に行きます。

北小後陣と主後陣との間にて北を向く

北小後陣には、三つの素朴な彫刻があります。

北小後陣にて北東を向く

すごく魅力的です。

(6)洗礼を受ける前の男(ちなみに、私は犬かと思いました)
(7)牡鹿の頭、洗礼への願望(ちなみに、私は牛かと思いました)
(8)神の手か洗礼者の手か?(これはさすがに私も手と思いました)

ああ、がんばって来て、がんばって鍵を開けてもらって、良かった。

内観:南小後陣

南小後陣へ行きます。

南小後陣には、北小後陣のような柱頭彫刻はみあたりません。

(11)もともと、ここにアクセスするためには、別の出入り口があったようです。おそらく修道院の教会に通じていたと思われる階段があります。

南小後陣と主後陣との間にて南を向く
南小後陣にて東を向く
南小後陣にて西を向く

見学の終わりに

Crypte Saint-Domitien。9世紀から10世紀とされる建物に、素朴な柱頭彫刻があります。

2022年夏🌻の旅行の終わりに

Crypte Saint-Domitien を最後に、オーヴェルニュを中心にオーヴェルニュ=ローヌ=アルプを巡る旅は終了。

9月20日にパリに移動して9月23日に帰国便に搭乗しました。(パリでは、ルーブル美術館とクリュニー美術館をみましたが、その様子については割愛しようと思います。)

7月29日から55日間で148か所を巡り、ひとつひとつが、今もきらきらのまま心にやきついています。

読んでくださり、ありがとうございました。

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